fc2ブログ

-
音楽のチャイコフスキーの死因に突然異論が出されたのは、1978年でした。チャイコフスキーは旅先のレストランの水で、コレラにかかったとされます。新説は、同性愛の罪で有罪となり、判決に従って毒を飲んだ死刑というもの。

これを聞いた著者は、だんだんと新説はおかしいと感じました。というのも、チャイコフスキーにとって世界は、すでに地球規模だったからです。チャイコフスキーはモスクワに住んでいましたが、フランスやイタリアにも住んだことがありました。

しかも遠いアメリカへ演奏旅行しています。航空機もないから船ですが、国際的な作曲家で指揮者としてカーネギーホールへ出演しました。判決に従った説に時代錯誤を感じたのです。20世紀の目に、19世紀が本来よりも古く思える先入観が入っている疑いです。

ウクライナ人のプロコフィエフは、ロシアが社会主義国へ変わった革命後に脱出し、1918年に日本の京都に着いて日本旅行しました。日本のスター作曲家だった山田耕筰がプロコフィエフを世話して、若いが意識の高い人だったと述懐していました。これの25年前です。

死因の新説に、すでに国際社会だった19世紀を、小さいムラ社会でイメージするミスを感じました。座して死を待つ中世と違い、チャイコフスキーは楽々とアメリカや日本へでも逃走できたでしょう。

私たちは、昔は何もない不便な狭い世界だと思いやすい。一因は写真かも知れません。昔の写真は白黒だから、今見るとより古風な時代だった印象を受けます。こういうトリックは今の動画に見る、1980年代のテレビコマーシャルの粗いアナログ映像でも起きています。
関連記事
スポンサーサイト



現代美術はインチキの詐欺ってホント?
Posted by現代美術はインチキの詐欺ってホント?