現代美術は自由すぎるから問題か【三大画家タイプとダダ運動タイプ】
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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
現代美術への批判で多い言い方が、「自由過ぎるのはよくない」です。「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし」だとして。程度の問題、というやつ。控えめな自由は好ましく、行き過ぎた自由は好ましくない意味。自由過ぎた作品で美術界が荒れて、庶民と切れてしまったのだと。
この文脈で、ピカソの抽象画は自由過ぎてまずかったと言いたげです。ピカソがもう少し不自由で型にはまった絵にとどめていたら、現代美術のわけわからん状態も緩和し、重いため息気分もなかった話になりそうです。ピカソが『青の時代』『新古典主義』で止めていれば・・・
そんな自由主義批判の考えを、この本では全くとっていません。自由の量的な大小は関係ないという立場です。造形のメチャクチャぶりを制限しない視点です。この本では人類のアートを二つに分けました。自由の分量ではなく、存在の次元で二つに区別しているのです。
すなわち、表現の手法がどこかで一休さんのトンチに替わった時から、美術の崩壊現象が始まったと解釈します。この要領で現代美術を二つに分けると、急に見通しがきくようになります。ピカソ作品を「三大画家タイプ」、市販トラクターを「ダダ運動タイプ」と定義しました。
土木建設で「橋」を造る時、世間がびっくりするような橋の計画が持ち上がったとします。形がへんてこりんだとか、あぜんとする色だとか。連続しない飛び石型でもよいでしょう。この時、どんなに奇妙キテレツな橋でも、ピカソの絵と同じ次元です。ところが誰かが次の案を出したとします。「端をつくろう」。橋ではなく端を。端を繕う。
美術館のトラクター展示がそれです。ピカソとトラクターとも、人々はトンデモにぶっ飛び、不思議で理解できず混乱したり、狂っていると感じるなど、反応の言葉表現が全く同じです。しかしトーク内容が両方とも同じでも、「橋でない端には中味がないよ」「創造の自由はそういう話じゃないよ」と、あいまいにせず解説すべきでしょう。
この文脈で、ピカソの抽象画は自由過ぎてまずかったと言いたげです。ピカソがもう少し不自由で型にはまった絵にとどめていたら、現代美術のわけわからん状態も緩和し、重いため息気分もなかった話になりそうです。ピカソが『青の時代』『新古典主義』で止めていれば・・・
そんな自由主義批判の考えを、この本では全くとっていません。自由の量的な大小は関係ないという立場です。造形のメチャクチャぶりを制限しない視点です。この本では人類のアートを二つに分けました。自由の分量ではなく、存在の次元で二つに区別しているのです。
すなわち、表現の手法がどこかで一休さんのトンチに替わった時から、美術の崩壊現象が始まったと解釈します。この要領で現代美術を二つに分けると、急に見通しがきくようになります。ピカソ作品を「三大画家タイプ」、市販トラクターを「ダダ運動タイプ」と定義しました。
土木建設で「橋」を造る時、世間がびっくりするような橋の計画が持ち上がったとします。形がへんてこりんだとか、あぜんとする色だとか。連続しない飛び石型でもよいでしょう。この時、どんなに奇妙キテレツな橋でも、ピカソの絵と同じ次元です。ところが誰かが次の案を出したとします。「端をつくろう」。橋ではなく端を。端を繕う。
美術館のトラクター展示がそれです。ピカソとトラクターとも、人々はトンデモにぶっ飛び、不思議で理解できず混乱したり、狂っていると感じるなど、反応の言葉表現が全く同じです。しかしトーク内容が両方とも同じでも、「橋でない端には中味がないよ」「創造の自由はそういう話じゃないよ」と、あいまいにせず解説すべきでしょう。
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