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著者の本が美術評論の本と多少でも違うのは、ソース源が美術を作る側の人間だという点です。評論に多々みられる、憶測や空想した部分を言葉でつないで、机上でまとめた美文とは違います。

作品を作る者の心理描写も、作家から聞いた話が多い。時には自身の事情を告白し、制作者の心の内まで入り、時にしつこく核心に迫ることもあります。絵や彫刻を作らない評論家が書いた本よりも、整然としていないでしょう。

たとえば傑作絵画が生まれたとして、それを生んだ決め手は何だったのかは、鑑賞者側は共通した想像をやってしまうのです。実際には、かなり偶然が左右しています。多くの場合、作品がそうなった理由は特になく、たまたまの思いつきが実際です。

作る回を重ねると洗練していく面もあります。一発で当てたわけではなく、類似作を何度も作っているから傑作に近づいたのも確かです。それでも名作は作る側にとって偶然の重なりと、複数回試したうちの確率的な当たりというだけです。

それに対して作らない側の人たちがよくやる解釈は、社会背景に関連づける方法です。今の時代が暗いから、暗い絵になったなどの物語の立て方も多いわけです。作者はきちんとした正解を持っているわけでもないから、反論せずに放置することになるのでしょう。

たまたまの結果以上に深い必然性はないから、作者本人も気づかないことがあります。そんな前提で、著者が他の画家の作品を見る時は、埋もれた何かを見つける見方が多くなります。作者が隅に置いている要素はないかというのも。
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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
Posted by現代美術はインチキの詐欺ってホント?