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現代美術はわからない+芸術は難しい【質問と答】

現代美術がわからない原因を解明する世界初の試み。ネットに出回る美術理解のコツは本当か?。作品を難解にした犯人は作者か鑑賞者か。作品の意味とは何の意味か。作品が語るとは何を語るのか。わかるのをじゃまする情報は何か。一番役に立つ情報は何か。日本でのみ誤解されるものと、世界で誤解されるもの。画家は何を考え何を考えないか。芸術は人間に必要か不要か。現代人は芸術が得意なのか苦手なのか。現代アートは本当に創造なのか。人類の文化に何が起きているのか。それが文明とどう関係するのか。

拉致事件のわからなさと芸術作品のわからなさ

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
いわゆる拉致問題で、日本国政府は前に奇妙な行動をとりました。相手国内で亡くなったとされる被害者の遺骨が日本へ返され、日本でDNA鑑定が行われた時。「DNA鑑定を我が国でも行いたい」と、イギリスが持ちかけてきました。遺骨を少し送ってくれと。

日本側は「DNA鑑定は日本だけで十分」とお断りしました。この返事の奇妙さに、報道は触れませんでした。「日本の機材は高性能だから、他国の手を借りずに自前ではっきりとわかる」の意味なら間抜けです。イギリスは、検査能力ではなく証拠能力の話をしているから。

日本は当事国の利害で、検査結果を偽ることもあると国際社会は推定します。イギリスは日本を信じる材料が、ひとつだけでも欲しかったのでしょう。しかし日本は故意に水かけ論を選んだのか、どの国がウソつきなのかを国際社会が判断できないように持って行きました。

日本に特有なのは、「一番詳しい僕が言うから、全くの事実である」という訴え方です。国際間のトラブルに関するネット議論でも、「わが国が信念を貫くなら、第三者の判定などいらない」の声が圧倒的に多い。証拠能力を無視したこの思考は、たぶん戦後日本の反動です。

戦中に大本営発表に染まり本土空襲まで被った日本人が、戦後口にした言い方はこれです。「自分がそうだと思えば、それでよい」。いわゆる戦後のミーイズムです。美術制作でも、「作品を自分が信じているかが大事で、他人は関係ない」の信念にしばしば出くわします。

国際社会では「僕の目を見て信じてくれ」はだめで、証拠能力が大事。ところで美術作品の証拠能力といえば作風ですが、「きれいか」「わかるか」で終わるのは日本で、世界は「作者のやりたいこと」をチェックするでしょう。これも一人合点の信念でなく、証拠能力が大事。
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親殺しのパラドックスと抽象美術のパラドックス

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
親殺しのパラドックスは、タイムマシンの話題です。タイムマシンで過去へ行き、自分の生みの親を殺せばどうなるか、という思考実験です。思考実験だから、物理的や社会的な実験は行わず、脳内で仮想的に実験します。『シュレディンガーの猫』が猫を毒殺しないのと同じ。

30才の男が、タイムマシンで35年前へ行きます。自分を産む5年前の母親を見つけて殺せば、自分を産めない。しかしそれが実現すれば、自分は世に存在しないことになる。ならば実現させるこの自分はいったい何者かと、因果が堂々巡りして矛盾するわけです。

SF小説や映画などでは、現地で殺すのに失敗し続けるとか、将来母になる人を愛して別れるハッピーエンドなどでつじつま合わせし、矛盾を消します。しかし殺せない物理的な法則はないから、そのケース限りの偶然のオチであり一般論にできません。

しかも「バタフライ・エフェクト」なる因果の無限波及性があり、過去と現在の不整合は必ず発生します。間接的な影響が未来をも変えてしまうのは確実ですから。知らない息子が来たと知った母は、出会わずとも動転して事故や病死したり、後に死産となるかも知れず。

この親殺しのパラドックスは、永遠に解けない謎の代表格にあげられます。でも著者に言わせれば、仮定が間違っているだけの話です。「タイムマシンで過去へ行くと」の時点で間違っているから、論理矛盾するだけの話です。自分が世界を壊した結果、なぜか世界が壊れた。その壊れぶりに、自分が首をかしげてどうする?。

タイムマシンでなくても、「翌日が前日なら何が起きるか」と仮定しても同じことです。仮定がエラーだから、結果もエラー。自分が嘘を持ち込んだ結果を、「嘘みたいなことが起きる」と不思議がる不思議。この現象は抽象美術がわからない心理と似たエラーです。「永遠の謎だ」と言うデマにだまされちゃだめ。自らが混乱させただけで、謎はない。
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矛盾がある表現は芸術的には大成功?

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
矛盾の語の意味を考えます。何でも貫く鋭いヤリと、何物にも貫かれない丈夫なタテを、同じ商人が売ると、説明が同時に成り立たない不合理です。好例は「丸つぶ模様が一個もない曜変天目茶碗」でした。丸つぶを天目と呼ぶから。「丸い四角」や「黒い白馬」と同じ。

矛盾の語の使い方で、よくある間違いはこうです。「あなたは前に日本はもうだめだと言った、今は日本は伸びると言っている、矛盾するではないか」と。これは一人が警告と激励を、場によって使い分けただけの話です。この手の、活字だけを追いかけた矛盾叩きがとにかく多い。

日本のガソリン価格には、多額のガソリン税がかかっています。その税金分にも消費税がかかるから、禁止された二重課税になる。そんな悪政を「制度の矛盾」と呼ぶべきなのか。まずい制度やずさんなルールを、どれもこれも矛盾と呼ぶのは誤用の飛び火でしょう。

ところで一般通念では、矛盾は悪いことだとされています。矛盾は欠陥の意味であり、異常を正して欠陥を是正するには矛盾をなくすべきだという。解消すべき悪の意味で、矛盾という語が多用されます。

本書では芸術に矛盾はつきものと説きます。矛盾が芸術の豊かさとなった例はゴッホです。最晩年の明るくきらめく原色の絵には不吉さがただよい、暗いパリ時代の絵より死のにおいが強い。「暗い明色」「沈んだにぎやか」「前途なき希望」がゴッホ絵画から伝わります。

同じように「ずれ」「食い違い」も芸術性に関わります。作品にずれや食い違いがあるのは解消したい困りごとではなく、作品にメッセージ性や含みが備わるうれしい成果なのです。逆によどみのない、すっきりと割り切れる健康的な美術だと足りない。
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天気予報の降水確率50パーセントはずるい言い逃れか

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
人々が天気予報で一番知りたいのは、雨が降るか降らないかでしょう。かつて気象庁にこんな苦情が来たそうです。「降水確率50パーセントとは何ごとか。降るか降らないかひとつに決めるのに、半々の五分五分なら素人でも言えるわい」と。

確率半分と言っておけば、結果がどちらに出ても当たったことにでき、そのずるいやり方に怒っているわけです。「サイコロを振った目はきっと偶数か奇数かであろう」と予言するような感じか。ずるー。もちろんその苦情は勘違いで、数学用語「確率」を理解すれば解決します。

著者が大型コンピューターの会社にいた時、ひとりの男がこう言いました。「降水確率30パーセントとは、その地域の30パーセントの面積で雨が降るのだ」と。超有名お天気解説者も、同じことを民放テレビで言いました。二人の説明はもちろん間違いです。

まず、統計データベースがあります。過去の天気変化の特徴を細かく入力してあります。最近の特徴を入れてやると、今と似た流れで天気が変化していた過去が、複数見つかります。その翌日の何時に天気がどうなったのかも、数字が出ます。

今起きているのとよく似たパターンが620回あり、300回は翌日夕方に1ミリ以上の雨が降っていたなら、今回は降水確率50パーセントと考えます。似たパターンなら、結果も似るという見込みです。近年の天気予報がよく当たるのは、パターン記録が蓄積してきたからです。

降水確率は過去を集計した蓋然性の値ですが、半か丁かのバクチと混線しやすいのでしょう。確率は理解の壁のひとつで、原理が難しいだけではありません。宝くじ当選や飛行機墜落のように願望が混じり、無意識に感情移入しウェイトをかけてしまうせいもあります。
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日本美術のグローバリズムとナショナリズム

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世界の重要トピックは、イギリスのEU脱退やアメリカファーストなどナショナリズムです。テーマは、グローバル主義経済の曲がり角です。しかし現代世界史が苦手な日本のエリートたちは、人種問題や民主主義が軸線だと信じています。本当の軸線はマネー奪還の階級闘争です。

グローバル主義は、国境をなくし物、金、人の移動を好きにさせる思想です。世界混乱で所得が伸びる立場が推進します。迎え撃つナショナリズムは、フランス革命の再来といえます。フランス革命も人種問題ではなく、所得問題でした。パンを買いたい貧困層による革命でした。日本だと、パンよりも結婚や出産を取り戻すことに相当します。

グローバル主義は帝国時代に流行し、資本家と富裕層が望む社会です。経済格差が広がるほど儲かる富裕側が持ちかける。1990年代の日本で、一億総中流社会を壊そうとロビイストが主張したあれ。要は金目なのに、人種報道に多くが釣られた。オレオレ詐欺みたいに簡単に。

この22年間の日本のGDPが横ばいなら、庶民に貧困感はないはず。でも皆さん、毎日節約に必死ですね。高級SUVや絵画が買えません。タネ明かしは、庶民の所得が富裕層に渡りケイマン諸島など海外へ送金済みだから。このカラクリは抽象画の理解よりは平易でしょう。

ところでグローバル主義は美術にもあるかといえば、19世紀のエコール・ド・パリの世界席巻がありました。日本も例外でなく、パリ画風は権威でした。おフランス由来でない油絵は、日本で冷遇されたもので。パリの異国情緒がスタンダードとされた時代が長かった。

対するナショナリズムは、日本画由来の絵画でしょう。著者の元に集まる絵も洋画らしさが減りました。ただし国産のナショナリズム美術は、日本で地位が低い。ゴミ扱いするうちに外国に持って行かれた、明治の浮世絵の結末を憂慮します。写楽や歌麿が、なぜ日本より欧米など他国にあるのかという文化闘争です。家電のシャープ社と似て。
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冤罪事件の原因は捜査ミスではなく天然知能の運命

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イギリスが死刑を廃止した原因は、凶悪犯罪者を処刑した事件でした。後で真犯人が現れた。この時イギリス人は、誰かのミスで別人を死刑に処したとは考えなかったのです。誰もが正しく行動したあげく、別人を死刑に処したと考えたのです。

警察官や検察官や裁判官が適切に仕事をしても、人違いの処刑は起きるとイギリスは悟った。再発防止は死刑制度をやめる以外にないのだと、真っ直ぐな思考を優先させたのです。長い懲役刑は出費が増えるから、裕福な国だった背景もあるでしょう。貧困国なら無理な話。

日本では冤罪が起きる理由は誤解されていて、事件を担当する組織がたるんでいてミスが起きるとした、間違った分析が出回っています。この分析の間違いに関して、本書で一章を費やして詳しく解説し、奇想天外な結論も加えています。

国民のばくぜんとした解釈にも間違いがあります。「昔は冤罪がよく起きたが今は少ない」という感覚です。「昔はゴッホのような隠れた名画家がいたが、今はいない」の声とそっくり。これは単に、発覚するのが未来だから、今の自分たちの目が百点だと思っているだけ。

日本で最近インターネット犯罪捜査で4人を次々と逮捕して締め上げ、自白調書の収録も順調に進んだ事件がありました。やがて犯人は全く別人とわかりました。警察批判でネットは炎上し、冤罪は今も普通にあると悟った国民も多かった。

手抜かりも一応あります。車メーカーN社の外国人会長の件では、中東の収賄容疑側への事情聴取が省かれ、海外ニュースで批判されました。一部の話だけ詳しく聞く慣習は、早合点や結論ありきに傾く天然知能の欠陥です。調べる対象を狭くするほど間違いが増える現象は、芸術とは何なのかを解釈する時にも起きます。
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絵を好きなように描けば芸術の創造に至るのか

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「気の向くまま、好きなように、力まず絵をかいています」と一言添える画家が日本に多くみられます。作為的でない、等身大の自分を表現したとのアピールでしょう。これは一面、自然体を尊ぶ日本の伝統かも知れません。禅の無為自然とも関係するかも知れず。

「印象派その後」のゴッホ時代に、人々が感動した絵は印象派ではありません。それより前の写実具象の焼き直しが好まれました。人々の愛好対象は常に前時代的です。印象派をリアルタイムに支持しても、当時は上流のステイタスにならず、もっと古い絵が教養の証しだったのです。

そんなゴッホの頃に、しかし一足飛びにポロックふうの絵は出現しませんでした。誰もそこまでは飛べなかった理由は、模倣で手を広げる人類の限界でしょう。画家は目に入る既存作品を参考に、バリエーションを加えます。著者の絵も1970年代に生まれるものではなく。

木製の自動車『T型フォード』が大売れした1910年代に、プリウスふうのスタイリングはやはりありません。思うがまま気の向くまま自由に発想し、どこまでも飛翔してみても、周囲の前例に似て時代に縛られてしまうのです。

「自分の内から自然にわいてくるもの」は、それほど自由でも独自でもなく、時代の平均値だったりします。自由イコール創造とは、とてもいえるものではなく。等身大で時代の殻を破るのは不可能であり、作為的に力んで無理してやっと独創性が出るものです。

芸術創造とは何かといえば、要するに前例から離れることです。何も見ずには作れませんが、何かを見れば似ていく。そこを似ないよう、力んで絵をかくのが正解になります。わざと故意に人為的に。自然体でゆるく構えては、その辺のありきたりの作風で終わっています。
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宇宙人は絶対にいるのだと断言する原因はアレだった

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UFOがネットで話題になるたびに、決まった意見がずらり並びます。「宇宙はこれほど広いのだから、宇宙人がいないわけはない」「出会えるかは別にして、確実に宇宙人はいる」「いないと言う者は頭がおかしいか、単に馬鹿だろう」。で始まる。

「宇宙には恒星の数が多い」「恒星が集まった小宇宙も多い」「小宇宙が集まった大宇宙も一個ではないらしい」「そんな末端の恒星一個につき惑星が十個はある」「地球に生物がいるのだから、他の惑星にいないなんてことは全くあり得ない」。と自信たっぷり。

「しかも水や空気なしに生存する生命体もいるかも知れない」「人類が思いつかない生物も含めて、何かが絶対にいる」「科学は無能だし」。こうした実感を持つ人が多い。しかしこの「宇宙人が間違いなくいる」断言は、結論ありきの心情に引きずられている疑いがあります。

なぜなら宇宙の広さは、1968年のアポロ以前のマーキュリーやジェミニの時代にも、庶民にとっては驚異だったからです。当時月にもまだ行けず、太陽は月の四百倍の距離、その太陽系も模式図よりはるか巨大で虚ろな空間で、まさに気が遠くなっていました。その頃に「宇宙人は絶対いるに決まっている」とは、全く聞いたこともありません。

当時も北極星まで1000光年(現433光年)、アンドロメダ大星雲(現アンドロメダ銀河)まで230万光年(現250万光年)と、天文学的数字は今と似た規模です。疑われるのは、その後のSF映画や宇宙ドラマ番組による感化です。ゴム製のエイリアン人形も含めて。

今、宇宙関連ニュースにグレイ人形を添えても、「写真はイメージ」と断りませんね。既存の宇宙人だと思っている読者もいるはず。つまりは「嘘も百回言えば真実になる」現象ではないのか。宣伝に染め上げられた。ちなみにこの格言はナチスの宣伝相ゲッベルスの言葉ではなくて、『シオンの議定書』由来でもなく近年の言葉らしいのです。
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2000年問題は大山鳴動してネズミ一匹だったのか

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日本に「何年問題」が何個かあり、団塊の世代が後期高齢者となる介護危機が2025年問題です。何年問題の顔は、世紀末に世界を騒がせたあれです。「2000年問題は大山鳴動してネズミ一匹だ」の冷やかしがネットにあります。実はそれ、日本語の使い方が間違っています。

「大山鳴動してネズミ一匹」の意味は、大騒ぎした割に小さかった事件です。実例は1910年のハレー彗星。長く伸びた尾に地球が入ると、青酸ガスの成分で窒息して人類は死滅すると誰かが言い出し、世界中でパニックが起きました。結果は大気は何も変化せず、ネズミ零匹。

これを2000年問題に当てはめます。世界中のコンピューター業者やIT管理者が、西暦の4ケタ数字のうち、下2ケタのみ参照するプログラムを問題視しました。プログラムのソースコード内の構文探しが青酸ガスの検出に、書き換え作業が解毒に相当します。

いくら探しても下2ケタ参照が存在しないなら、「大山鳴動してネズミ一匹」です。ない問題で騒ぐだけだから。しかしプログラムに青酸ガスは大量に見つかり、解毒して回る5年でした。下2ケタ参照部分が大量に見つかり、修正する毎日。そして運命の2000年1月1日零時。

機器が00年を2000年でなく、1900年と解釈する暴走は食い止められた。この無事を「大山鳴動してネズミ一匹」と呼ぶのは、日本語の使い方が間違っています。たとえば朝から晩まで工事して川の堤防を高くして、次の台風で洪水が起きなかった無事を「大山鳴動してネズミ一匹」とは言わないものです。日本語はそこまで雑じゃない。

しかも原子力発電所は誤作動し、事前予想どおりトラブルは何もかもが起きました。ノートパソコンが死んだり、炊飯器で炊けないとか。逃げ延びたネズミが暴れ、2000年はトラブルニュースが続いたのです。解決させたら冷笑された2000年問題の結末をみて、皆さん出る杭になるまいと今後の何年問題に関わりたくない空気ができました。
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ヒンデミットの『画家マティス』とシュールレアリスム

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ドイツの作曲家ヒンデミット(1895~1963)は、1956年に来日してウィーン・フィルを振りました。彼の交響曲とオペラに『画家マティス』があります。ピカソにダメ出ししたフォーヴィズムの画家、アンリ・マティス(1969~1954)が浮かびます。

そのマティスではなく、近世ドイツのグリューネヴァルトです。マティス・ゴートハルト・ナイトハルト(1470~1528)という、表記が何とおりかある画家で、間違った名が有名になったことで有名です。レオナルド・ダ・ヴィンチより28歳年下で息子ほど離れた人。

グリューネヴァルトといえば、フランスのウンターリンデン美術館にある『イーゼンハイムの祭壇画』です。超有名なキリスト磔刑図で、何がすごいかといえば、イエス・キリストがあまりに凄惨な姿で吊るされているという。

中世ゲルマン系のキリスト画には、暗い中に赤を散りばめたグロ系が多く、しかしそのごちゃごちゃドロドロとはやや異なり、シンボリックな構図と妙なすっきり感があります。ドイツとの国境近くで、フランス側の村の教会に飾られた絵でした。

6枚構成の処刑図は観音扉を開けると引っ込み、受胎告知からキリスト復活図まで、希望の図に劇的に変わります。当時の疫病とも関係があるらしく、絶望と希望の落差が表現の裂け目となり、ご利益を発揮したであろう絵図です。だからクリスマスにも関係があります。

『イーゼンハイムの祭壇画』が注目された契機は、ピカソらの20世紀芸術運動と写真図版の発達でした。家で作品鑑賞できる時代。『画家マティス』の3年後に、第一回シュールレアリスム展(1937)がパリで開催され、画風がこのマティスに近いのは当時のダリの絵でした。
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長寿雑誌『月間ムー』と日本で人気のシオンの議定書

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日本のデフレ不況時代を生き延びた雑誌『月間ムー』の、創刊40周年記念セレモニーが話題になりました。幽霊、UFO、宇宙人、未知の生物、謎の未解決事件など新旧ネタを次々と紹介し、超常現象と陰謀論で説明をつけるという、楽しくもやばい内容の雑誌でした。

深夜に天井裏で足音が鳴る場合。幽霊の通り道だという説明と、他人が隠れていた刑事事件とも記し、「信じるか信じないかはあなたしだい」で締めくくる趣向です。偽書のほのめかしを兼ねて、自分が信じたいものが真実だとする自由奔放の快楽が、人気の秘訣らしく。

「あなたが目撃したUFOにも宇宙人が乗っている」「教祖である尊師の空中浮遊術は、この修行の成果だ」「水爆で発生させた東日本大震災は、日本を中国の格下へ弱体化させるアメリカの工作」「世界の誰も知らない極秘情報を、あなたは知ったのだ」と。

『月間ムー』は中国なら禁書のはずで、以前宇宙人の遺体をネットで見せた者は、警察に摘発されラバー人形を押収されました。中国共産党は民主化にも通じる人民の扇動を危険視し、デマで人心を釣るカリスマの出現に警戒しています。一方、日本ならウソつきは合法です。

世界を上手に釣った本は、1902年頃にロシアの秘密警察が作成したという『シオンの賢人による議定書』が筆頭か。内容はユダヤ人の偉い人たちが誓った、世界全体を支配し私物化する密約です。大受けして、ユダヤ人殺害が世界的流行へ。血液型性格分類と似た効力。ヒトラーも本を支持したから、今のドイツでは発禁でしょう。

『シオンの議定書』は著作権がないから日本で何種も発売中で、日航機墜落や大地震の黒幕はユダヤだとの陰謀論もその感化です。シオン本は偽書だとの警告本が外国から出ましたが、「ウソを信じる自由を守れ」と日本からやばい反論がありました。地下鉄サリンの前兆と似た空気。そんな自由奔放が美術鑑賞でも発揮できるかは、あなたしだい。
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日本が受ける誤解を世界に説明するチャネルがない?

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ネットで東アジア史を説明する中にヘイト単語を一発入れ、国内外から糾弾され言い分の全てが失墜するドジをみかけます。「XXども」などと書く自滅。説明がへたな日本人。正常に日本を世界に説明するサイトがどこかにないのか、調べたことがありました。ないらしい。

きっかけは外国人の一言でした。「日本すごい」の動画で「日本はおもしろくて変わった国だ」の流れの中、海外からのSNS投稿が転載されています。そこに海外からのこの一言。「日本では太った人はサッカー選手にならずに、相撲取りになるのだよ」。

肥満体の少年や青年が大相撲に入門して、相撲取りの職につくのだと、独自の物語を組み立てて世界の人に教えてあげています。「なるほど」と反応する読者もいますが、その説明はもちろんギャグです。

今の合格基準は体重67キロ以上で、長身でやせている合格者も少なくないという。各部屋で自炊するちゃんこ料理と、無酸素運動主体の実質的運動不足で体重を増やしていきます。外国語で正しく説明すべきですが、その場がないから嘘が通用しやすい。

日本人が生魚を食べるのは向こう見ずだからで、彼らはヤケクソな民族だと外国人が説明すれば、世界は半分は信じるでしょう。現にわさびや菊花の機能を言える外国人は皆無で、それが答だと気づかないという。クジラ漁も国内だけで納得し合うばかりで、増えたのは敵だけで味方がいません。それが好ましいことなのか。

日本人が芸術をわからないように、外国人は日本をわからないのです。著者は芸術の説明は用意しましたが、日本の説明は手つかずです。戦後政府主導の「米のごはんを食うやつは馬鹿」と同様、ウソ説明が年月経ても風化しきらず残る現象を、あきらめてはまずいと考えます。
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ラオス祭のねつ造番組とフィリピン医療のヤラセ番組

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テレビの人気番組がラオス国内ロケで、人気上昇中の新興まつりを記録して放映したところ、それは架空の祭だと週刊誌が暴露した問題です。テレビ局による弁明は事実と違う内容で、やはり炎上しました。

疑惑追求から逃げ切れずに釈明が変動し、勝ち組の牙城が崩れゆく流れは日本でおなじみのパターンなのかも。しかしネットで気になった意見は、昔のテレビはヤラセやねつ造が許されたけれど、今はだめだという時代変化の指摘です。実は、もっと昔はだめだったから。

テレビが虚偽番組を競い合った一例は、1970年代の心霊ブームでした。仕込んだ怪現象や劇団員の卵が演じた霊体などを、本物らしく放映しました。しかしそれより前の1960年代の人気番組『万国びっくりショー』は、ニセモノを放送した理由で打ち切られたのです。

その回は伝統的な医療手術でした。映像はこう。フィリピンの村で重病の患者が医者の元へ来る。台に寝かせた患者の腹を、医者は素手で切り開く。患部を指でつまみ出す。腹に置いた内蔵片を集めて捨て、医者は手で患部を閉じる。患者は全快し、入院せずに歩いて帰る。

著者は注目しました。腹部は手で引きちぎれても、閉じることはできないはず。アナウンサーは「傷口は全く残らず縫う必要もないのですね」「そうなのです」と感心し合います。「どういうこと?」と家族や友人にも言ったほど。テレビは何かがおかしいよ、変だよと。

世界は広いから超人の医者もいるという説明に、半信半疑な人ばかりで違和感がありました。なぜ半分信じるのか。するとやがて騒ぎが起き、いつもの司会者が謝罪し番組は消えました。鶏の内臓と豚の血液をゴム製の袋に隠し持ち、サクラの腹部に広げて布でふき取り手術に見せかける現地の手品でした。虚偽番組ラッシュはその後の現象です。
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雪道でタイヤチェーンをつける法律は滑らないように

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雪道の車にタイヤチェーンを義務づける法案の発端は、今年2018年のドカ雪でした。国道を行く車が埋もれ、交通がマヒして自衛隊が救出したあの騒動。何が足りずに起きたのか。考える場が机上だとチェーンに行き着き、雪上だとスタッドレスタイヤに行き着くという。

起きるパターンがあります。最初に大型トラックが進めなくなります。夏タイヤが浅い雪道でスリップするから。後の車が追い抜いて前に出ることはできません。大型トラックは車幅が広いから、後続のセダンやミニバンやSUVなどが停車を余儀なくされます。

次に何が起きるのか。雪が深くなります。道路の雪が浅いのは、タイヤが雪を踏んで溶かすからです。車が全て止まれば、雪は道路にひたすら積もる一方です。その証拠に、車が止まらず走り続けていた対向車線は浅い圧雪のままでした。つまり車が動き続けることが大事。

原因は先頭の大型トラックで、後続車が動けないのはスリップではなくトルク負け。焦点は浅雪でトラックやバスが走れる策であり、答は総輪への冬タイヤ装着です。高速道路以外の一般道でも冬タイヤ規制が必要だということ。日本の冬は寒冷化するから。

雪上走破の装備は3つで、合計8パターンあります。(1)二輪駆動か四輪駆動か。(2)夏タイヤか冬タイヤか。(3)チェーンなしか装着か。LSDやデフロックもあるとしても、冬用のスタッドレスタイヤがあれば氷結雪の峠越えも楽勝です。現に東北や北海道は、冬タイヤのみでチェーンはオマケ程度。

チェーンの欠点は社会コストで、着脱の場所と時間を要し、道路白線がスパイク部で削られます。スパイクタイヤを禁止しスタッドレスタイヤに替えて、アスファルト粉塵公害を終えた歴史もあります。トラックの冬タイヤ交換が遅れるのは、運送業がデフレ不況だから。
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民族や人種差別論争にみる理解の壁と岡本太郎の忍耐

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画家の岡本太郎と、文学か哲学の第一人者が抽象画家を語り合う本で、興味深い事態がありました。岡本は芸術の概念を、崇高な芸事の次元から引き離そうと言い方をこらします。対して文学者は、巧みなデッサンの芸を崇高に神扱いします。

文学者は抽象美術がわからないから、本題の抽象画に言及できず、写実画に心酔した話に終始します。二人は和気あいあいにみえて完全にすれ違い、岡本がいくら切り口を変えて芸術の意味を言い換えても、超有名インテリが最後まで理解しない、異様な対談の記録でした。

岡本太郎の忍耐より、芸術本も書いた文化勲章級知識人の抽象作品苦手ぶりに、悲愴すら感じました。話は変わって差別問題です。今の世界中で悲愴なすれ違いは、国の法治が人種差別と混線する理解の壁です。

よくある論争はこうです。「異文化の人たちを一定割合以上入れて定住させると、国が不安定になるのではないか」。それへの反論は「あなたはレイシストであり、その人種差別主義に私は断固反対する」。もはや耳タコなこのすれ違いが、世界で延々と続いていますよね。

国境をまたいで民族を移動させるとおいしい立場は、ひとつは仕手戦で儲ける株主であり、ひとつは入出国の手配で儲ける人材仲介業者です。両者からお金をもらうジャーナルもそう。移民難民が札束を生むマネーゲームでは、「差別」の語は印象操作に用いる人格攻撃の道具です。

変な比較ですが、芸術などより難解であろう社会問題の、多層構造をわかって対処できる者が、世界にどの程度いるのか。それを示すように、世界中で「この人もヒットラーだ」とレッテルの貼り合いです。そこを潜在的ナチスファンが、親衛隊ファッションで斜め横断する図。
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「アートが身近な街」を目指しても変化がないのはなぜ

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
美術展覧会の展示物は、世界的に現代美術です。欧米に限らずアジアでも、出し物は現代アートが普通。その美術展が普通に開かれて、人々が普通に見て買えば、アートが身近な街が実現しているのです。それだけのことが、しかし日本では死ぬほど難しい。

日本で開催すると「美術展」「アート祭」とは呼ばず、「現代美術展」「現代アート祭」と呼びますよね。「現代」と断る。正規と非正規の差みたいに、現代モノを区別するのが日本。これが著者が言う現代アートの特殊化です。その反対語は一般化。

で、その現代作品はといえば、自転車を100台積み上げたり、舞台上で焼き芋やポップコーンを作ったり。子どもが参加する遊具アートだとか。竹を並べて焼いてパーンと破裂させたり。芸術は爆発だ、自由な衝動だ、絵画や彫刻は古い、世界の流行に目を覚ませという主張です。

ところが欧州のアートフェアの出し物は、絵画や彫刻です。キャンバス画の内容が爆発しています。本当に火をつけたり爆竹を鳴らして、爆発を具象表現するわけではなく。パワーショベルで穴を掘り、この深さは芸術の深さなり・・・欧州のメインはそっちではない。

欧州の美術祭では、三大画家タイプの奇抜がサプライズです。一方日本では、ダダ運動タイプの奇抜で「どうや」。欧米はキャンバスに絵具を塗ってドヤ顔。日本は地面に穴を掘ってドヤ顔。実は周回遅れ。

世界の新作美術は、市民の手が出る絵画で市場をつくっています。日本の手が出ない奇抜な造形ではあれど。対する日本の本気アートは干し草を積み上げるなど、「手が出ない」の意味まで特殊です。何度登場しても人々を遠ざけるだけで、非正規の扱いが解けるに至らず。
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渋谷ハロウィン祭の変態仮装行列を美術表現に向ける

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
2018年のハロウィン祭は日本各地で楽しく終わり、しかし渋谷では暴動が起きました。渋谷交差点は、国際ニュースや海外動画にもよく出ます。その街で物がたくさん壊されたことで、商店街のトップが「変態仮装行列」と呼んだニュースがありました。

暴動が格差社会の負け組による社会報復だとする説明を、報道は伏せる傾向があります。電波使用料の法外な低廉の強みで、努力以上に儲かるテレビ局は格差社会の構造的な勝ち組ゆえ、ヤブヘビが心配か。新聞も軽減税率の優遇を取りつけた真の勝利者。

冷遇された負け組の暴発を、絵画制作に振り向けられないかという疑問があります。日本の美術を外国へ送ると、和の異国情緒は好評ながら、破壊的創造となれば踏み込みが浅いとの評価が通り相場だからです。

ちゃんとした絵が大半で、あらぬ飛躍的な破壊や、強いアクと異質な毒性、怪異な発言力を持つ作品は少ない。欧米にはあるのに。日本の絵はメチャクチャぶりが足りず、古風で前時代的に映る古くて新しい課題があります。

私立小学校の児童殺傷や、秋葉原のテロ、養護施設の19人刺殺の破壊力。彼らが刃物を画材に持ち替え、ピカソを超えるメチャクチャな絵を描けないのか。思えば日本ではメチャクチャなアートといえば、彫刻を燃やすとか痴漢するとか焼き芋を配るとか、そっち系だから。筆やペンでメチャクチャな絵を描く画家は、実は非常に少ないのです。

ただ勝手な予想ながら、他殺の勢いを振り向けた程度では、愛する自分を壊すには至らないかも知れません。保守的な並品を乗り越えるのは、他人への挑戦ではなく自分への挑戦になるからです。とはいえやってみないとわからないから、機会が欲しいと感じます。
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文化の日の楽しみ方も美術市場規模と関係がある?

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日本で好まれる美術は、ずばり古風な傾向があります。先進国でアート市場が異例に小さいのは、感覚の古さもあるでしょう。古美術はそこそこ売れ、現代作品は縁故なしにまず売れず。希少な国内アートフェアが骨董市と混成になるのも、これと有関係でしょう。

「東京には世界中の最新アートが入っているし、偏見なんて一切ない」「日本に欠点があるかのような言い方をされても」という声もありそうです。しかし日本国政府が乗り出すほど、美術市場が絶滅に近い状態だから、やはり先進でない先進国です。

たとえば文化の日にちなむ、芸術の秋らしさを伝えるさし絵イラスト画です。文化活動をワンカットで伝えるシンボル。よくあるのは、美術館で名画鑑賞する人々の図です。その光景はクラシックアートですね。

見るだけでなく行動するイメージなら、モデルデッサン会です。市民がヌードモデルを囲み、筆や鉛筆を握った手を向けて、親指で寸法バランスを割り出す姿とか。芸術とくれば写実とくる、昭和の古風なイメージですね。日本でアートといえば、古典とのつきあい方なのです。

少し前に、著者が写実絵画をドイツへ送ると珍しがられました。昔の画法が日本にまだあるのか?、という声です。古式技法の保存会かと疑う反応でした。たとえばドイツのカンディンスキーはピカソの15歳上の前衛画家で、ドイツでは古典的な基盤で定着しています。

そのカンディンスキーは日本では古典と呼ばれず、わけのわからん現代アートの顔役で画像が引用されます。日本で芸術とくれば、対象は18世紀あたりなのです。何もかも古風な感覚だから、国内アートフェアを現代で埋めきれず、昔の骨董品に頼るのでしょう。
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水だけで走る省エネ自動車を信じやすい日本の心情

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日本で出回る陰謀論に、ガソリンが不要で水で走る自動車があります。安くて省エネ。しかし、既存技術の利権を持つ日本経済界には不都合。そこで、政官財が団結して水エンジン車を排除し、従来のガソリン車を支持してみせるへたな芝居を続けている、という陰謀論です。

その最も恐ろしい証拠は、水で走る車やバイクが実現すると、開発者が消された事件です。ガソリンなしで車が走れるのなら、自動車メーカーだけでなく石油タンカーや備蓄基地、金融と持ち株会社、利益の環流で選挙資金が入る国会議員までが没落する理屈です。

そうした既得権益者たちが殺し屋を雇って水エンジン開発者を暗殺し、技術をつぶしているという。死体もあがらず、マスコミもグルで事件を隠ぺい。この夢のエンジン技術を葬り去った車業界の闇をあばき、悪の団体を倒せば世界に新しい時代が来る。これが陰謀論の全体像です。

水をガソリンに変える話は戦前の日本にありました。海軍艦隊指令長官の山本五十六も信じ、すると優秀な技師の姿が消えたのです。権力者に殺されたのか?。少し違い、お金をカバンに詰めてドロン。技師の正体は、架空の研究で出資金を集めて姿を消す投資詐欺師でした。暗殺されたのではなく、自ら逃走して名前も容姿も変えている。

水から分解した水素を燃やす車なら、水素自動車が発売中です。原理なら空気を燃やしてもよく、それもとっくに発売中です。水エンジン車の論法で空気エンジン車と呼べるのは、今の道行く車です。昨年、世界で9700万台製造した車は、実は空気エンジン車だったオチ。

水エンジン詐欺にオレオレなみに日本人が釣られる背景は、国内で石油が出ない上に高すぎるガソリン税です。マイカー負担でぼったくられている被害感情。ところで内外価格差なら、日本の美術価格が高すぎたというのもあり、しかしこちらは国内で美術が出ないからではなく。
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水の記憶というフェイクニュースと芸術のわからなさ

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「芸術が理解できない」の声を受けて、理解できない原因が何なのかを確認して回るのが本書です。理解の壁は芸術に限らないと示す意味で、他分野に生じた理解の壁もあげています。「芸術に限って全然わからない」「芸術以外ならわかるけど」の楽観視に、警告しています。

国民が一斉に勘違いさせられた例に「水の記憶」がありました。コップの水に向けてモーツァルトの曲を鳴らすと、水の味がよくなる画期的な現象を記憶していますか。あるいは水に「ありがとう」と言う。すると水自身が気をよくして、おいしい水へ変わるあの話題です。住宅会社が建材に、バッハを聴かせて納品するなど、各業界で流行しました。

この現象を何となく信じたままの日本人は多いでしょう。理由は、認知にロックをかけられたからです。「科学で解明できないことが実際には起きる」「科学を信じるなんて頭が固い」の言葉が、皆さんの正常思考を妨害しているからでしょう。

「水の記憶はウソだと言う者は、科学でしか物を考えない悲しい人だ」と、一発屋がかけた呪いの一言で、国民は動きがとれない心理が続いています。被暗示性が高まったあいまいな心理は、水の記憶というよりも人の記憶の不思議現象です。上手な詐欺師に心をのまれた状態。

70年代半ばに「ピラミッドパワー」。70年代末なら「口裂け女」。半信半疑を40年も引きずる国民がいます。認知にロックをかける言葉の呪いは強力で、児童の頃に見聞きしたデマから解放された時、60歳や80歳になっていたり。人生丸ごとウソの中にいたりして。

「水の記憶」と呼ぶ、科学を逸脱するデマ。同様に、芸術を逸脱するデマはあるのでしょうか。芸術からの脱線は、職人技巧を芸術と解釈するとか、デッサンの腕で代用するなどが浮かびます。もっとも、このデマに故意の仕掛け人がいたかは不明です。しかし国民は動きがとれない。
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