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日本国内の美術イベントに共通する、独特の雰囲気があります。それは絵画展覧会やアートイベントの案内サイトや募集メールにも、常について回ります。その正体は「美術をわかる人は一握りのエリートである」という固い前提です。

日本の美術展は、作品を観客に見せてもわからないであろう前提で計画されています。どれを市民に見せないかをまず選別して除去し、どれが価値かを先にレッテル貼りします。決めた価値を観客に伝えて、良さを見出してもらうのが日本式です。庶民は見る目がない前提です。

もう何から何まで、その指導的な雰囲気がガチガチに固定しています。美術家が作品を提出した時点では、スタッフたちも審査結果だけを頼りにするような縁遠さです。みんなで「難しいものを扱っている感」がありありで、非常に高尚で高遠な雰囲気です。

誰もかれも美術は難解だという及び腰の態度で、審査がないと誰も意見ひとつ言えない感じ。アートは全く「人々のもの」になっていません。まるで動物園のワニを扱うように、見るけれど自分の暮らしと関係ないしという感じ。それがメール案内一本からも伝わります。

作品の価値は上が決めて下に伝える流れで、あらゆる美術展がセットされ、だから雰囲気は固くて臭い。実は日本以外は全く違っていて、そもそも落選と称する展示拒否がありません。日本だけが表現の自由からも遠いのに、日本にいると全然気づかないのです。

海外では基本的に全て展示販売会で、展覧会自体が民主的です。審査員は観客全員であり、作者は展示拒否されないし。変な絵をとりあえず遮断する日本とは違う。だから日本で前衛といえば、公序良俗の次元で表現の自由をうたうタイプに集まってしまうのです。造形で前衛をやっても、誰もわからないから。
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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
Posted by現代美術はインチキの詐欺ってホント?