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かなり前の雑誌だかの議論。日本で強盗殺人ではなく、恨みなどで一人を殺しても懲役12年などになる現実を指して、「12年と引き換えに殺人してもよい意味になる」という意見を見かけました。弁護士は反論して「法律はそういう趣旨ではない」と。

著者には弁護士こそが机上の論に思えました。犯罪をやる者は法の趣旨を尊重せずに、しかし法そのものは無視せず、利害の計算が行われると想像できます。例の森友事件の公文書開示請求でも、拒否は合法と判決が出ると、後進たちは無罪の範囲で不正を狙ってきます。

だから中学二年の頃「俺たち殺人やっても刑罰は受けないよ」と級友から聞きました。犯罪の種類やタイミングで最高刑罰が決めてあるなら、罪と罰の取引になります。「犯罪の許可なんかじゃない」と言っても、現実は許可条件として機能し、損得勘定に皆の思考が回ります。

平成日本で流行った「自己責任」は、きっとテロの起点になると著者は信じていました。そのとおり、一回の犯罪で36人殺害した京都アニメーションのビル放火は、津山30人殺し事件(昭和13年)を記録更新しました。令和元年に。

自己責任という語は、たいへん冷酷です。非文化、非文明、非人間的、原始的な思想です。ほとんどヤケクソ。この語は国策の緊縮財政と消費税増税で通貨削減して、デフレ不況を故意に進めて生じた実質賃金低下と失業に対して、困窮者を切り捨てる方便です。弱者へのけん制。

自己責任や自助思想には人々のきずなを切る機能があり、社会を分断させ横のつながりを断ち無力化させる。人は狂って通り魔や放火に走る。異常な事件のたびに、国民はモラル低下を嘆きます。違う、そうじゃない。原因は政府支出を減らし通貨を減らす、新自由主義の政策です。
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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
Posted by現代美術はインチキの詐欺ってホント?