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小学生の頃に納豆を食べながら、不思議な思いがわきました。「自分はなぜこれを食べるのか」。いつから平気なのか区切りがないほど、自然になじんでいたから。「わー何これ?」の体験が一度もないまま。

まず、納豆の香りから何かを連想する、その反応が自分に起きない不思議です。外国人に限らず日本人でも、大人になって初めて食べると香りを何かにたとえますよね。「まるであれみたい」と。派手な部分に注意が集中して、似たものを連想するのが普通です。

この反応は、絵画を見て何を写したのか、描かれた物体を浮かべるのと似ています。「まるであれみたい」と連想し、そちらへ気が向かう脳のはたらきです。こうして、絵画鑑賞は置き換え思考の連想ゲームになりやすい。抽象に対しても、具象で解釈しようと試みる反応です。

納豆をよい香りとは誰も感じないでしょう。横によけて脳内での存在感を小さくし、味の方へ注意を向けているわけです。香りを相手にしないで評価対象から外し、味に照準を合わせて、そこに集中して評価対象にする状態です。発酵食品は全てこの対応で成り立ちます。

だんだん慣れていったのではなく、初めて食べた日に何を感じたのか、覚えがありません。一度も抵抗がなかったから、「大人になれば評価対象の選択と集中がへたになる」という仮説を思ったわけです。

外国の人が苦手な日本食に海産物もあります。コンブやチリメンジャコなど乾物類の磯の香りが、特に中国の人がだめだという。コンビニのおにぎりで、ノリだけはがして捨てる人もいるらしく。何でも食材にする幅広い食文化圏でも、そんな個人の限界はあるようです。
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Posted by現代美術はインチキの詐欺ってホント?