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芸術を理解するコツは2つある【美術と現代アートの超雑学】

美術がわからない原因を解き明かす世界初の試み。作品の意味とは?。作品が語るとは?。画家は何を考えているのか。アートをわからなくしたのは誰か。ネットの理解法は本当か?。一番役立つ情報は何か?。芸術は人間に必要?。現代アートとは何?。人類の文化に何が起きている?。高度情報化のハイテク文明と芸術はどんな関係?。

美術家と鑑賞者が常に衝突する抽象表現

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
ネットによく出てくる美術ニュースは、内外の絵画に起きた事件です。オークションの高値記録だとか、絵が白昼堂々と盗まれたとか、名画の由来が解き明かされたおもしろネタなど。そんなニュースのコメント欄で、次のような対立がよく起きます。

「現代アートがわからない日本人は多いね」「わかるように作らないから当然でしょう」。これがよくある、わかるわからない論争です。多くの場合、わからないアートとは抽象絵画や彫刻を指します。具象作品を指すことはまれです。

つまり「わかるように作る」とは、モチーフを判別できるように、具象作品にとどめる意味です。「これは何?」に対して、「商店街の風景」「池に浮かぶ葉」「パンダの顔」と答えられる絵をかいて欲しいわけです。「これはあれだ」が言えない絵はアウトというわけ。

わかる絵とは具象画を指します。すると、次にこう設問できるのです。「あなたにわかる抽象画と、わからない抽象画はありますか」「わかる抽象画はどれですか」。こんなたずね返しをやった人は、世界に何人いたのでしょう。

私たちは芸術の基礎は具象と思いがちですが、「ピアノ協奏曲」の音も「クリームシチュー」の味も抽象的です。陶芸茶碗も全てが抽象。例外的に、絵画と彫刻にだけ具象カテゴリーがあります。絵と彫刻のみレアケース。

クリームシチューの味が何と一致し、何を意味するのかの追求は、実はいらないのです。だのに抽象さえも具象に見立てて、正体を読み取ろうとする人が、日本に多く欧米に少ない差があります。欧米各国には日本のような鑑賞時の暗黙のノルマがないから、美術市場がずっと大きいのではないでしょうか。
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美人銭湯絵師の盗作騒ぎとオリジナルへのあこがれ

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
お風呂屋さんの内壁に描く絵をめぐる話。美人銭湯絵師が話題になった直後に、絵が盗作ではないかとネットで炎上し、ニュースにもなりました。国民から寄せられたコメントにはパクリ批判や糾弾が多く、しかし「うーん」と考えてしまう部分もあります。

「絵がうまいだけで中身がない」「オリジナルを作れないのは話にならない」「パクリはクリエイターの命取り」「他人と似た絵のどこが芸術か」「芸術の冒涜」「創造性のない絵かきばかりで日本は大丈夫か」。といった投稿コメントが並んでいたのです。

美術家に限らずデザインや活字の作家も、パクリで流行ると叩かれる時代です。でも気になるのは、国全体の傾向です。もし盗作が価値ゼロでオリジナルに価値ありが常識になっていれば、日本はすでに美術立国になっているはず。

著者は前にとても創造的な絵をネットで発見し、しかし作者の手がかりはなく接触できていません。それも複数あるのです。芸術的なオリジナル創造クリエイターは、万人が見慣れないし取っ付きも悪いのだから、スポンサーもつきません。どうやら廃業同然らしくて。

美人銭湯絵師は廃業を回避し、国民に喜んでもらえたし、実際ヒットして感動も集まりました。大勢がきずなを感じてグッズも売れています。逆にですが、芸術創造の道こそ同時代の人は感動しないし、本人も生き地獄に落ちたりするでしょう。ゴッホの実例もあったし。

オリジナル度が高いほど売れないのが現世の法則です。オリジナル画風がついに売れたピカソさえ、現代日本での世評は「狂った人の絵は理解不能」で片づけられがちです。美人銭湯絵師にくらべ人気はボロ負け。これからの画家はどうすべきかは、結局正解なしになりそうです。
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わかる意味はごく普通の使い方で十分なのだが

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
本書は「芸術は難しい、現代美術はわからない、抽象絵画はちょっと」という国民感情は意外に深刻だとして、わからなくした犯人を指摘して回るヒント集です。今すぐわからせてやろうではなく、新しいヒントで自分なりに考えようとのススメです。

ただし「わかるとは何か」には深入りしていません。「存在とは何か」みたいな哲学論にそれるからです。そこは、誰もが普段使っている言葉「僕はわかる」「理解しているつもり」の用法どおりで足ります。ところが美術ではそこに問題が集まっています。

「僕は絵なんて全然わからない」と言う声が日本に多すぎて、その結果が昔から言われた国内美術市場の小ささでしょう。その自称わからない人の言う「わかる」とは、作品に立派な思想がきっとある前提で、自分はキャッチできないと言っているようなのです。

そこには、芸術は高尚だとの前提があります。正解の真理が作品ごとにあり、その真理をつかめずに敗れています。それは自ら理解のハードルを高くして、高くて届かないだけの話。最初から見上げてしまっている心理が悪影響している疑いがあります。

欧米の多くの市民が美術作品をわかり、買って家に飾る、それは作品に関心を寄せて、エンタメ対象として家に置くだけの話です。作品の高尚な真理をつかんだから買ったのではなく、音楽アルバムを買って家で聞くのと変わりません。日本のように構えが固くないのです。

固い構えは、美術館のWEBデザインにも反映しているような。正統、厳粛、高尚、神妙な雰囲気です。そんなフォーマルな威厳と気高さは、国内美術の周囲に漂う空気と似ています。この高尚への敬愛と敬遠で、敬遠派が多いほど市場が小さくなるのはわかりやすい。
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日本は低欲望社会になったから経済が伸びないのか

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日本経済が中華人民共和国に引き離された理由は何か、超有名な評論家の説明がありました。日本人が物を欲しがらなくなったからだと。飽食の時代のせいで低欲望となり、日本の内需はしぼんで国力が落ちたと。確かに12年前よりも、絵画を買う人も減りました。美術を買うには、国力というバックが必要ですから。

低欲望社会の表れで、車を使ったデートも下火になったと言われます。スポーツカーの人気はなく、イタリアのフェラーリ車への関心も低い。たとえばフェラーリ812。6500cc、V12気筒スーパーチャージャーなしの800馬力。二人乗り。

「300キロ以上出ても無意味」「荷物が運べないし」「資源が無駄」「いらないよ」の声が多い。「僕は欲しい」とあこがれないのは、満ち足りた物余りの時代だからだという説明です。エコを愛し過剰を憎む。かくも国民の欲が落ちたから、物が売れない時代になったのだと。

低欲望で結婚せず、少子化で人口が減り、消費者が減って不況になった分析です。一時流行した草食系男子、スローライフ、きずな世代の語もそれで。日本の不況は意欲を失った若者たちのせい。主犯は若者だと。超有名評論家のこうした説明は、よくあるフェイクニュースです。

実際の順序は逆です。新自由主義経済は富の上方移転ゆえ、デフレ不況で庶民の所得が減り、小型車にも届かない金欠が実態なのです。街の声「車なしで暮らせる時代」「無駄な買い物」「軽の中古で足りる」は、財布だけが原因です。財布以外は皆、原因ではなく結果です。

グラフでデフレ不況の起点は1997年の消費税5パーセントだと一目瞭然ですが、原因と結果が逆の説明は世界で流行中です。んっ待てよ、ならば大型アートよりも軽アートを売り出そう。実はリーマンショック以降にEUで版画人気が起きており、著者も進出済みです。
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世界中でお金の意味がガクンと難しくなった1971年

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世界のほぼ全員が、お金の意味を誤解している焦点はどこでしょうか。実は著者も数年前まで、全くわかっていなかったのが「現代マネー」でした。現代アートの方がよほど簡単。お金がどう生まれるかは、大昔とコース取りが違う新事情があるのです。

「ドルショック」の語は広く知られます。ドル紙幣をいつでもゴールドの金属塊と交換しますと誓ってきたアメリカが、1971年に突然やめた事件です。この時から、お金の意味が抽象化しました。そしてお金の生まれ方も増えたのです。

今たとえば1万円札をATMから預金すると、通帳に1万円の数字が印刷されます。これは日銀の負債証書と銀行の負債証書を、取り換えっこしています。ところが次がわかりにくい。企業で必要になり、本日銀行から一千万円融資を受けた。これは何と何を取り換えたのか。

この一千万円は、国民の銀行預金百億円の一部を回したのではありません。日本でも百人中百人が誤解している点です。通帳に数字を印刷すれば、天から降ってわくのです。お金をプリンターで勝手に生み出す権限を銀行が持っています。負債証書と返済能力を取り換えたのです。

「だったらいくらでもお金を刷れば、皆が物を買えて不況もなくなるでしょ」は正解。現に政府は硬貨を鋳造し、日銀は国債を発行し、各銀行は通帳に印刷しています。「国のどこに財源があるのか?」は愚問で、好きなだけ増やせるが正解。定量の金銀をシェアする時代は終わって、国と銀行とでお金の総量を増減できます。ここが第一の誤解。

ところが増やしたお金で物を買わないとだめなんですね。ここが第二の誤解。刷る上限は、需要と供給の構造で決まります。ところで美術作品は誰が生むのか。日本では美術は上から下に降りてくる感覚が強いのですが、当然ながら美術家が勝手に生み出します。美術家は銀行?。
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ゴッホの兄弟愛は絵の理解に必要な知識なのか

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「知識は力である」の格言をみかけます。「時代に何が起きているかを知らされたなら防げた」「知らなかったせいで後の祭になった」「無知で国がさびれた」「戦争になった」などの結果論も歴史に多いのです。

必ず儲かる話は必ず詐欺だと知っていれば入らなかったが、知らないから入って財産を失ったケースもあるでしょう。連続殺人犯が拘置所で本をたくさん読み、「僕に知識があれば殺人していない」と過去を嘆き、犯行時には無知だったからと減刑嘆願した実話もありました。

知識があればというなら、美術鑑賞の知識とは何でしょうか。私たちは鑑賞のコツを学ぼうと考え、予備知識を仕入れようとしますね。一番多いのは作品の周辺情報で、事前に作品を取り巻く物語を頭に入れておけば、わからない作品もわかるようになると期待しますね。

たとえばゴッホ絵画の美を理解するには、ゴッホと弟の兄弟愛が手がかりになる気がします。ゴッホの暮らしや親族とのきずなをヒントにする人が多く、人情話の切り口でたくさんの本が書かれ読まれてきました。兄弟愛の感動を、絵の感動につなげていく鑑賞法が広まっています。

しかし今日では、ゴッホと弟の関係で絵を見てもすれ違うとするのが、美術鑑賞のコツなのです。かえって作品そのものと向き合えないから。街でラーメンを食べるのに、製造元の社史を読んで出向くようなもので、その準備は何か違うなあと。

よくある決まり文句を知らない方が、鑑賞に色がつきにくいでしょう。「ゴッホは美しい」「ゴッホは天才」「ゴッホは狂人」など、鑑賞者を型にはめるフレーズに注意。「ゴッホは絵がうまい」も含めて、実際とメチャメチャ違うキャッチフレーズも出回っているのだし。
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ストラヴィンスキー『春の祭典』とピカソ絵画は近い

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オーケストラ部員の人と、ピカソを話題にしたことがありました。図書館で借りていたピカソの大画集を、その人が数日だけ貸して欲しいということで。民間アパートの隣同士だったから、紛失の心配もなく。学生身分には、自由以外に読書機会があります。

「ピカソの絵はストラヴィンスキーの曲に似ている」と言うと、相手は「確かに」と納得しました。その時想定した曲は『火の鳥』などではなく、もちろん『春の祭典』でした。『春の祭典』はバレエ音楽であり、初演で観客が大荒れになったいわくつきです。

どう荒れたかは、モダンバレエへの拒絶反応でした。ロマンティックバレエやクラシックバレエとは異質な、トンデモなポーズがブーイングの騒ぎを起こしたらしく。曲は舞台の脇役ではあったものの、騒ぎを焚きつけた要素にはなったでしょう。

しかし時間がたち、『春の祭典』の曲は人気が出ていくと同時に、わからないアヴァンギャルドクラシック曲の中で名声ができました。表現の裂け目が顕著なピカソと、作品への反応具合まで似ていました。太陽系外へ送り出した黄金のレコード盤に『春の祭典』は収録されました。

『春の祭典』は変拍子と不協和音、二種のメロディーが同時並行するなどトリッキーで、モーツァルト曲などと全く異なります。テーマを反復するソナタ形式ではなく、サッカーの攻撃みたいに、異なる作戦を連結していくような音楽構成といえます。

1970年代のオーケストラ特集ムックでは、『春の祭典』のレコードを20種以上持っている論者が、ゲオルグ・ショルティー盤を新時代の演奏と評しました。「音のオベリスクを次々と立ち上げる」の言葉で、パルシブな特性を表わしました。ガッガッガッガッと立ち上がり、浪花節にならないピカソは、この音楽と似ています。
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統計と芸術はどちらが理解しがたいものなのか

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日本の好景気が統計で偽造された事件です。インタビューに多い市民の意見は「政府の統計がそもそも間違っていたらだめでしょ」「官僚が統計を改変するなら何を信じればよいの」。こうした当然の抗議に、少しオマケの注釈もつけたい気がします。

嘘は三つあると言われます。嘘、大嘘、統計の三つ。で大嘘って何?。例は「水の記憶」「ピラミッドパワー」「納豆でやせる」「日本は赤字大国」でした。「それはホントでしょ」と思う人は多いはずで、大嘘の特徴は集団感染力の強さです。流行性感冒並み。

嘘には三つあり、嘘、大嘘に続いて統計だという。この近年の格言は、統計は全部が嘘だという意味です。本当の統計と嘘の統計の、二種類はないという意味です。全部がウソ。ええーっウッソー?となりそうで、人類はやはりその部分が苦手なのでしょう。

たとえば海上で船と船がぶつかったとします。その様子をAさんはこう言います。「ドカーンと音がしてぐわっと傾いた」。Bさんはこう言います。「コツンと当たった」。Aさんの真実とBさんの真実は異なり、どちらの船に味方するかの違いです。これが、統計にも必ず生じます。

統計とは、数字を整理してグラフに示したビジュアルイメージが多く、関係者の願いが反映します。たとえば違いがわずかな棒グラフも、下部を切り詰めれば差を激増できます。円グラフは並び順や色の割り当てで印象が変わるし。関係者に覚えがなくても、必ず強調したり薄めたりの細工が方向性を持ち、透明な存在たりえない。

正しい統計だけ相手にする発想は、何かが変なのです。正しい美術だけ鑑賞しようという発想と似ています。「全員一致がよし」「正解は常にひとつ」と、純粋さを信じて起きる失敗です。客観的な統計はこの世になく、全ての統計は何かがデフォルメされた個人作品といえます。
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沖縄県民に基地負担をかけすぎている理由が遠い理由

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日本国内で、沖縄県だけにひどい負担がかかっています。なぜか。日本国が沖縄に基地を置く理由は、沖縄が国境の町だから。アメリカの基地が集中する理由は、沖縄はうちの所有物だと中華人民共和国の共産党が宣言しているから。つまり共産主義への防衛ラインが沖縄です。

この程度の説明さえ国内に出回りませんよね。なぜか。よくある説は、中国が日本のマスコミの株を購入した見返りや、現代のコミンテルンが報道各社にいる陰謀説です。識者たちが述べたハニトラとか。現実は、中国へ工場を移した日本企業のスポンサーCM以前に、ジャーナリズムの論理でしょう。報道はケンカを歓迎する仕事だから。

「賛成」「反対」の対立激化は絵になりニュースになります。「なーんだ、そういうことか」とわかり合えて笑顔が戻ると、ニュースバリューは消えます。地元で深夜に幽霊が出た事件で、「近所の祖母が徘徊した姿でした」と知らせない方が、日本全国の大勢がわくわく緊張して楽しめ、心霊特集本も出せるのと同じ。ネタばらしはお金にならない。

県民差別や珊瑚を守る闘いで国内を分断すれば、物語になる。国際政治を伏せ人間ドラマの悲喜へと落とす傾向が、今日言われるマスコミ問題のひとつです。これはしかし世界の報道の宿命でもあり、エンタメ化が悪かも一概に言えないでしょう。報道も表現物であり商品だから。

日本では、芸術とは何かが放置されて収束しない状態が長引き、国民はわけがわからない現状です。問題を整理したがらない。著者は、美術界における芸術の扱いが、沖縄における基地の扱いと似ているかも知れないと感じたことがありました。

こじれにこじれて解決不能な人情物語が一番ウケる事情が、芸術にもあるかも知れません。「なーんだ、そういうことか」とわかり合えて笑顔が戻ると、忘れられて終わってしまう懸念で核心部を教えないやり方。つまるところ芸術とは、深夜の地元に出る幽霊みたいなものか?。
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お金を使わないと景気が悪くなるイメージは何か変?

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日本で芸術以上に誤解されやすいのは、お金の意味と役割です。宝とみる感覚が抜けないのです。正解を言えば、お金の意味は借用証であり、役割は人体の血液に似ます。活発に動かし回ると健康になり、緩慢だと死期が近づく。この理解が今の日本人は芸術以上に苦手かも。

バブル崩壊後の不景気が1993年にみえた頃、国民は物価が下がれば幸せになると誤解しました。安売り競争が続けば裕福になれると思い、結果は餓死や貧困家庭が続出するありさま。歩行者天国を襲うテロリストや、弱者を切り殺して得意がるヒーローまで出る始末。なぜだろうねと言う声は今も多い。全ての原因はデフレ不況ただひとつなのに。

お金をどんどん使えば逆に入ってくると理屈でわかっても、日本では感覚が逆です。お金を使えば消滅するが、使わず温存すれば富として残るから国力が増すという勘違いです。政府が財政出動すれば、その借金で財政破綻するという、今流行中の集団勘違いもこの思考ですよね。

原理で考える女子高生などは、事態を見破っています。「みんながお金を使えば、ぐるぐる回って景気が上がるでしょー、お金を使わないとだめだよー」とあっけらかん。社会人たちが、出費を切り詰めるほど国の経済が健全化すると思っているのと逆です。

ところが、女子高生の正解の先にも誤解は生じます。たとえば「お金を使わないと景気が悪くなる」の言い方は間違いです。というのは、お金を使わないイコール景気悪化だから。使わないことと不景気に、時間差はないから。

言い換えれば、節約で不景気になる場合と、ならない場合の二とおりはない。節約する気分がつまり不景気だから。「お金を使わないとやがて不景気になる」の言い方は「腹を痛くすればやがて腹痛になる」と似た誤用です。皮肉ではなく、人は経済よりは芸術に明るいと判明。
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冬の日の体感温度の矛盾と地球温暖化の学者

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2019年2月17日は、戸外にいるとぽかぽか温かく、しかしひどく肌寒い一日でした。道に立つとかなり温かいのに、かなり冷たい。矛盾した天気。温かい理由は快晴だからで、やや高くなった太陽が体を照らすから、暖かい春の訪れを感じます。

一方、肌寒い理由は気温が低いからで、梅の咲き始めの快晴日に起きやすいちぐはぐ感覚です。その日は温暖なのか寒冷なのかを一口で表現しにくく、天気ニュースの口調と体感にも差が生じます。おそらく昔の人もそこに着目し、その妙を俳句や詩で言い表したことでしょう。

その翌日、地球温暖化説で有名な学者が亡くなったらしく。東京温暖化の混線も含め、誤解とフェイクが多い分野です。熱が伝わる物理法則が複数あるせいで理解も混乱します。太陽が温かいのは輻射熱のせいで、空気が冷たいのは伝導熱のせいという、中学の理科の応用です。

輻射熱は、高温の物体が向こうにあれば、そこから熱線が放射されこちらへ届きます。熱線の正体は赤外線で、電磁波のうち光の領域。外出した人の顔や手や、服の表面や髪も、太陽からの赤外線で温められ温度が上がります。

一方で、その顔や手が変に肌寒いのは、冷たい空気に直接触れているから。しかし誤解が多いのはここで、空気の冷たさが伝わるのではなく、手や顔の温かさが空気に伝導し奪われて冷たいのです。熱は高い方から低い方へ伝わる法則です。さらにもうひとつ、人体がミニ太陽となり、快晴で見通せる宇宙空間へ熱を放射します。放射冷却現象。

熱が伝わる全体像を誤解する人も多い。「太陽熱で地球が温められるのは科学者の嘘だ」の意見が、ネットにけっこうあります。理由は「だって宇宙は真空だから、熱が伝わるわけがないと誰でもわかる」と。誰も彼を説得できない。やはり学校での教え方は大事か。
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拉致事件のわからなさと芸術作品のわからなさ

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いわゆる拉致問題で、日本国政府は前に奇妙な行動をとりました。相手国内で亡くなったとされる被害者の遺骨が日本へ返され、日本でDNA鑑定が行われた時。「DNA鑑定を我が国でも行いたい」と、イギリスが持ちかけてきました。遺骨を少し送ってくれと。

日本側は「DNA鑑定は日本だけで十分」とお断りしました。この返事の奇妙さに、報道は触れませんでした。「日本の機材は高性能だから、他国の手を借りずに自前ではっきりとわかる」の意味なら間抜けです。イギリスは、検査能力ではなく証拠能力の話をしているから。

日本は当事国の利害で、検査結果を偽ることもあると国際社会は推定します。イギリスは日本を信じる材料が、ひとつだけでも欲しかったのでしょう。しかし日本は水かけ論が好きなのか、どの国がウソつきなのかを国際社会が判断できなくなるように持って行きました。

日本に特有なのは、「一番詳しい僕が言うから、全くの事実である」という訴え方です。国際間のトラブルに関するネット議論でも、「わが国が信念を貫くなら、第三者の判定などいらない」の声が圧倒的に多い。証拠能力を無視したこの思考は、たぶん戦後日本の反動です。

戦中に大本営発表に染まり本土空襲まで被った日本人が、戦後口にした言い方はこれです。「自分がそうだと思えば、それでよい」。いわゆる戦後のミーイズムです。美術制作でも、「作品を自分が信じているかが大事で、他人は関係ない」の信念にしばしば出くわします。

国際社会では「僕の目を見て信じてくれ」はだめで、証拠能力が大事。ところで美術作品の証拠能力といえば作風ですが、「きれいか」「わかるか」で終わらず、世界は「作者のやりたいこと」をまずチェックするでしょう。これも一人合点の信念でなく、証拠能力が大事。
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親殺しのパラドックスと抽象美術のパラドックス

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親殺しのパラドックスは、タイムマシンの話題です。タイムマシンで過去へ行き、自分の生みの親を殺せばどうなるか、という思考実験です。思考実験だから、物理的や社会的な実験は行わず、脳内で仮想的に実験します。『シュレディンガーの猫』が猫を毒殺しないのと同じ。

30才の男が、タイムマシンで35年前へ行きます。自分を産む5年前の母親を見つけて殺せば、自分を産めない。しかしそれが実現すれば、自分は世に存在しないことになる。ならば実現させるこの自分はいったい何者かと、因果が堂々巡りして矛盾するわけです。

SF小説や映画などでは、現地で殺すのに失敗し続けるとか、将来母になる人を愛して別れるハッピーエンドなどでつじつま合わせし、矛盾を消します。しかし殺せない物理的な法則はないから、そのケース限りの偶然のオチであり一般論にできません。

しかも「バタフライ・エフェクト」なる因果の無限波及性があり、過去と現在の不整合は必ず発生します。間接的な影響が未来をも変えてしまうのは確実ですから。知らない息子が来たと知った母は、出会わずとも動転して事故や病死したり、後に死産となるかも知れず。

この親殺しのパラドックスは、永遠に解けない謎の代表格にあげられます。でも著者に言わせれば、仮定が間違っているだけの話です。「タイムマシンで過去へ行くと」の時点で間違っているから、論理矛盾するだけの話です。自分が世界を壊した結果、なぜか世界が壊れた。その壊れぶりに、自分が首をかしげてどうする?。

タイムマシンでなくても、「翌日が前日なら何が起きるか」と仮定しても同じことです。仮定がエラーだから、結果もエラー。自分が嘘を持ち込んだ結果を、「嘘みたいなことが起きる」と不思議がる不思議。この現象は抽象美術がわからない心理と似たエラーです。「永遠の謎だ」と言うデマにだまされちゃだめ。自らが混乱させただけで、謎はない。
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矛盾がある表現は芸術的には大成功?

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矛盾の語の意味を考えます。何でも貫く鋭いヤリと、何物にも貫かれない丈夫なタテを、同じ商人が売ると、説明が同時に成り立たない不合理です。好例は「丸つぶ模様が一個もない曜変天目茶碗」でした。丸つぶを天目と呼ぶから。「丸い四角」や「黒い白馬」と同じ。

矛盾の語の使い方で、よくある間違いはこうです。「あなたは前に日本はもうだめだと言った、今は日本は伸びると言っている、矛盾するではないか」と。これは一人が警告と激励を、場によって使い分けただけの話です。この手の、活字だけを追いかけた矛盾叩きがとにかく多い。

日本のガソリン価格には、多額のガソリン税がかかっています。その税金分にも消費税がかかるから、禁止された二重課税になる。そんな悪政を「制度の矛盾」と呼ぶべきなのか。まずい制度やずさんなルールを、どれもこれも矛盾と呼ぶのは誤用の飛び火でしょう。

ところで一般通念では、矛盾は悪いことだとされています。矛盾は欠陥の意味であり、異常を正して欠陥を是正するには矛盾をなくすべきだという。解消すべき悪の意味で、矛盾という語が多用されます。

本書では芸術に矛盾はつきものと説きます。矛盾が芸術の豊かさとなった例はゴッホです。最晩年の明るくきらめく原色の絵には不吉さがただよい、暗いパリ時代の絵より死のにおいが強い。「暗い明色」「沈んだにぎやか」「前途なき希望」がゴッホ絵画から伝わります。

同じように「ずれ」「食い違い」も芸術性に関わります。作品にずれや食い違いがあるのは解消したい困りごとではなく、作品にメッセージ性や含みが備わるうれしい成果なのです。逆によどみのない、すっきりと割り切れる健康的な美術だと足りない。
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天気予報の降水確率50パーセントはずるい言い逃れか

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人々が天気予報で一番知りたいのは、雨が降るか降らないかでしょう。かつて気象庁にこんな苦情が来たそうです。「降水確率50パーセントとは何ごとか。降るか降らないかひとつに決めるのに、半々の五分五分なら素人でも言えるわい」と。

確率半分と言っておけば、結果がどちらに出ても当たったことにでき、そのずるいやり方に怒っているわけです。「サイコロを振った目はきっと偶数か奇数かであろう」と予言するような感じか。ずるー。もちろんその苦情は勘違いで、数学用語「確率」を理解すれば解決します。

著者が大型コンピューターの会社にいた時、ひとりの男がこう言いました。「降水確率30パーセントとは、その地域の30パーセントの面積で雨が降るのだ」と。超有名お天気解説者も、同じことを民放テレビで言いました。二人の説明はもちろん間違いです。

まず、統計データベースがあります。過去の天気変化の特徴を細かく入力してあります。最近の特徴を入れてやると、今と似た流れで天気が変化していた過去が、複数見つかります。その翌日の何時に天気がどうなったのかも、数字が出ます。

今起きているのとよく似たパターンが620回あり、300回は翌日夕方に1ミリ以上の雨が降っていたなら、今回は降水確率50パーセントと考えます。似たパターンなら、結果も似るという見込みです。近年の天気予報がよく当たるのは、パターン記録が蓄積してきたからです。

降水確率は過去を集計した蓋然性の値ですが、半か丁かのバクチと混線しやすいのでしょう。確率は理解の壁のひとつで、原理が難しいだけではありません。宝くじ当選や飛行機墜落のように願望が混じり、無意識に感情移入しウェイトをかけてしまうせいもあります。
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日本美術のグローバリズムとナショナリズム

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世界の重要トピックは、イギリスのEU脱退やアメリカファーストなどナショナリズムです。テーマは、グローバル主義経済の曲がり角です。しかし現代世界史が苦手な日本のエリートたちは、人種問題や民主主義が軸線だと信じています。本当の軸線はマネー奪還の階級闘争です。

グローバル主義は、国境をなくし物、金、人の移動を好きにさせる思想です。世界混乱で所得が伸びる立場が推進します。迎え撃つナショナリズムは、フランス革命の再来といえます。フランス革命も人種問題ではなく、所得問題でした。パンを買いたい貧困層による革命でした。日本だと、パンよりも結婚や出産を取り戻すことに相当します。

グローバル主義は帝国時代に流行し、資本家と富裕層が望む社会です。経済格差が広がるほど儲かる富裕側が持ちかける。1990年代の日本で、一億総中流社会を壊そうとロビイストが主張したあれ。要は金目なのに、人種報道に多くが釣られた。オレオレ詐欺みたいに簡単に。

この22年間の日本のGDPが横ばいなら、庶民に貧困感はないはず。でも皆さん、毎日節約に必死ですね。高級SUVや絵画が買えません。タネ明かしは、庶民の所得が富裕層に渡りケイマン諸島など海外へ送金済みだから。このカラクリは抽象画の理解よりは平易でしょう。

ところでグローバル主義は美術にもあるかといえば、19世紀のエコール・ド・パリの世界席巻がありました。日本も例外でなく、パリ画風は権威でした。おフランス由来でない油絵は、日本で冷遇されたもので。パリの異国情緒がスタンダードとされた時代が長かった。

対するナショナリズムは、日本画由来の絵画でしょう。著者の元に集まる絵も洋画らしさが減りました。ただし国産のナショナリズム美術は、日本で地位が低い。ゴミ扱いするうちに外国に持って行かれた、明治の浮世絵の結末を憂慮します。写楽や歌麿が、なぜ日本より欧米など他国にあるのかという文化闘争です。家電のシャープ社と似て。
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冤罪事件の原因は捜査ミスではなく天然知能の運命

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イギリスが死刑を廃止した原因は、凶悪犯罪者を処刑した事件でした。後で真犯人が現れた。この時イギリス人は、誰かのミスで別人を死刑に処したとは考えなかったのです。誰もが正しく行動したあげく、別人を死刑に処したと考えたのです。

警察官や検察官や裁判官が適切に仕事をしても、人違いの処刑は起きるとイギリスは悟った。再発防止は死刑制度をやめる以外にないのだと、真っ直ぐな思考を優先させたのです。長い懲役刑は出費が増えるから、裕福な国だった背景もあるでしょう。貧困国なら無理な話。

日本では冤罪が起きる理由は誤解されていて、事件を担当する組織がたるんでいてミスが起きるとした、間違った分析が出回っています。この分析の間違いに関して、本書で一章を費やして詳しく解説し、奇想天外な結論も加えています。

国民のばくぜんとした解釈にも間違いがあります。「昔は冤罪がよく起きたが今は少ない」という感覚です。「昔はゴッホのような隠れた名画家がいたが、今はいない」の声とそっくり。これは単に、発覚するのが未来だから、今の自分たちの目が百点だと思っているだけ。

日本で最近インターネット犯罪捜査で4人を次々と逮捕して締め上げ、自白調書の収録も順調に進んだ事件がありました。やがて犯人は全く別人とわかりました。警察批判でネットは炎上し、冤罪は今も普通にあると悟った国民も多かった。

手抜かりも一応あります。車メーカーN社の外国人会長の件では、中東の収賄容疑側への事情聴取が省かれ、海外ニュースで批判されました。一部の話だけ詳しく聞く慣習は、早合点や結論ありきに傾く天然知能の欠陥です。調べる対象を狭くするほど間違いが増える現象は、芸術とは何なのかを解釈する時にも起きます。
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絵を好きなように描けば芸術の創造に至るのか

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
「気の向くまま、好きなように、力まず絵をかいています」と一言添える画家が日本に多くみられます。作為的でない、等身大の自分を表現したとのアピールでしょう。これは一面、自然体を尊ぶ日本の伝統かも知れません。禅の無為自然とも関係するかも知れず。

「印象派その後」のゴッホ時代に、人々が感動した絵は印象派ではありません。それより前の写実具象の焼き直しが好まれました。人々の愛好対象は常に前時代的です。印象派をリアルタイムに支持しても、当時は上流のステイタスにならず、もっと古い絵が教養の証しだったのです。

そんなゴッホの頃に、しかし一足飛びにポロックふうの絵は出現しませんでした。誰もそこまでは飛べなかった理由は、模倣で手を広げる人類の限界でしょう。画家は目に入る既存作品を参考に、バリエーションを加えます。著者の絵も1970年代に生まれるものではなく。

木製の自動車『T型フォード』が大売れした1910年代に、プリウスふうのスタイリングはやはりありません。思うがまま気の向くまま自由に発想し、どこまでも飛翔してみても、周囲の前例に似て時代に縛られてしまうのです。

「自分の内から自然にわいてくるもの」は、それほど自由でも独自でもなく、時代の平均値だったりします。自由イコール創造とは、とてもいえるものではなく。等身大で時代の殻を破るのは不可能であり、作為的に力んで無理してやっと独創性が出るものです。

芸術創造とは何かといえば、要するに前例から離れることです。何も見ずには作れませんが、何かを見れば似ていく。そこを似ないよう、力んで絵をかくのが正解になります。わざと故意に人為的に。自然体でゆるく構えては、その辺のありきたりの作風に似て終わります。
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宇宙人は絶対にいるのだと断言する原因はアレだった

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UFOがネットで話題になるたびに、決まった意見がずらり並びます。「宇宙はこれほど広いのだから、宇宙人がいないわけはない」「出会えるかは別にして、確実に宇宙人はいる」「いないと言う者は頭がおかしいか、単に馬鹿だろう」。で始まる。

「宇宙には恒星の数が多い」「恒星が集まった小宇宙も多い」「小宇宙が集まった大宇宙も一個ではないらしい」「そんな末端の恒星一個につき惑星が十個はある」「地球に生物がいるのだから、他の惑星にいないなんてことは全くあり得ない」。と自信たっぷり。

「しかも水や空気なしに生存する生命体もいるかも知れない」「人類が思いつかない生物も含めて、何かが絶対にいる」「科学は無能だし」。こうした実感を持つ人が多い。しかしこの「宇宙人が間違いなくいる」断言は、結論ありきの心情に引きずられている疑いがあります。

なぜなら宇宙の広さは、1968年のアポロ以前のマーキュリーやジェミニの時代にも、庶民にとっては驚異だったからです。当時月にもまだ行けず、太陽は月の四百倍の距離、その太陽系も模式図よりはるか巨大で虚ろな空間で、まさに気が遠くなっていました。その頃に「宇宙人は絶対いる」との完全断定は、全く聞いたこともありません。

当時も北極星まで1000光年(現433光年)、アンドロメダ大星雲(現アンドロメダ銀河)まで230万光年(現250万光年)と、天文学的数字は今と似た規模です。疑われるのは、その後のSF映画や宇宙ドラマ番組による感化です。ゴム製のエイリアン人形も含めて。

今、宇宙関連ニュースにグレイ人形を添えても、「写真はイメージ」と断りませんね。既存の宇宙人だと思っている読者もいるはず。つまりは「嘘も百回言えば真実になる」現象ではないのか。宣伝に染め上げられた。ちなみにこの格言はナチスの宣伝相ゲッベルスの言葉ではなくて、『シオンの議定書』由来でもなく近年の言葉らしいのです。
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2000年問題は大山鳴動してネズミ一匹だったのか

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日本に「何年問題」が何個かあり、団塊の世代が後期高齢者となる介護危機が2025年問題です。何年問題の顔は、世紀末に世界を騒がせたあれです。「2000年問題は大山鳴動してネズミ一匹だ」の冷やかしがネットにあります。実はそれ、日本語の使い方が間違っています。

「大山鳴動してネズミ一匹」の意味は、大騒ぎした割に小さかった事件です。実例は1910年のハレー彗星。長く伸びた尾に地球が入ると、青酸ガスの成分で窒息して人類は死滅すると誰かが言い出し、世界中でパニックが起きました。結果は大気は何も変化せず、ネズミ零匹。

これを2000年問題に当てはめます。世界中のコンピューター業者やIT管理者が、西暦の4ケタ数字のうち、下2ケタのみ参照するプログラムを問題視しました。プログラムのソースコード内の構文探しが青酸ガスの検出に、書き換え作業が解毒に相当します。

いくら探しても下2ケタ参照が存在しないなら、「大山鳴動してネズミ一匹」です。ない問題で騒ぐだけだから。しかしプログラムに青酸ガスは大量に見つかり、解毒して回る5年でした。下2ケタ参照部分が大量に見つかり、修正する毎日。そして運命の2000年1月1日零時。

機器が00年を2000年でなく、1900年と解釈する暴走は食い止められた。この無事を「大山鳴動してネズミ一匹」と呼ぶのは、日本語の使い方が間違っています。たとえば朝から晩まで工事して川の堤防を高くして、次の台風で洪水が起きなかった無事を「大山鳴動してネズミ一匹」とは言わないものです。日本語はそこまで雑じゃない。

しかも原子力発電所は誤作動し、事前予想どおりトラブルは何もかもが起きました。ノートパソコンが死んだり、炊飯器で炊けないとか。逃げ延びたネズミが暴れ、2000年はトラブルニュースが続いたのです。解決させたら冷笑された2000年問題の結末をみて、皆さん出る杭になるまいと今後の何年問題に関わりたくない空気ができました。
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