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感動の大きさを本物に出会えた根拠としても、真理の証明にはならないものです。背中がゾワッと寒くなった自身の体験で、幽霊が確かにいると裏づける確信と似て、言った者勝ち程度の有効性でしょう。この類例は雨男や血液型性格占いなど、オカルト系が多いみたいな。

日本で最近増えた無差別テロで、容疑者が語る決まり文句があります。「できるだけ多く殺したかった、誰でもよかった」。これ実は元祖がいて、信仰の対象になっています。小学校に侵入してナイフで児童を襲撃した、2001年の大阪の事件に実はファンが多いのです。

公立ではなく私立の名門小学校だったから、恵まれない生い立ちを自覚する一部が、犯人の思い切った行動に強く感動しました。2005年頃のネットに、その感動的な思いを切々と語る者がずいぶんいたのです。「僕らの側に立ってくれる男に心動かされた」という声の数々。

テロも武勇伝として心の底から感動する、その内訳は共感の心情です。同類の中では感動的でも、アンチには憎悪になるわけで。これは価値の相対性という現象で、美術鑑賞ではこの相対性を心得れば一助となるでしょう。作品を好き嫌いで斬って終わるのではなくて。

「僕はテロを称賛する悪い人たちの気持ちは全く理解できません」と、よい子を演じても無駄です。負け組にも同等の自尊意識はあるわけで、生まれも自己責任と一蹴する冷淡な社会に対し、テロ事件に感動して後に続こうとするアングラ世界があります。感動は善悪を保証しない。

ところで感動対象も時代変化する例で、最近知ったのは映画『駅馬車』でした。名作が続出した1939年のモノクロ映画ですが、アメリカ原住民が白人に襲いかかる脚本の違和感で、今や感動できない映画に転じていました。新世代から凡作と言われているからびっくり。
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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
Posted by現代美術はインチキの詐欺ってホント?