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芸術は難しい現代美術はわからない抽象絵画はちょっと・謎を理解する質問回答

美術がわからない原因を解き明かす世界初の試み。作品の意味とは?。価値とは?。画家は何を考えているのか。誰がアートをわからなくした?。ネットの理解法は正解か?。一番役立つ情報は何か?。芸術は人間に必要?。現代アートとは何?。人類の文化に何が起きている?。高度情報化ハイテク文明と芸術の関係は?。

志村けんとチャイコフスキー【新時代に期待という時にまさかの急逝】

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
志村けんのザ・ドリフターズ時代は、歌謡界の尾崎紀世彦似のルックスで、荒井注が抜けたドリフメンバーとうまくつなげました。『8時だよ全員集合』を支えた後の躍進。初主演の映画撮影途中にコロナウイルスの症状が出て、3月29日に急逝しました。

お笑いと芸術には深い関係があります。多くの歴史絵画には、ちょっとしたギャグが混入されています。一見シリアスだけれど、ガクッとくるお馬鹿を混ぜて、芸術の最大の特徴である表現の裂け目を生む手法があります。よくある聖俗反転の技術もそれです。

なのでお笑い系は、演出のキモが芸術と同じ方向へ行くものです。原型のひとつは落語で、変形が漫才やコントです。それらの分野はファンが多いのに、絵画や彫刻のファンが少ないのは、美術界が定義を間違ったせいでしょう。

たとえば絵画鑑賞のツボは、デッサンの腕や手指の器用さや細かさだという、間違い解釈が放置されています。これだと、コントを形態模写や早口で順位づけするみたいな感じです。美術分野ではそうして、作品を難しく考えすぎる国民が増えすぎました。ガイドが嘘だから。

ところで音楽界で、後半にもっと充実するぞという時の急逝は、旅先のレストランの水で流行病コレラに感染したチャイコフスキーでした。4、5、6と調子が出た交響曲が6曲で終わり、9曲の期待は消えました。20世紀まで生きていれば、来日できたかも知れなかったのに。

チャイコフスキーは自身が失敗した『白鳥の湖』の、後世の成功を知らないままでした。ベートーベンほど栄光でなく、シューベルトほど悲惨でなく、パトロンの支援で暮らしていました。一方の志村けんは何人ものパトロン役だったこともあり、落胆が全国に広がっています。
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新型コロナに面した緊縮財政と消費税増税【芸術より日本がわからない】

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
芸術どころか、日本がよくわからない空気です。この23年間の世界各国はインフレ好況で、対して日本だけがデフレ不況です。だから新型コロナウイルスの大流行で、日本では貯蓄のない個人が飢え死にする恐慌になる危険性が高いのです。恐慌とは超デフレのことです。

中国にいる中国人は家に閉じ込められて「お金使いたい」となり、日本は「お金がない」。なぜ日本国民だけお金が足りないのか。原因は国家宗教です。教義は二つ。新たなお金は発行しない。古いお金は回収して消す。難解な話と思われるでしょうが、先に進めましょう。

具体的な政策の名は、「緊縮財政」「消費税増税」です。緊縮財政とは自国通貨の新発行をやめて、国民を貧困化させる策です。消費税増税は今ある自国通貨を回収して、買える物を減らして貧困化させる策です。

ここで大勢の脳内がストップします。国民が守られる前提が担保されている思いがあるからです。親が子を守らず、女児に風呂場で冷水をかけて死なせた事件はあれど、自分には起きない前提です。世の中がベストに動いている見込みです。その見込みは外れます。なぜか。

守られるのは国民よりも、国のお金だからです。日本ではお金を「かけがえのない宝」と考えてきたから、人命よりもむしろ大事にされます。対してアメリカ人や中国人は、お金は道具と考えています。将棋で敵の歩の前に金を打つように、目的が最優先します。

持ち駒のお金は各国で無限に発行できますが、日本では仕組みを知らない人ばかり。だから、生活困窮者への貸金の話ばかりです。日本人だけが、有限の国庫という妄想が強いからで、アメリカや韓国では自国通貨を刷ってばらまいて命を救って完了です。
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消費税0パーセントの提案が出た【美術鑑賞の写実具象のアナロジー】

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日本で美術が低迷する理由ですぐ思い当たるのは、美術界がかもす独特の高尚な雰囲気です。しかし現実の市民レベルの美術鑑賞で、ネックになっているのは写実デッサンです。模写デッサンの腕前が芸術なのだとした定義が間違っていて、理解が閉ざされる現象です。

具象に写実デッサンはあっても、抽象にはありません。だから抽象美術は鑑賞不能となり、入口でいきなりチンプンカンプンになります。陶芸には写実デッサンなどないから、絵と陶芸で芸術とは何かを分けて考えるはめになり、高いハードルになり疎遠になっていきます。

似た現象が経済にもあり、たとえば消費税を0パーセントにする案が与党議員から出されました。しかし国税の定義が間違っているから国民は理解不能です。間違った定義とは財源論です。税金で国の出費をまかなうという、荒唐無稽な解釈です。「財源はどこ?」式の勘違いです。

国税の役目は「貨幣の信任」「インフレ率の制御」「所得格差の縮小」「悪行のけん制」と主に4つあります。独立国にはひとつ以上自国通貨の発行権があり、お金をいくらでも刷れるから、国の予算を執行する財源づくりは、そんな概念からしてあるわけがないのです。

自国が発行元である円は使い放題だと、国民は理解すべきです。しかしお金を土地やレアメタルや名誉のような、かけがえのない貴重品だと信じる日本人は、コロナウイルスの死者数よりも対策費の膨張におびえています。それで、今も消費税が国の屋台骨だと勘違いしています。

これは、写実デッサンを芸術だと信じた瞬間に、アートの全てで誤解になだれ込み、説明不能で放棄する現象と似ています。世界の物理構造をテーブル状の平面だと認識したり、人が空中に浮く現代宗教の人気にも似て、洗脳効果のような根の張り方です。
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チャイコフスキーはキリスト教の掟で死刑になった説【最初から時代錯誤では】

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音楽のチャイコフスキーの死因に突然異論が出されたのは、1978年でした。チャイコフスキーは旅先のレストランの水で、コレラにかかったとされます。新説は、同性愛の罪で有罪となり、判決に従って毒を飲んだ死刑というもの。

これを聞いた著者は、だんだんと新説はおかしいと感じました。というのも、チャイコフスキーにとって世界は、すでに地球規模だったからです。チャイコフスキーはモスクワに住んでいましたが、フランスやイタリアにも住んだことがありました。

しかも遠いアメリカへ演奏旅行しています。航空機もないから船ですが、国際的な作曲家で指揮者としてカーネギーホールへ出演しました。判決に従った説に時代錯誤を感じたのです。20世紀の目に、19世紀が本来よりも古く思える先入観が入っている疑いです。

ウクライナ人のプロコフィエフは、ロシアが社会主義国へ変わった革命後に脱出し、1918年に日本の京都に着いて日本旅行しました。日本のスター作曲家だった山田耕筰がプロコフィエフを世話して、若いが意識の高い人だったと述懐していました。これの25年前です。

死因の新説に、すでに国際社会だった19世紀を、小さいムラ社会でイメージするミスを感じました。座して死を待つ中世と違い、チャイコフスキーは楽々とアメリカや日本へでも逃走できたでしょう。

私たちは、昔は何もない不便な狭い世界だと思いやすい。一因は写真かも知れません。昔の写真は白黒だから、今見るとより古風な時代だった印象を受けます。こういうトリックは今の動画に見る、1980年代のテレビコマーシャルの粗いアナログ映像でも起きています。
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美術のレッテル貼り批判は即ブーメラン【自分が正義で他人は悪の定義】

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レッテル貼りという語が、論争の場によく出ます。実例は「抵抗勢力」「差別主義者」「ポピュリスト」「現代のヒトラー」と悪口が多いような。敵をやっつける目的で、型にはめて丸め込むラベリング効果です。

効用は、先に定義を固めて脳に吹き込みやすくする大衆扇動です。広告産業界で使うキャッチフレーズと同じ仕組みです。ところがそこに意義ありとして割って入るのが、「価値の相対性」という原理です。

レッテル貼りで相手を悪役扱いして、正義顔する習慣の人もいますが、そのレッテル貼り行為を批判しても、論理は悪循環します。なぜなら、「レッテル貼りするやつ」というレッテルを貼っているからです。これが価値の相対性です。

レッテル貼りは美術にも現れます。「傑作だ」「名画だ」なんてのも、典型的なレッテル貼りです。日本の美術界のように良し悪しがわからないと大勢が自覚していて、自由に意見もできない世界では、レッテルは神の声に化けて大手を振るいます。

レッテルを当てにする人があまりに多いと、レッテルが人々を先導する困った秩序がつくられます。レッテルを貼る者はメシのタネになるし、美術家はレッテル欲しさに絵をかきます。アートフェアが日本で流行らないのは、レッテルなしで自分の目だけで見るイベントだから、不安が先に来るからでしょうか。

国内で人気がある画家にも、この件で隠れた悩みがあります。ファンは実は自分のレッテルに集まり、作品を理解していないかも知れない不安です。外国へ出て展示する際に、そこが明らかになることで失意に転じることも、現実にはあったのでしょう。
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日本の美術展に共通する空気【素人に絵の良し悪しは見破れない前提】

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日本国内の美術イベントに共通する、独特の雰囲気があります。それは絵画展覧会やアートイベントの案内サイトや募集メールにも、常について回ります。その正体は「美術をわかる人は一握りのエリートである」という固い前提です。

日本の美術展は、作品を観客に見せてもわからないであろう前提で計画されています。どれを市民に見せないかをまず選別して除去し、どれが価値かを先にレッテル貼りします。決めた価値を観客に伝えて、良さを見出してもらうのが日本式です。庶民は見る目がない前提です。

もう何から何まで、その指導的な雰囲気がガチガチに固定しています。美術家が作品を提出した時点では、スタッフたちも審査結果だけを頼りにするような縁遠さです。みんなで「難しいものを扱っている感」がありありで、非常に高尚で高遠な雰囲気です。

誰もかれも美術は難解だという及び腰の態度で、審査がないと誰も意見ひとつ言えない感じ。アートは全く「人々のもの」になっていません。まるで動物園のワニを扱うように、見るけれど自分の暮らしと関係ないしという感じ。それがメール案内一本からも伝わります。

作品の価値は上が決めて下に伝える流れで、あらゆる美術展がセットされ、だから雰囲気は固くて臭い。実は日本以外は全く違っていて、そもそも落選と称する展示拒否がありません。日本だけが表現の自由からも遠いのに、日本にいると全然気づかないのです。

海外では基本的に全て展示販売会で、展覧会自体が民主的です。審査員は観客全員であり、作者は展示拒否されないし。変な絵をとりあえず遮断する日本とは違う。だから日本で前衛といえば、公序良俗の次元で表現の自由をうたうタイプに集まってしまうのです。造形で前衛をやっても、誰もわからないから。
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経済だけの話題を別ブログに分けました【日本の景気と少子化を考える】

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経済ブログを新たにつくりました。美術と経済は、直接的に関係があります。人が生きていくのに最低限必要なものは空気と水ですが、最高限はやはり美術です。美術は日本では一般化していなくて、熱帯魚を飼う程度に遠いものです。

そんな優先順位の末尾にある美術が、市場でどの程度動いているかは国の経済力の目安です。日本では現代美術が動きにくく、先進文明の風格はない気はします。これは美術を高尚でわからない世界に位置づけた、明治以来のマーケティングもあります。

しかしそうして外からながめるだけではなく、美術が売れるよう経済を立て直すのが先で、それが経済ブログの動機です。大勢が書いているよくある話題とは、全く違う話題が続きます。→https://i.gallerystory.com/nippon

美術の鑑賞で「デッサンを見る目を養いましょう」と指南しないのと同じです。経済は芸術と似て、基本的に大筋で学問的に間違っています。その間違いに至る思考の流れに、人類の運命を感じます。人はこうやって歴史を喪失するという。

経済も芸術も、本来は日常の暮らしに密接なはずが、遠ざかった流れがあります。「経済は人の暮らしに密接」「芸術も暮らしに密接」という本質論どおりにいかず、現代日本人の心から遠いのは各カテゴリーへのブログ参加数でもわかります。

経済もまた「難しい、わからない、抽象はちょっと」の状態です。そしてまた芸術と同じように、社会全体に「ガンコな一般説」があり、それが日本は他国と正反対なのです。具体的には財源論と呼ぶデマが日本に浸透しています。
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音楽人気に潜む不協和音【モーツァルトやベートーベンから進まない】

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クラシック音楽の人気は広がっています。しかしやはりどうしても生じてしまうのが、古典の古株作曲家からなかなか脱出できない問題です。コンサートがそうで、モーツァルトやベートーベンからなかなか出られていません。

19世紀の作曲家チャイコフスキーの曲というだけでも、むしろ新しい方に入るような感じがあるのです。実際のクラシックファンはもっと新しいソフトをコレクションしているものですが、コンサートとしてお客を集めるなら、限られた古典名曲に戻ってしまいます。

この現象はかつて、アメリカ称賛と日本批判の風潮の中で、時々出てきたものです。アメリカではまず、コンサートは指揮者とオーケストラの紹介だけです。曲目を目玉として宣伝しなかったという。お客は会場で初めて曲目を知り、現代音楽でも平気だという。

日本のお客は知っているなじみの曲を狙い、知らない曲を避けてコンサートを選ぶ行動です。演奏が誰かより、曲目が決定的に人を集めます。美術で印象派絵画展がダントツの人気で、モダンアートでは人が集まらない現象と似ている面があります。

これの解決は難しく、各曲それぞれのよさを教えて学ばせるのは、全く無意味とわかります。単に知る範囲を広げているだけで、知らない新作に対応できない点は変わりがないからです。

それは体験の少なさが原因か、それとも根本的に作品に対面する心がまえに色がついているのか。見解の収束はないようです。知っている範囲に愛着が片寄る限界は誰にもあるから、そこに挑戦することが現代芸術の目的みたいになってはいます。
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パソコンマニュアルの壮大な無駄と人の命の存続【Windows版 MS-Office】

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著者は企業のサーバー管理者時代に、家庭でPCを買うのは遅れました。『日本ゲートウェイ2000』製の世界最高速パソコンを買いました。SCSIハードドライブとカードで7万円以上プラスし、Windows 3.1入りで41万円と1995年当時安かった。他社なら60万円クラス。21インチブラウン管モニターは別途15万円で。

高さ58センチのフルタワー型で、ファン音が非常に大きく、SCSIディスクはギリギリカチカチ盛大に音を立てて頼もしかった。いかにもアメリカンな巨大ぶり。もうひとつ目を引いたのが、添付されていたオフィススイート『MS-Office Ver.4.3プロフェッショナル』でした。

日本で8万8千円だったこのビジネスアプリケーションソフトの外箱が、上から見ると正方形だったのです。マニュアル全冊を合計した厚みが、マニュアルの幅に等しく、広辞苑の2倍に見えるほど。

そのマニュアルの読破は、一般ユーザーには多すぎて不可能です。だからソフトの参考書やわかるシリーズが、書店で飛ぶように売れました。1995年は全世界でネットがまだ知られない頃で、ドライバーソフトのアップデートは、CD-ROMを郵送した頃でした。

マニュアルの厚さは何を意味するのか。日本法人の誰かが徹夜で執筆したわけです。ワープロ『WORD』は『一太郎』への対抗馬として日本で設計され、マニュアル文の多くは日本人が作ったはず。しかし次の『バージョン95』で、膨大なマニュアルは旧式化し全て捨てられました。

使い捨てられた仕事は、しかし無駄ではなく当時の経済繁栄でした。現今の無料で教え合う慣習だと、人類の仕事は消えていきます。いずれ人類の経済活動は少し残るだけになり、各国の国民は自分をどう食わせるかを民主的に決める日が来るでしょう。それはAI以前に来ます。
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音楽業界にアコースティックベースが増えてきた理由【アンプラグドの生音回帰】

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ポピュラー音楽には音作りの歴史があります。音づくりとは、楽器の種類と演奏法に、録音機材も含め音質の時代色もあります。1960年代にくらべて、1970年代の音楽は音づくりが腰高になりました。60年代はダンダン鳴っていたリズムが、70年代はタンタンと軽く乾いた音に変わりました。

理由はいくつもあり、まずベースギターの奏法にサムピッキングやチョッパー、タッピングが生まれ、スタッカートを多用したこと。そしてレコードへ入れる演奏時間が伸びた分、溝のゆれを小さくするために、ベースギターの音量を小さくしたのです。

それは技術面ですが、やはり社会が軽快な音楽を求めた面があったでしょう。しかし80年代にはもうデジタル録音になり、そして世界的な景気向上です。20ヘルツの重低音も大きく録音できるようになり、ゆったり朗々と深々としたゴージャスな音に変化しました。

ちなみにその音作りを率先したのは、フュージョン系のデイブ・グルーシンだという説がありました。ところが90年代に、急にアコースティックベースが増えたのです。ポピュラー音楽のスタジオ盤録音は、スタジオミュージシャンが行い、そこも生楽器のブームです。

ジャズ系とロック系の混成曲が増えたからでしょうか。流行語となったアンプラグドを経て、日本の歌謡系も世界の流れどおりです。70年代のフォークグループはアコースティックベースを使っていましたが、40年もたってまたアコベの曲が増えているようです。

コマーシャル曲でも、アコースティックな曲が増えています。木質の生音が電磁ピックアップで再現が困難と、大勢が耳で感じているのでしょう。進歩主義的な、より無機質に宇宙的にとはなっておらず、ふるさとを思わせる音楽に戻っています。
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芸術ではないと法律で決まっているアート【球・キューブ・幾何学立体図形】

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素人のアート彫刻の中で比較的しゃれて見えるのが、球形や立方体などのオブジェです。アートしてますって感じに見えます。ところがボール形やキューブ形は、芸術作品ではないのです。芸術ではないことを法律できちんと決めてあります。

芸術表現の法的な要件として、独創性があるので、作者の著作権が保護されます。その独創性がないもののひとつに、幾何学立体があります。長方形や立方体、円柱や球体などです。それらは数学的な定理のような決まりごとになっていて、形態に独創性を認めないのです。

従って木彫などで球形の彫刻を作っても、それを他人に模倣された時に文句が言えません。「あなたの独自の形ではありませんから」で退けられます。芸術作品としての存在を認められないわけです。

だから逆に、駆け出しの素人がとりあえず何かやるなら、ボール形でも作れば型にはまってかっこがつき、盗作で訴えられもしない利便性があります。デザイン界でも球形や立方体の電気製品などは、意匠盗用を免れやすくなります。

ところが見る側は、幾何学立体の彫刻にアートらしさを感じてしまいます。人の関心がオリジナリティーよりも、ムードに向かうからと思われます。芸術作品はムーディーなグッズの面もあるから、そういうものではあるのですが。

20世紀のダダ運動とポップアートでは、同じはめはずしを行いました。既存物をアートと申告すれば、アートになるアイデアでした。おもちゃ店で買った人形を、僕のアートですと言えば美術館が1億円で買うなどです。それも現代アート嫌いの人が増えた理由ではと感じます。
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芸術の特徴は表現の裂け目とは難しい話か【おいしい生活のキャッチコピー】

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バブル時代は悪い時代だったと若者は思っていますが、実は異なります。バブル時代は国民がたくさん体験し、たくさん学べた時代でした。若者の大半が車を持ち、異性交遊が盛んなイメージに隠れがちですが、物知りになれた時代でした。海外と国内旅行とも流行ったし。

バブル時代の前夜に起きたのは、国鉄民営化や電電公社民営化でした。これは新自由主義経済の民営化思想であり、競争原理を導入して価格破壊でデフレに向かわせる政策です。

デフレにしたら国が滅ぶと恐れるのは、現にそうなった今の感覚です。当時は物が売れてインフレだったから、消費を冷却する必要でデフレ化を行いました。物の売れすぎを心配する幸せな時代だったのです。

その前夜に流行ったキャッチフレーズが、「おいしい生活」でした。広告コピーライターの糸井重里の発案で、日本語としては間違いですが、誰もがわかるおもしろ概念で理解されました。「アホか、生活をどう食べるんだ?」とマジになる人のいない寛容な時代です。

好景気だと、抽象概念を理解する心のふところが大きくなります。鑑賞する気持ちに余裕ができるのです。昭和末期の広告を集めた記録サイトや動画を今見直すと、浮かれてぶっ飛んだ時代に感じるのは、今の時代感覚が狭く縮んで閉じこもるせいでしょう。令和時代は暗い。

著者は「芸術の特徴は表現の裂け目である」という、「おいしい生活」みたいな言い方を考えた時、もっと簡単な言い方も検討しました。表現の裂け目とは、キャンバス画の布をナイフで切る話ではありません。二律背反のような意味です。美術の価値は、具象画さえ抽象領域にある話をしてきました。
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絵が上手でも世界の巨匠に遠い理由【ロックギターのカリスマの神演奏】

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動画サイトにギター教室の先生の演奏がたくさん出ています。エレクトリックギターで、色々な技法のお手本を示しています。ハーモニックスとか、両手の指で同時にはじくとか、ものすごい速弾きや、細かいバッキングストロークも説明してみせます。

何でこんなにうまいのかと意見が集まります。ここまで弾けたら夢のようだという声。世界一だという声。一方同じ動画サイトに、往年の英国ロックギタリストがデモ演奏する映像がありました。「僕はこんなふうに弾いてきたのさ」と神の技を披露してみせます。

「ずいぶんへただなあ」というリスナーの声。この程度の人だったっけと。世界の十指に入り、三大ギタリストと称賛されたスーパースターが雑に聴こえて、行き届かない演奏にがっかりした声が続きます。これはいったいどういうことでしょう。

往年の天才が歳をとって衰えたのか。伸びてきた後輩に抜かれた世代交替か。実は簡単な話で、彼らは演奏が上手でスターに君臨したわけではないのです。作曲と編曲が画期的で、おもしろくて充実しているから、レコードがヒットしてカリスマのスターになったのです。

つまり曲の充実と、演奏技術の高さは別です。世界のロックギターの原点、アメリカのジミ・ヘンドリックスも、上手なイメージとは次元が違います。作編曲と革新的な新技法が評価されました。正確に音を出す、教官並みの模範演奏ぶりを評価されたナンバーワンではなくて。

絵画教室の先生の絵と、ゴッホの絵の差が似ているでしょう。ゴッホは絵が上手だからではなく、絵が変わっているから巨匠とされたのです。ところが現代人は、絵が上手な順番で巨匠になるのだろうという先入観を持って鑑賞に挑むから、首をかしげてしまうわけです。
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高級筆ファンと油彩画制作画材へのこだわり【セーブル筆って何?】

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画家は筆や用紙などの画材にこだわるイメージが、世間にあるかも知れません。逆に、弘法は筆を選ばずだろうと思えるかも知れません。実際には、誰もが一度は画材を色々試す時期があり、色々こることも多いのです。画材店に行けば、おもしろグッズの魅力もあります。

筆の購入時に、穂の毛がのりで固められていることがあります。油彩画ではゴワゴワした白い豚毛の筆もありますが、液状の絵具を塗るなら、油彩、アクリルとも、軟らかい馬の毛が多いようで。サイズの号数があり、おろしたての穂の直径が8号筆なら8ミリ弱、18号なら18ミリ程度です。平筆は毛の量が同じ。数字の意味がそうかは不明です。

高級筆の世界があります。8号筆で普通は1200円程度なのに、セーブル筆は19000円以上だった頃があります。そんなに高価なのはなぜか。毛皮と同じです。高級な毛皮といえば、まずミンクを浮かべるでしょう。それより何倍も高価な最高級品は、テンです。

ミンクもテンも胴長の小動物で、肉食で強じんな牙を持ち凶暴です。テンは別名がいくつもあり、マーテン、ストウト、アーミン、そしてセーブルも同じ動物の別名です。フィッシャーはそっくりの大型の別種で。最高級の毛皮の毛を使った筆が、セーブル筆というわけです。その名のメーカーもありますが。

昔画材店でたずねて、セーブル筆の根強いファンがいると聞きました。著者が絵をかいてすぐに気づいたのは、筆が普通よりも安物だとまともに描けないことでした。安価な筆は毛の太い細いが混じり、穂がすぐにばらつきます。書道のハネやハライの線が伸びず荒れます。

安価なナイロン筆も増えていますが、馬の毛にくらべて使えなかった覚えがあります。人工より天然が支持されるのは、性能に大差があるからです。画材は音楽の楽器に似て、フィーリングだけでなく結果も大きく左右します。製品がピンキリだから、弘法は筆を選ぶハメになります。
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高校より大学の数学が難しいのはなぜ【因数分解、線形代数、統計】

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大学の数学や物理を履修する人は少ないと思われ、その理由はおそらく文科系科目にくらべて難解だからでしょう。大学の一般科目の数学といえば、まず微分積分に、因数分解、線形代数、統計などです。

このうち微分積分と因数分解は高校の科目にもあるから、トンデモな公式などは新たに出現せず、見覚えのあるものが出てきます。ところが教科書の中味はけっこう複雑で、説明の後に出ている問題も容易に回答できない難問ばかりです。

同じ感覚は物理でも起きます。原理は難しくないのに、計算するとやたら難しい。チームの中で各人の答をくらべると、皆数字が違っていたりするのです。高校で学んで覚えたことの延長にすぎないのに、なぜ難易度が大きく上がるのでしょう。

大きい理由は誤差です。高校物理のテストでは、正解は12メートルだとか、7.5グラムなど簡単な数字で出ます。そうなるよう最初から問題がうまく仕組んであります。これが大学の物理だと、14.5206など無限に数字が続きます。循環はせず、単に割り切れないのです。

高校では割り切れる数字が出れば「これが正解らしい」とマルの予感があり、達成感や爽快感で気持ちが上向きます。もし割り切れずに端数が続けば、どこかで計算を間違ったと自己診断できました。その勇気づけのヒントが、大学の科目ではありません。計算作業に追い風が吹かないのです。

現実の世が似ています。仕事でもプライベートでも割り切れず端数が出てくるから、ナイスな快適感がなく行動が止まりやすいのです。選挙なども似て、自分と完全一致する候補者を求めれば棄権しかありません。美術鑑賞でも、割り切れない作品ばかりなのが本来で、そこが芸術のよいところなはずでしょう。
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古典美術の鑑賞は現代アートより難しい【昭和歌謡は懐古趣味か】

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昭和の歌謡曲や懐メロを耳にすると、古い時代を感じます。懐かしい面もあるし、古くさいともいえます。この現象についても、わかっていても混乱が生じやすい部分があります。当時の人が古風な曲を愛していた印象を、何となく持つからです。

実際には当時の人の耳には、新鮮で画期的で今ふうだったのです。言われてみれば誰もが納得します。昔の人はあえて古い感覚を好んだわけはないはず。後世のテクノ音楽とくらべて、昔ふうを故意に選んだわけでもなく。当時の最新鋭がその歌謡曲だったわけで。

むしろ当時の人々の実感では、「新しいだけのちゃらちゃらした音楽は取り締まれよ」「良き日本の伝統を壊す音楽には反対」ではなかったでしょうか。「新しがりも、ほどほどにしてね」と。

しかし今の人は、自分の時代感覚と混線します。「こんな古くさい曲が好きな当時の人は、懐古趣味的な後向きの性格だったのだな」と、事実と合わない実感を何となく持ってしまいやすい。

「そうじゃない、2020年に出たJポップは、1950年に出た歌謡曲と同じポジションでしょ」と理屈でわかっても、実感は伴いません。「昔の人の古い感覚」という言い方に、「今の人は古い感覚など卒業している」「今の人はパーフェクト」という誇りがあるみたいで。

それぞれの時代の先端クリエイターが、以前はなかった音楽を送り出しています。なのに後で振り返ると、「当時の人は古典をつくって愛好していた」という間違ったイメージを私たちは持ちやすいのです。時間をめぐるこの溝は、今日でも作品鑑賞の根幹に関わります。
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日本とドイツで上昇中の抽象フラッグシップ【吉祥寺の美術ギャラリー】

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東京の武蔵野市吉祥寺(きちじょうじ)で浮かべるのは、音楽のジャズバーの集中でしょう。老舗も含めて、吉祥寺駅近くに10軒前後が集まっています。今ではプロのライブ演奏も増えているようで、酒類が中心のジャズバーというわけです。ニューヨークふうの気分。

前身は1970年代のジャズ喫茶で、コーヒー一杯でレコードから一曲をリクエストするあれ。モダンジャズの名曲や新曲を、大型スピーカーシステムで聴く趣向でした。アメリカJBL社の15インチ低音用2発と、4インチ中音用が鳴らす、ゴリゴリした厚いサウンドが当時は一番人気でした。

その吉祥寺にある画廊で、個展がよい手応えだったと聞きました。銀座より少ないお客でもよい感じで、「難しい絵」も売れたらしい。昭和の「アートの街づくり」を思い出しました。今の現代アートフェスティバルと少し違い、美術が日常化を目指していた頃です。

現代アートがハレの場を前提として、日常には顔を出さない傾向が日本美術の特殊化です。「美術は普段は不要で、たまに特別イベントに行く程度」と、殿堂のハイカルチャーに高止まりしている状態です。これだと、日常的な市場を求めて美術家は海外へ出てしまいます。

欧米のアートは日常的に売買されていて、日本の街もそうしなければと思い。23区の外にある吉祥寺もいいねと感じました。

最近この絵画を手にしました。ドイツでは好評で「日本では売れないがドイツでは売れる」の好例と思いきや、日本にも買う人が増え始めたそうです。となれば、後は景気を上げる財政出動で、節約疲れを脱するのみか。
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昔の人は芸術作品を理解していた?【ゴッホを難しく感じたのは誰か】

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よくある言い方。「僕は凡人だから難しい芸術はわかりません」。この言い方の裏には、普通でない超越した世界が芸術だという見立てがあります。そんな面もあるのですが、作品の超越にはじき飛ばされたと自分で感じた人はまれです。

例によってゴッホ絵画で考えると、周囲も画壇も画商も「わけがわかんない」「ぶっ飛んでる」「僕はついて行けねえ」の反応ではなかったのです。「ゴッホとかいうやつの絵はどれだって」「あ、それがそう?、全然だめね」「へたすぎ」。「しょうもな」で終わっているのです。

「僕の理解を超えている」と、ぶっ飛んでなんかいません。むしろ反対に、ゴッホは話にならないと、当時見た人はしっかりと理解しているのです。「理解を超えていたゴッホ」の指摘は人々の実感と違う。周囲は理解した自分を体験しています。

ピカソのように大勢があぜんとした絵画でさえ、「難しくてわからん」の反応ではなく「狂っている」でした。鑑賞客は自分のふがいなさを実感はしません。理解力のない僕ではなく、変な画家と感じたまでの話です。「芸術は理解されない」という言い方は、何か違うのです。

全ての一部始終は、後世になって解明されるわけです。今になって昔を見返した感覚は、今現在に対しては全く応用できません。今出てきた新興作品を見る時に、やっぱり私たちは排撃して終わるのです。その排撃する人は、「芸術がわからない僕」を自覚はしません。

それを裏づけるように、日本でにぎわうのは古典美術です。もう終わって答が出た分野に人が集まります。現代美術で人を集めるには、特別な話題性が求められ、タレントのゲスト出演などに依存しがちです。結局はわかるかどうかは売れ行きに表れ、売れない国はわかっていない国であろうと想像できます。
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グレタさんの国連低炭素社会演説【対ジェノサイドの正義漢ヒトラー】

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
善悪の区別は難しいという芸術的な悩み。スウェーデンのグレタさんの「経済優先を捨て、二酸化炭素をゼロにしたまえ」。少年少女は大賛成でも、大人たちが続かないのは金だと言っても意味が違っていて。お金イコール命である現実を知るせいもあります。地球は間氷期で、寒冷化対策が先決との科学知識は別にして。

経済成長を止めれば当然貧困化しますが、人類が等しく貧困化はしません。弱者にしわよせが集中します。経済がマイナス成長だと人口が減りますが、被害国は片寄ります。ジェノサイド(民族消去)が浮かんだ大人もいるでしょう。

経済縮小して世界70億人を50億人に減らせば、地球の汚れは明確に減るでしょう。ただ地球を汚すなと言う者は、自分は生き残る側にいる前提と思われます。「僕は今日遺体となり、命を捧げて温室効果ガスを削減します」と言わない身で、経済を止めろと言いにくいのです。

他人の生命が削減されるのはかまわないのでは、「今だけ、カネだけ、自分だけ」と変わりません。闘争や共食いをけしかけて、わが身はぬくぬくはだめ。飛行機に乗っても許される地位を決めるなら、結局は優生思想です。19人刺殺が優生思想の典型でした。

優生思想へ傾斜したナチスのヒトラーも、やはり正論をぶって国際社会から拍手を受けたスタートでした。ヒトラーは役に立つ人間と立たない人間を分ける、きっちりした正義の人でした。変態的な美術を集め焼却するイベントを開催し、ゴッホも含まれました。

戦後の日本は、資源エネルギーを費やし工業力で儲けました。そのお金を国連など国際団体に拠出し、アジアやアフリカへの政府援助で子どもの死を減らしてきました。日本が途上国に贈ってきたお金を、先進国が欲しがる時代なのか。元は原発推進目的だった二酸化炭素ビジネスが、どう変転するかも気になります。
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振り込め詐欺と日本経済のおもしろい、くない関係【国の無駄づかい】

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
勘違いしている人の浮きっぷりはすさまじいもので、平成以降の日本は二つの現象が浮き立っています。ひとつは振り込め詐欺です。筋書きの一切が虚構で、事実は一カ所もないのに、当人は必死すぎて周囲はどうしてよいやら。

銀行でまとまった大金を下ろした親がいました。振り込め詐欺の特徴を見抜いた銀行員は、それは息子でなくニセ者だと疑ったのです。しかし親は疑われた怒りと息子への思いで、銀行員に殴りかかって結局振り込んだ実話がありました。親の実感としては「あんたは思い込みが激しい銀行員だよ」「ったく失礼な」。

別のケースで、パトロール中の警官が「それは怪しいから少し話を聞きませんか」と言い寄ると、警官を突き飛ばして入金しようとした人もいたそう。「何も知らないポリ公が」「権力の横暴」と怒り心頭。勘違いした人の思い込みは、勘違いしていない人の予想を超えます。

結局だまし取られた親は、ふさぎ込んでうつ病や認知症となり、精神科に入院したり自殺や急病死しているとの統計がありました。だまされている最中の人たちが本気で地獄へ突き進む力強さは、日本の経済停滞でも同じことがいえるでしょう。

「日本の貧困の解決には、もっともっと経費削減して、国の無駄をなくせ」と国民は殺気立ち始めました。お金を使わないせいで貧困化したのに、振り込め以上の哀れな笑い話です。国の出費(国債発行)が民間への貨幣注入となる基本原理を知らない人たちが、本気で地獄へ突き進む力強さ。勘違いしている人の浮きっぷりはすさまじい。

これは足の凍傷が悪化した人に、「冷水では手ぬるいからドライアイスで冷やせ」と同じ。とことん無駄を減らしたから、とことん貧困化したのに、事実と統計数字に殴りかかり、突き飛ばして悪化させるよう叫ぶ人の顔は怖すぎ。勘違いしている人の浮きっぷりはすさまじい。
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