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芸術は難しい現代美術はわからない抽象絵画はちょっと・謎を理解する質問回答

美術がわからない原因を解き明かす世界初の試み。作品の意味とは?。価値とは?。画家は何を考えているのか。誰がアートをわからなくした?。ネットの理解法は正解か?。一番役立つ情報は何か?。芸術は人間に必要?。現代アートとは何?。人類の文化に何が起きている?。高度情報化ハイテク文明と芸術の関係は?。

コロナGoToトラベルキャンペーン批判の怪【善悪が逆転した混乱】

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
一般には、日本の美術分野が不調で市場も小さい最大原因は、日本人がアート作品を鑑賞する目が古風すぎるから、世界との落差がありすぎて価値観がかい離している問題です。業界人にまでその傾向が強く、ただし問題の内訳は一色ではありません。

鑑賞者が美術へ不満をぶつけている場面で、全くあべこべの憤慨だったりします。「展示会へ行くと変な作品ばかりだったが、普通のちゃんとした作品を見たかった」。「わけのわからない物が流行っているからつまらない」。しかしこれだと、辛いカレーは困る、熱いラーメンは困るみたいな奇妙さです。

普通のちゃんとした、わけのわかる作品は皆の心得としてすでにあるのだから、今の創造だとは呼べません。得点ポイントが、減点ポイントへ裏返っています。この傾向は全世界にあるにせよ、程度の激しい日本は創造の前線にならず、美術後進国にイメージされています。

このように「けしからん」の理由がまるきり逆さまな現象が、今日本を騒がせているGoToトラベルキャンペーンにもあります。GoToトラベルキャンペーンは、コロナ休業で収入が95パーセントも消えた旅行産業や交通会社や行楽地へ、金銭をばらまく旅行割引政策です。

国民が腹を立てるのは、納めた税金を特定業界に与える不満です。これこそが迷信で、国税は財源ではなく市場にだぶつく通貨の間引きです。旅費の割引は国債発行(財務省証券仮払い)で埋めるから、ばらまきが多額なほどGDP減少が埋まり正常化します。国民の怒りとは逆。

GoToトラベルキャンペーンは、国民に旅させずにお金だけ関連業界にばらまけば正解です。しかし国債発行すると国が破綻する真っ赤な嘘が日本に浸透しすぎており、半額を国民に拠出させて国庫を半分守る妄想で、感染記録更新が続く最中なのに人の行き来を歓迎する奇妙さです。
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若いカリスマリーダーの儲け話が大流行【インスタレーションを連想】

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大きく儲ける方法を指南する若いカリスマリーダーに共通する理念は、新自由主義経済とグローバリズムへの強い傾斜と、ミクロの視点の徹底です。国全体のマクロ経済や合成現象にかまうな、自分が大事で他人にかまうなという信念です。つき合う人の選別法とか。

まず徹底的に「今・金・自分を中心に」です。嫌なら滅びろ、自己責任だという論調。自分のためになることに徹しろ、無駄なことをやるな。できるやつは素晴らしいが、だめなやつに近づくな。君は情けない人間になりたくないだろ、と。

「日本は落ちるだけさ」という未来展望も共通します。落ちる理由は、だめ人間の多さだという。自分だけは上昇せよという、その気概がカリスマ人気です。物をできるだけ持つな、マイカーはシェアできて不要、無駄な物を買うやつは愚かな人間だと。当然、東京からの目線です。

実はこれ、経済思想の流行です。1980年代の国鉄と電電公社の民営化から始まったトレンドです。ケインズ理論否定から始まったミルトン・フリードマンらによる、ピープルの貧困化と社畜化の階級闘争です。1970年代までは逆の価値観でした。アポロ宇宙船の時代までは。

近年に多くが胸に抱く新しい道徳は、経済グループの思想洗脳でした。ところが歴史は波のように寄せて返します。流行の一コマに添い遂げられるか。1980年代半ばに大流行した、インスタレーション美術を連想します。床に砂をまき、家電ゴミを積み上げたアート作品群でした。

あの時は「キャンバスに絵具を塗る時代は永久に終わりを告げた」と、そういうトレンドでした。そのリーダーたちは早晩飽きられた後、ゲルハルト・リヒターなどキャンバスに絵具の時代へ、また戻っています。芸術はマテリアルの斬新でなく、表現の裂け目だから当然の展開。
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地域祭の気分を伝える叙情作がドイツで成功【現代アート絵画塾】

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日本の美術家Panet Per

日本のコロナ騒動の発端となったダイアモンドプリンセス号事件の6日前に、ドイツのジャパン・フェスティバル・ベルリンに陣取った、著者主催のグループ展がお開きになりました。現地スタッフの機転で、滑り込みで最後に買い手がついたのがこれです。

夏の雲が見える夕暮れ。祭の楽しい雰囲気とともに、メランコリックな気分を伝える画です。思い出のような、未来を夢見るような。暑い盛りを今年も越えて、秋に向かうしんみり感もあります。先祖の慰霊と豊作祈願、天地への感謝が記号化されています。

準備中の当時は、台風で河川の氾濫と犠牲が続きました。荒れた国土を子孫に残す新自由主義経済の緊縮財政と、グローバリズムの地域性破壊という政策の潮流でした。コスパ優先で地方を寸断していく構造改革。それらの反対にあるのが、地縁や共同体を結束させる地域祭です。

原画は千代紙やデザインペーパーのクラフトで、「現代の浮世絵」で総称できます。精密撮影して現地で刷った、アートプリント(ジクレー)です。原画は経年で色抜けが予想されるから、高精細な画像にしてプリント作品をつくると永遠です。

作者の自薦候補の一点で、「これが一押し」とすぐ決まり改良もはかどりました。改良とは販売成功率を上げるために、日欧の壁を越えるアシスト・オプションです。デジタル編集も含みます。その日欧の壁とは、展覧会の形式の違いで生じます。日本はコンテスト。

欧米はアートフェア。フェアはお客全員が審査員だから、拾う神も多くなり妥協なしに挑戦できます。しかし人は評価する時より、買う時の方が本気で見てチェックします。しかも会場内限りの制作競技とは違い、市内の他のフェア作品とも競合します。売れやすいけれど売れにくい。そこで作戦を立てます。
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映画ロボコップが現代経済論に出てくる理由【郵政民営化と似た展開】

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世界的なコロナ騒動で急浮上した支障が、新自由主義経済とグローバリズムです。病院や保健所を削減したのが、新自由主義による構造改革。人の出入りを自由にしたのが、グローバリズムによる国境の開放。そうした防疫の脆弱性を、想定外のコロナが世界に示しました。

新自由主義とグローバリズムは長く日本でも流行し、比較的新しい支障は郵政民営化でした。こうした経済の話題でよく出るのが、警察の民営化がテーマの映画『ロボコップ』(1987)です。ロボット警官が活躍する背景として、官業をまかされた民間企業の横暴が描かれます。

官業の欠点で多く指摘されるのが、採算を度外視した経費の無駄です。「民営化すれば採算を度内視できて、黒字を出せて株主の利益になり、バラ色のハッピー」が、新自由主義の主張でした。もちろん我田引水のレントシーキングです。世界は同時不況、日本も貧困化しました。

官業が垂れ流す赤字は国民に流れ、無駄が多いほど美容院もスーパーも時給が上がる経済波及効果があります。無駄が目についた昭和に所得が伸びて、GDPが世界2位になったのは道理です。国の無駄は、民間所得を増やす通貨発行を伴うからです。そこに気づいた対恐慌政策が、新自由主義の対極となるケインズ理論でした。

話を戻せば『ロボコップ3』で民間警察会社は、株主の利益追求に障害となる住民を暗殺する作戦を進めます。日本でも警察権を民間が持つ筋書きは、1960年代から望月三起也が繰り返し漫画にしました。『ワイルド7』の鉄道警官隊や『ジャパッシュ』の公安権委譲団体とか。

国営は通常、インフラや非収益部門や採算が合わない分野です。郵政を民営化した理由も、レントシーキングでした。ゆうちょ銀行の300兆円に外資が目をつけ、国民は虚偽説明を受けジャンク債を買わされ、サブプライムローンに似たグレーな損失です。保険勧誘の不正へ続きます。
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ダーウィンの進化論は今も発展し続けている【素人は取り残された感】

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著者は生物の進化論に関し、一時多くの本を読みました。ネットがない時代で、今より布教プロパガンダもゆるい頃。布教プロパガンダとは、神が人間をつくった創造説を唱える宗教の視点で拡散させた宣伝を指します。「進化論は科学的に否定済み」という宗教保護用のデマです。

顕著な衝突はアメリカで、神が人間をつくったと州の小学校で教えるのは憲法違反だとする訴訟がありました。うちの子に神話を教え込まないでという告発です。背景はキリスト教徒の多さ。ロシアや中国にアンチ進化論が多発しないのは、神が流行らない国だからでしょう。

著者が注目したのは誤解の多さでした。「人は猿から進化したなど僕は信じないぞ」の怒りは空回りです。なぜならダーウィンの仮説は「人と猿は共通する生物から分岐した」であり、「人の祖先は猿」とは書いていません。読者は自ら誤読してカッカしています。

「キリンの首はなぜ長い?」の仮説でも、「高い木の葉を食べようと首を伸ばすうちに首が伸びたのが進化論だ」と誤読されています。「誰がそんな馬鹿を信じるのか?」「俺が首を伸ばしても身長は伸びないし」と、誤解釈した進化論への非難が集まります。

そもそも「キリンが背伸びして首がストレッチされた俗説は嘘だろ」と唱えた人が、ダーウィンだったのです。ダーウィンの説は「偶発の突然変異が有利にはたらき、適者生存を獲得した」自然選択説です。たまたまの事件がサバンナで有利となり、首が長い個体が残った仮説です。

めちゃくちゃ多い誤解は、進化イコール高度化という早合点です。能力向上やグレードアップに話がそれるという、劣性遺伝と似た誤読です。その後は傍証の研究が進み、進化論は定説となっています。進化の突然変異は芸術の現れ方に似ており、誤解も似ているかも知れません。
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人それぞれ論や好き嫌い論を持ち出さない理由【表現への許容の狭さ】

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音楽の動画にこういうのがあります。「自分はこういうアルバムが好きです」。ベストアルバム二十枚とかを紹介する映像。すると次の意見が必ず投稿されます。「要は人それぞれってことでしょ」。「個人の好き嫌いで自由に聴けばいいんですよ」。

人それぞれも、個人の好き嫌いの自由も、むろん最初から大前提です。なのに、わざわざ念押しするのはなぜなのか。こうした奇妙な書き込みがネットの色々な場面で目に入ります。そういえば、過去の雑誌の読者投稿にもありました。またかと冷えた思いになります。

わかりきった前提条件をわざわざ告げる動機は、こうかも知れません。「あなたの好きなアルバムに僕は同意できません」「選定は僕の趣味に合わず不満です」「あなたに改めさせる権利は僕にないから好きにしてください」。どうも異論を突き離す反応ではないかと。

つまり、自分が嫌いなアルバムを推して、好きなアルバムを推さないすれ違いに不満があるのです。自分と一致しないストレスが、やるせない思いとなって、あんな言い方になっているのではないでしょうか。

自分と一致しないことを不快な体験と受け取り、ひそかに被害意識を持つ。これは日本人が昔から言われてきた、自分と違うものに対する過度な警戒心と、排他的な行動の表れにみえるのです。相手が自分と全く同じでないとがまんならず、違う部分を放置できないタチでしょう。

「君はそう思う、僕はこう思う」という対等関係にできず、「僕と違う君は、僕からみて間違っている」と善悪のかたちをとる思考のパターンです。他人の異なる意見を自分への攻撃とみて、反撃しているのです。美術鑑賞の許容の限界も、これと似た現象かも知れません。
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テクニックがあれば表現したいことが可能になる【という最多の誤解】

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ロックギターの演奏テクニックが高いほど、その音楽の芸術性が高いのかという議論があります。ここで前に書いたのは、往年のビッグスターが弾いてみせた動画が思ったほどテクがないから、がっかりした日本人が何人も「これなら自分の方がうまい」と投稿した件でした。

「テクニックがあっても芸術性が高いとはいえない」の命題は、直ちに誤解される議論の代表です。大づかみに受け取れない人が多いし、極論だよそんなのと言う反発もあります。その反発の裏には、テクニックの延長に芸術が付加されるという思い込みがあるのです。

テクニックを極めた者が、その上に積み上げて芸術性を開花させるという誤解は、日本に非常に多くみられます。その誤解は次の言い方に集約されているでしょう。「ピカソの若い頃の写実画はすごかった」。ピカソを巨匠とみなす根拠は、写実の腕だと思っているのです。

実はピカソの写実画は精度が高くもなく、写実画の達人は他に大勢います。このインサイダー情報がないなら、「ピカソは写実が上手だから、わけのわからない抽象画に飛躍できた」と因果を結び付けやすい。具象ができてこそ抽象ができるという、こじつけたコース取りです。

「セザンヌも写実がうまかった」と歴史修正まで起きています。セザンヌは写実の腕が全く不足していて、タブローだけでなくスケッチ画も、たとえば人の手を描くと不器用丸出しです。立体的に空間を描写する技術が、人一倍なかった人です。だからコネ以外全て落選したし。

「テクニックと芸術は別」の命題が出るたびに、「基礎技術があってこそ芸術が成り立つ」を信じる一群がどっと現れてきます。「具象をマスターした者のみ権利を獲得して進める、次なるステップが抽象なのだ」式の、エコール・ド・パリ史だけで考えてしまう失敗です。
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銀行の担保物件と自己資産第一の体質【美術もまた価値担保第一主義】

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日本全国が消費バブル経済のピークとなった年は、1992年でした。その3年後のWindows95によるITバブルは、97年の消費税5パーの緊縮財政のたたりで日本版GAFAが生まれることなく失墜。人類史上最長のデフレ不況国となり今に至りますが、当時の問題児は銀行でした。

当時の焦点は、バブル時代に根拠なく高騰した土地価格の暴落で、不況業種となった銀行でした。「政府は税金を注入し銀行を助けよ」と他国からの忠告はあっても、日本国民が許さない雰囲気でした。昔から銀行は偉そうで横柄で、顧客に恨まれていたからです。

普通の会社員は銀行への感情は特にないのですが、起業家や自営業者からみると非協力的な権力者でした。最悪の揶揄は、「銀行は晴れた日に傘を貸すが、雨の日には貸さない」でした。さらには、事業の有用性を読む熱意が銀行にないという指摘が根強くあります。

象徴が担保主義でした。銀行が企業に資金融資する条件は、土地担保があれば合格、ないと不合格。事業内容と将来性を採点せずに、手持ちの資産を採点してきました。資産持ちの社長のみ選んで金を貸す判定だから、若い新興会社は育ちません。アメリカと逆に、日本は国際IT時代の負け組へと転落します。

「社長の自宅や預金を条件に融資するなら、ただの質屋さんだね」と言われた体質です。これは美術でいえば、作品内容を見てもどうせわからないから、知名度や家柄に注目して評価する感じか。銀行の体質は美術を見る時にありがちな感覚と、だいたい一致しています。

最近は地方銀行の衰退が言われますが、これはデフレ不況と低金利による融資の激減であり、銀行にすればとばっちりです。国債発行を減らす逆走政策で、銀行は飯のタネをなくしてしまい、いらない業界のように言われてしまっています。本当は大事な職種なのに。
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コロナ後の大量解雇時代に残るのはどんな人?【能力評価論あるある】

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ネットニュースで急に増えた記事が、コロナ後の企業ビジネスのゆくえです。大量解雇と大量失業と、大量倒産が予想されています。が、その指摘にも「今は新自由主義と呼ぶデフレ型の資本主義だ」という、最重要な指摘が抜けています。これが最大のカギなのに。

ある記事に「今後真っ先に解雇されるタイプ」が並べられていました。その第一は「能力がない人」だそうです。これから企業は能力がある人を残して、能力がない人を削っていく将来予想を断言しています。

普通に読めば納得しそうですが、ほとんどギャグです。なぜなら「能力がある人」の判明は結果論だからです。「能力がある人」と定義された者は、企業に自分を高く売るか、企業からいつでも出て行ける強い立場だから、企業側は都合よくこき使えません。使いづらい人。

どんどん解雇する会社からは、能力がどんどん流出します。優れた企業ならば凡の中にこそ才を見出し、組織を高機能に育てるでしょう。それに対して、一人でかせげる才人を集めて勝つ算段は、「当たりくじだけ買えば絶対に儲かる」的な、虫のよい机上の論です。

画商がドル箱スターの画家を招いて売る、という理想論も似ています。スター画家に画商がくっつくのでは、画商の取り分は少ないでしょう。しかも、売れている画家をハントして転売する勝ち馬乗り必勝法だと、勝ち馬を育てる役がいなくなってしぼんでいく理屈です。

完成した画家を探し回る者がいくら多くいても、美術市場は閑散としていきます。どうやら日本はこの流れであり、「優れた実績を持つ画家」の出現を待ち望んでいます。これって、宝石店でよい宝石を探すだけの話にすぎず、土中から宝石を掘り出す話ではないという。
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女子プロレスラー木村花の自殺その後【誹謗中傷と配役への距離感】

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ニュース解説テーマにもなった木村花選手の死。女子プロレスラーは一部に人気の職種ですが、演技性が高い舞台芸の一面があり、だから業界の秘密や不文律も多くあります。八百長という言い方だと外れていて、表現主義的な見世物のカテゴリーといえるでしょう。

リングで正義役と悪役に分かれて、カタルシスを均衡させて演じる世界です。お客は迫真性に喜んでも、これは真剣勝負でないと分別を持って距離をとります。似た世界がトークやドッキリ番組で、台本があり編集で切り貼りしたフィクションです。悪役は任命されるし。

しかし見る側に薬が効きすぎるのです。演出された悪役への攻撃がネットで激化しています。芝居と現実を観客がごっちゃにした古い事例に、『連続テレビ小説おしん』があります。いじめ役の伊東四朗がラジオで語ったのは、視聴者が自宅に来た奇妙な事件でした。

「お宅のご主人があの子をいじめるのを、何とかやめさせて」と嘆願するのです。家人が「あれはテレビドラマの時代劇でして、あの子を本当にはいじめていませんので」といくら言っても理解しないで、いつまでも帰らなかったという。

アメリカでは、チャールズ・ブロンソンを相手にした残虐ガンマン役を買って出たヘンリー・フォンダや、スーパーマンの敵のジーン・ハックマンも、ロードショーで大衆人気が一時落ちました。この逆が、世界最強の格闘家はブルース・リーだとする、マジ声の多さでした。

フィクションとリアルの混線は美術でも起きます。ゆるい作品の作者はゆるい人柄で、わけわからない作品は精神病と解釈しやすいでしょう。評論家がそういう話の振り方をしても、鑑賞者がそれはないと距離をとれるのか。ただし、見る者を勘違いさせる作品が理想なのですが。
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レナウンのファッションがコロナで会社更生法【ワンサカ娘のCMの頃】

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ファッションブランドのレナウン社は1902年(明治35年)創業で、その時生まれた人は118歳です。世界にもう誰もいません。コロナ大恐慌にとどめを刺されて会社更生法へ進むらしいのです。ファッションも美術と同様に付加価値を売る分野なので、景気に直接左右されます。

レナウンはコマーシャルにコストをかけてきました。今でもわりと覚えている方が多いのは、1980年代半ば以降の、『ワンサカ娘シリーズ』でインドネシアのバリ島ロケでしょう。バブル直前で景気が温まっていた頃で、海外旅行の秘境ブームがありました。

60年代のツイッギー時代から使われていた小林亜星作曲のコマソンは、ジャズコードを混ぜた新鮮なアレンジに変わっていました。デジタルコンピューターグラフィックスがない頃に、アナログの特殊効果も使っていました。

CMの途中にバリ島の伝統劇『ワヤン』のリアル役者が、3~5カット出てきます。現地で無形文化財の大物を登用した記録があり、ほんの短い時間でも最高のCMに仕上げていました。金ならいくらでも出すから、悔いのないレベルに作ろうという時代でした。

平成中旬以降にめっきり聞かなくなったのが、「本物志向」という言葉です。あの当時の本物志向で日の目を見たひとつが、粗びきポークソーセージでした。今では「経費削減」という縮み志向にすっかり替わり、ビールふう飲料がヒット商品になるイミテーション社会に墜落して。

レナウン社はコロナ以前の消費税増税で売れ行き不振となり、中国企業の子会社として納品後の支払い不履行を受け、キャッシュフローに穴があいたのが致命傷だと指摘されます。日本とEUがとる緊縮財政は自滅の道と答は出ており、コロナ後に思想変更した国が早い者勝ち。
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映画音楽のサウンドトラックは二テーマ方式【モチーフから編曲派生】

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昔のベートーベンやチャイコフスキーに、現代のどれが該当するかは、クラシック畑の現代音楽よりも、映画音楽の管弦楽曲が勝ち抜くと感じています。ETやレイダースのジョン・ウィリアムスも、100年後の定番クラシックになるだろうと予想。

映画音楽のサウンドトラックをアルバム単位で買うと、おもしろい法則があります。テーマ曲が二種類あり、それぞれをモチーフとして編曲してあったり、楽器編成も替えたバリエーション曲が、場面に応じて繰り返し出てくる仕掛けです。

そのテーマづくりがうまくいくと、映画の印象を決定的に高くします。何か例を探したのですが、今も続く『007シリーズ』のうち高度成長の日本を舞台にした『007は二度死ぬ』がわかりやすい例です。

全てジョン・バリー作曲で、ナンシー・シナトラが歌うメインテーマ。戦後に復興した東洋の経済大国を、軽快さよりも重厚で表しています。二人のボンドガールに重なる曲といえますが、日本ではとうてい生まれない残酷を香らせた美曲でした。いかにもイギリス的です。

対になるセカンドテーマが『カプセル・イン・スペース』。正体不明の敵のテーマ。米ソの宇宙船を捕獲する怪しいロケットや発射基地用の、さらに重い曲です。この二曲を主軸とした派生曲に、小品が添えられたボーナストラック盤で、品ぞろえがカニ料理店ふうです。

同時期のテレビドラマ、サンダーバードの初回はロンドン発東京行きの超音速旅客機を爆破する話でしたが、ともに1964東京オリンピックを機にした日本ブームでした。2020東京大会は延期で遠のきましたが、日本に財政問題などないからお金の心配はないはずです。
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本を読み美術を見て得るものは何か【中身を記憶に刻むことではない】

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世の天才や事業成功者たちは本を読まないという秘話は、どうもウソらしいのです。インタビューなどで、人一倍本を読んでいることを告白しています。では、人はなぜ本を読むのでしょうか。本の効用は何か。

家にある本のほとんどは、一度は全ページを読破しています。ところがその一冊を手にとって改めてページを開くと、意外に新鮮です。かつて読んだはずの文章はほとんど忘れていて、今初めて読んだかのような新発見があることも多いのです。

しかも本の中に、自分の考えと一致する部分が散見されます。これはかつてその本を読んで自分の中に取り入れて、考えを発展させてきたからかも知れません。初見で隠れた影響を受けて、時間をかけて自分の中に浸透させながら、改良して作り込んでいたこともありそうです。

たとえばテレビの討論番組の意義がみえにくいと、著者は常々感じています。相手を論破して屈服させる場に、知性のロスを感じるのです。もしかするとカーネギーの本にあった「議論は悪い結果を生むだけ」に、影響された形跡なのかも知れません。

読書の効用は、触れて考察して人格形成する部分が大きく、しかし中の文章はコロッと忘れているものです。これは美術鑑賞も同じです。作品について何かを覚える目的ではありません。人格形成の参考として使い捨てているなら、これは情操教育の領域でしょう。

私たちは美術作品を見た時、形状や特徴を脳内にインプットしようとします。作品説明も、聞いたり読んで覚えようとします。それもありですが、多様性の発見や抽象的な思索に鑑賞の成果があるでしょう。
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メモリー増設でパソコン速度は上がらない【芸術に似た説明の複雑さ】

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パソコンのメモリー容量が小さいと速度が遅くなり、メモリーを買って増やせば速くなるイメージがあります。しかしメモリー増設では、パソコンの処理速度が速くなるわけではないと、一応知られています。これは語弊というものです。

パソコンの計算処理速度はCPUで決まっていて、メモリーを増やしても計算速度はアップしません。メモリーを増やして起きる変化は、待ち時間の短縮であり、速さではなく早さだともいえます。

これはかつての新幹線のひかり号とこだま号の違いと似ています。東京大阪間はひかり号で3時間で、こだま号だと4時間以上かかりました。しかしひかり号とこだま号は同じ車両の転用なので、ひかり号の方が速いという言い方では的を射ていません。

こだま号は止まる駅が多いのと、駅で待機してひかり号をやり過ごすために長く停車し、待ち時間が長いのです。もちろん何度も止まるから、低速で走る時間も長いのですが、基本的に止まって待つ時間の多さで、到着までの時間が延びるだけです。

メモリーが少なすぎるパソコンはこだま号になります。いくつもソフトを起動したり、多くのウィンドウを開けば、メモリーからあふれたデータをハードディスクのページファイルに書き込んでは読み出す、タスクスワップが起きます。その時間は作業が停止し待たされます。

それで、メモリー増設は厳密にはパソコンの高速化ではなく、動作のもたつきを防いだり、待ち時間を減らす効果となります。これは日本語の「遅い」が、スローではなくレイトの意味になっているわけです。珍しく日本語のボキャ貧で、パソコンの仕組みに誤解が起きる例です。
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新型コロナで国会議員のだめぶりを指摘する声【国民が選んだのに?】

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新型コロナウイルスのパンデミックは、世界各国のトップが力試しする公開競技の場になっています。自国の事情に合わせて着々と感染防止と経済対策を打つトップもいれば、後手後手で疫病を克服できないトップもいます。たとえばブラジルはあきらめて放置に転じました。

日本でも国会議員や内閣や政府のだめぶりに落胆して、ため息をついている人が増えています。まるでカルロス・ゴーン容疑者に国外脱走されたあの既視感のように、コロナウイルスに突破されてしまった。加えて補償のない自粛要請へのため息もあったでしょう。

しかし省庁の上に立つ国会議員にいくら世襲が増えていても、国民が選び更新できる方式になっています。だから議員のだめぶりを言う前に、選び損ねた国民の反省が必要なはずです。議員の品定めにしくじって、審査の採点を間違ったわけですから。

たとえば国会議員の誰が緊縮財政派で、誰が財政拡大派か、国民は採点したことがありません。国が出すお金は僕らが納めた税金だと妄想したが最後、コロナ対策は財源を守るために省略されて、どうしても人命は後回しになります。無意味な財源保護で日本経済は縮んでいます。

美術展覧会を見た時に「二枚の絵は中味が違う、これは創造的、あれは非創造的」と判別できないのと似ています。観衆たちが判別できないのをよいことに、ニセモノがのし上がってきます。ゴッホ議員は人知れず落選していたりします。

国会議員も選ばれる作品みたいなもので、観衆が理解できる範囲だけが舞台へ上がれます。議員は国民の身のたけに合ってしまい、国民のはるか上を行くタイプが選ばれることはないのです。見る人が解せる上限で、選ばれる上限が決まる現象は、議員でも作品でも同じです。
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10万円の給付金を誤解しないように【後で返す借金だとの警告は嘘】

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明石家さんま師匠のコロナ自粛の嘆き。「こんな時、お笑いは真っ先に切られて無力や」。アートも同じです。アートにとっての「こんな時」はデフレ不況です。この美術ブログでも途中で、日本の景気と消費税の話題を加えました。変なブログに見えたことでしょう。

そこに現代日本の道への警鐘も含み、案の定グローバリズムに起因するコロナ疫病の、世界パンデミックとなりました。予告した日本の令和恐慌どころか、世界大恐慌です。日本に特有の問題は、まず日本のみ長いデフレの最中だという点。コロナなしでも消費税で絶不況でした。

日本で強い宗教的な思いに「お金は価値ある財宝だ」があります。美術作品みたいに貨幣を愛でる慣習です。どんどん使って社会を巡回させるチケットカードの視点が、元々欠けています。お金は石油と同様に使えばなくなると恐れて、使わないようにする意識が強いのです。

お金を貯め込んで使わないがまんの果てに、国が富むと信じているところがあります。この意識の根元には、国民が払った税金が国の運営費になるという、壮大な勘違いがあるのです。実際の国の運営費は、新発行した円と呼ぶ自国通貨です。ロジックが逆さまです。

税金はインフレ抑制のための、余剰貨幣の間引きです。知らない国民が多いので、給付額を10万円と低くすれば財源が助かる式の、勘違いの物語が信じられています。過去に自分が納めた税金が、返礼で10万円戻ってくるという誤解釈がネットにとても多いのです。

給付金は国債発行で貨幣を創造した真水と呼ぶものです。永久に返済しない(国が消え記録も消える日まで)お金です。なので一部が叫ぶ「後で増税で返済するからいっしょ」は嘘で、マネーストックを上級国民へ移転する伏線の階級闘争です。続きは経済ブログで。
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テレビがつまらない理由【なぜつまらないかをズバリ言わないからさ】

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テレビ番組がつまらない理由を、テレビ関係者が分析すると、つまらない理由が何となくわかります。理由の核心を常に外す説明のせいです。隠ぺい体質とまでは言わずとも、忖度した感がありありです。テレビを持たない不慣れな立場にもそれは伝わります。

たとえば「温暖化ガスで地球が温暖化して昔よりも東京が暑くなった」の実感を、本気で検証する番組はないようです。二酸化炭素を出す企業に反則金を払わせる方向で、結論ありきになっています。「何にでも疑問を持とう」という啓蒙番組に、もう手が出せないテレビの姿です。

テレビのつまらなさが以前より先鋭化したのは、強者側に味方して少数意見を出さない注意深さがやたら目につく点です。基本的に禁句のないインターネットにじりじり追いつかれて、ついにネット広告費はテレビを超えてしまい、強弱が逆転しました。

テレビが言う「情報化時代」は、実は「情報統制時代」です。そうなっているぞと視聴者に教える試みが、常に検閲されているとわかります。隠しごとが増える最大の原因は、電波使用権の特権化の死守でしょう。電波使用権に触れる話題も、テレビ放送の代表的なタブーです。

テレビが嘘をやめて正直に言えば、日本がよくなる面は多くあります。ひとつは通貨発行権です。世界中の独立国では、自国通貨を自由に発行できます。その部分に触れないせいで、何と参議院議員が、国債の意味も知らずに政府批判した騒ぎがネットニュースになりました。

国民のソース源がテレビに片寄りすぎると、教養の上限がテレビで決まる難点があります。ちなみにテレビの対抗馬パソコンと縁遠い高齢者が多いのは、完成したOSと言われたWindows Xpが出た2001年に、日本だけが消費税不況で節約の一大ブームだったからです。
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日本人の公平意識がみえるコロナ給付金【30万円が10万円に削減】

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
貧困世帯のみ30万円給付の決定から、全国民一律10万円へと与党が変えました。その国民の反応です。10万円が少額すぎるとは言わずに、一律の平等さに大喜びしています。とりあえずお金がもらえたら喜ぶ姿です。政府の役目を知らないのでは。

ドイツはフリーランスに5000ユーロ配る決定で、60万円をもう配り終えています。フランスは300万円です。しかし日本では10万円で終わる前提です。日本の方が金持ち国なのに、なぜ少ないのか。これは日本人はお金の機能を昔から誤解しているからです。どういう誤解か。

自分たちが払った税金が戻ってくるのが現金給付だと、間違って思い込んでいます。この思い込みは、抽象美術を見て起きる反射みたいな堅固さで、もう何も耳に入らないガンコさ。

ドイツやフランスで配る生活費は、欧州中央銀行が新たにデジタル発行するユーロです。日本も同様に、日本銀行から100万円を3度給付できます。でも10万円。給付すれば国が破産すると、マスコミも勘違いしてしゃべるからです。財界や大学教授も勘違いしています。

本来、日本はいくら給付すればよいかはわかっています。例年のGDPは平成デフレ不況の経済停滞で540兆円です。たとえば金融大手のゴールドマンサックスは、日本のGDPは第2四半期25パーセント減と予想し、金額で34兆円の縮小です。

落ち込みを支えるには、一人27万円で、年間なら107万円です。これはドイツやフランスの金額オーダーよりまだ3分の1ですが、まともな数字に近づきました。でもお年玉をもらったみたいに、10万円に喜んでいます。
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国会議員はなぜロクなやつがいない【それ現代美術と同じ現象でしょ】

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日本で衆議院選挙などに投票に行かず、棄権する人が多くいます。忙しくてそれどころではない理由ですが、これもまた貧困の表れでしょう。忙殺される異常事態を解決できない理由が、忙殺だという循環はすでに末期症状です。

非常に多い声は、国会議員にロクなやつがいないから、選びようがないという悩みです。「ゴミとクズのどちらかを選べと言われても、いずれも日本の悪化に加担することになるし」。というもっともらしい嘆きが異口同音に聞こえます。

「全部クソばかり」。これどこかでよく聞きますね。現代アートです。そのクソ現代アートとやらも、しかしちょいといじくって海外へ出すと感激されて買われたりします。つまり日本で起きているのは、猫に小判の可能性も高いのです。みんな作品をよく見ていません。

全てが無価値に感じるのなら、単に見る目がないだけだと疑われます。具体的には写実デッサンの力量を芸術の価値と定義したが最後、全ての抽象アートに見どころがなく、ロクな作品に感じないはずです。甘いと思い飲んだトマトジュースを、あわてて流しに捨てるようなものか。

国会議員もピンキリなのに、国民は見分けられません。作品を並べて皆で買うアートフェア方式が、日本で全く流行らない理由と共通します。優れモノがどれなのか、上から教わらないと感動できない。価値を測る尺度がないから、見る全てがしょぼく映る現象です。

国会議員を詳しく点検すると、日本を裕福にする派と貧困にする派に、実は分かれています。ところが国民は、貧困にする派の情熱的な話術に魅了され、シンプルライフ礼賛で所得減を言いくるめられてきました。全部がクソに見える目は、引っかけに釣られやすいのです。
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人命と経済のどちらが大事か【←この発想が国民の壮大な勘違いだよ】

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発表された現金給付のハードルが変に高く、市民のこんな声がニュースで出ました。「人命と経済のどっちが大事ですかね」。おっと、ラジオからいきなり勘違い発言です。このような国民の根本的な勘違いばかりだと、日本がよくなるわけはありませんから。

「どっちが」と言った人は、国家の運営資金は納めた税金だと勘違いしています。血税で国の出資をまかなうのだと勘違いして、お金を大事に使い惜しむよう勘違いしています。国の出費はゼロが理想で、なるべく少額がよいと勘違いしています。財源を温存したがる勘違いです。

そんな折に緊急事態宣言が出され、労働が中止や廃止、あるいは会社も倒産してお金に困った。そこで、事前に納めておいた税金の金庫、国庫から虎の子のお金を出す時が来た。という勘違い。蓄積した税金をケチらずありったけ使う時だと、全く勘違いしています。

お金を配れば、経済を犠牲にして人命が助かるという勘違い。配らないと、経済が助かるという勘違い。実は経済と人命は一体なのに、反比例するシーソー関係とした勘違いですね。コロナ以前から日本のみ貧困化しているのは、この壮大な勘違いが直接の原因だとよくわかります。

実は現金給付はお金の新発行です。既存のお金を用いません。発行元はアメリカはFRB(連邦準備銀行)、ドイツはECB(欧州中央銀行)、日本はBOJ(日本銀行)です。実は電算機のキーボードを押して、数字を書くだけ。書いた数字で物を買えば経済成長します。実は原資や担保はなく、発行額は好きなだけ。これを通貨発行権と呼びます。

日本だけそれができないのは、血税を守れと国民が勘違いしているからです。政治家は民意に従って血税を守ろうと、出費を渋ります。人命と経済はジレンマだと勘違いした者が当選して、政策も勘違い。勘違いしていない者は日陰に追いやられて。
→日本だけがなぜお金を配れない?(経済ブログ)
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