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著者は子どもの時から、がまんすることに疑問を持っていました。というか、がまんせざるを得ない状況になれば、「こうやれば解決するのではないか」と次から次へと浮かんでしまいます。浮かばないようにしたり、伏せて耐えるという方向へは行かなかった。

大型コンピューターのプログラム会社の試験を受け、国土交通省の道路データ作成のアルバイトで通った時。マニュアルが用意され最初に説明を受けるのですが、著者だけが次々と担当上司に質問して、他のバイトに説明し直すかたちになりました。いつものこと。

説明に納得しがたい部分が一カ所あり、どうもおかしい。ある道路の幅が足りて、舗装されガードレールもあり、しかし通行不能という。この道路に改良が必要なのか、という評価の判定です。マニュアルの矛盾した記述はミスだと、説明会で言われました。

マニュアルでは、通行不能でも改良か未改良かは要判断という書き方でした。説明会ではそれはミスで、通行不能なら必ず要改良と解釈せよと教えられました。その修正した解釈こそが間違いではと、その場で訴えました。上司は判断できずにいました。

他のバイトが「世の中おかしいことが色々あるし」と言い出しました。そのくだらない割り切りは無用。著者は少し推理し「実はこういうことではないか」と切り出しました。「完成して寝かせたバイパス道では、開通式の直前までこの矛盾が生じる」と。

「道路属性が完備した道がなぜか通行不能で、でも改良不要の場合だ」と。上司が元請けの有名企業との定例会議でたずね、やはりその解釈でマニュアルが正しかった。奇妙だと感じながら仕事を進めると後で全てがくつがえることが多く、見切り発車が危険なケースでした。
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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
Posted by現代美術はインチキの詐欺ってホント?