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最近は減った見方かも知れませんが、一昔前の画家への賛美で多かったのは「作品の全てに考えが行き届いている」。巨匠画家は全知全能で、作品の一切をコントロールしきっている前提だという。超人的な才人への敬愛ですが。んなわけないでしょ。

制作中のハプニングで、偶然傑作へと転んだ歴史名画が多くあります。画家はそうしたくなかったのに、不本意でそうなったから歴史に残ったという結末です。もし思ったとおりに作れていれば、平凡に流れていたと思わしきケースです。セザンヌの名画にもありました。

名画といっても、映画でもそれが意外にあるみたいです。海外でつくられたおもしろ動画に、映画撮影時のたまたまのNGシーンが、本番に採用された例を集めた映像がありました。「あれか」と思われるかも。

俳優が物を取り出して相手に見せるシーンで、オットーと落としそうになり、画面の下方でつかみ直して何とか見せたとか。美女が挑発的な踊りでバランスを崩して転び、見つめる男の俳優が一瞬立ち上がったプチ事故とか。集団で笑う場面で止まらず、本物の爆笑になったとか。

脚本から脱線した失敗映像ですが、「こっちがおもろい」と監督が判断してOKテイクになったのです。演技ではない本物の実録場面だから、迫真性が割り増しされた効果で名場面になりました。これも一種の表現の裂け目といえるでしょう。

絵画でも「変になってしまったが、かえってよい結果だ」という判断はよくあります。失敗を直すこと以上に、失敗を採用する判断力に創造性が出やすいのです。自分の思うとおり、納得するとおりに作りきれば、かえって特別な領域には届かない。芸術家は全知全能の神などでなく、偶発を味方につける柔軟性でやりくりし、だから失敗も多いのです。
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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
Posted by現代美術はインチキの詐欺ってホント?