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裁判員制度は市民が相談して民主的に判決を出すコンセプトのはずが、もう形骸化しています。裁判員たちが苦労して出した判決を、裁判所がひっくり返して、過去の判例どおりに決定し直すケースが多いから。

過去の判例に合わせるのは、過去回帰の力がはたらいているわけです。現代の新基準に差し替えさせまいとする意味。従来の尺度を保つようにして、時代の変化を起こさせまいとしています。今後の新たな価値観の創造を食い止めているわけで。

となると裁判員の市民は、過去の判例に合う判決を出さないと、裁判所に破棄されて従来どおりの判決に取り替えられてしまいます。自分たちの視点を加えると、自分たちの存在意義が消され、会議に何度も通った努力が水泡に帰す虚無感にさいなまれます。

これは日本企業でよくある「個性よ出てこい」のおとり発言と酷似します。誘いに乗って独創案を出しても浮いただけで終わったり、ありがたがられない。企業は従来の範囲内にすぐ戻っていきます。

これは美術でもしょっちゅう起きます。多くの業界人は話のわかる人ですが、行動に移す段に降りて誰もいなくなります。「日本に絶対必要なことだね、でも僕はやらないよ」「君がうまくいけば応援します」との励ましを残して。理解しているくせに行動が伴わない。重い。

降りる理由はいつもこう。「前例がないから難しい、今の関係も大事だし」と。「勇気がないからだろ」に対して「そうだ」と言い出す始末。「そこまで言えるなら、善玉の顔をやめて悪役になれ」と言いたくなります。わかっていてやらないのも悪だから。
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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
Posted by現代美術はインチキの詐欺ってホント?