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現代美術はわからない+芸術は難しい【質問と答】

現代美術がわからない原因を解明する世界初の試み。ネットに出回る美術理解のコツは本当か?。作品を難解にした犯人は作者か鑑賞者か。作品の意味とは何の意味か。作品が語るとは何を語るのか。わかるのをじゃまする情報は何か。一番役に立つ情報は何か。日本でのみ誤解されるものと、世界で誤解されるもの。画家は何を考え何を考えないか。芸術は人間に必要か不要か。現代人は芸術が得意なのか苦手なのか。現代アートは本当に創造なのか。人類の文化に何が起きているのか。それが文明とどう関係するのか。

日本が受ける誤解を世界に説明するチャネルがない?

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
ネットで東アジア史を説明する中にヘイト単語を一発入れ、国内外から糾弾され言い分の全てが失墜するドジをみかけます。説明がへたな日本人。正常に日本を世界に説明するサイトがどこかにないのか、調べたことがありました。ないらしい。

きっかけは外国人の一言でした。「日本すごい」の動画で「日本はおもしろくて変わった国だ」の流れの中、海外からのSNS投稿が転載されています。そこに海外からのこの一言。「日本では太った人はサッカー選手にならずに、相撲取りになるのだよ」。

肥満体の少年や青年が大相撲に入門して、相撲取りの職につくのだと、独自の物語を組み立てて世界の人に教えてあげています。「なるほど」と反応する者もいますが、その説明はもちろんギャグです。

今の合格基準は体重67キロ以上らしく、だから長身でやせている合格者も少なくないという。各部屋で自炊するちゃんこ料理と、無酸素運動主体の実質的運動不足で体重を増やしています。外国語で正しく説明すべきですが、その場がないから嘘が通用しやすい。

日本人が生魚を食べるのは向こう見ずだからだと、外国人が説明すれば世界は信じるでしょう。現にわさびや菊花の機能を言える外国人は皆無で、それこそが鍵だとも気づかないという。クジラ漁も常に国内でボヤいて終わりだから、増えるのは敵だけで味方がいません。

日本人が芸術をわからないように、外国人は日本をわからないのです。著者は芸術の説明は用意しましたが、日本の説明は手つかずです。戦後政府主導の「米のごはんを食うやつは馬鹿」と同様、ウソ説明が年月経ても風化しきらず残る現象は、国内アートの転落でも実証済み。
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ラオス祭のねつ造番組とフィリピン医療のヤラセ番組

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
テレビの人気番組がラオス国内ロケで、人気上昇中の新興まつりを記録して放映したところ、それは架空の祭だと週刊誌が暴露した問題です。テレビ局による弁明は事実と違う内容で、やはり炎上しました。

疑惑追求から逃げ切れずに釈明が変動し、勝ち組の牙城が崩れゆく流れは日本でおなじみのパターンなのかも。しかしネットで気になった意見は、昔のテレビはヤラセやねつ造が許されたけれど、今はだめだという時代変化の指摘です。実は、もっと昔はだめだったから。

テレビが虚偽番組を競い合った一例は、1970年代の心霊ブームでした。仕込んだ怪現象や劇団員の卵が演じた霊体などを、本物らしく放映しました。しかしそれより前の1960年代の人気番組『万国びっくりショー』は、ニセモノを放送した理由で打ち切られたのです。

その回は伝統的な医療手術でした。映像はこう。フィリピンの村で重病の患者が医者の元へ来る。台に寝かせた患者の腹を、医者は素手で切り開く。患部を指でつまみ出す。腹に置いた内蔵片を集めて捨て、医者は手で患部を閉じる。患者は全快し、入院せずに歩いて帰る。

著者は注目しました。腹部は手で引きちぎれても、閉じることはできないはず。アナウンサーは「傷口は全く残らず縫う必要もないのですね」「そうなのです」と感心し合います。「どういうこと?」と家族や友人にも言ったほど。テレビは何かがおかしいよ、変だよと。

世界は広いから超人の医者もいるという説明に、半信半疑な人ばかりで違和感がありました。なぜ半分信じるのか。するとやがて騒ぎが起き、いつもの司会者が謝罪し番組は消えました。鶏の内臓と豚の血液をゴム製の袋に隠し持ち、サクラの腹部に広げて布でふき取り手術に見せかける現地の手品でした。虚偽番組ラッシュはその後の現象です。
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雪道でタイヤチェーンをつける法律は滑らないように

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
雪道の車にタイヤチェーンを義務づける法案の発端は、今年2018年のドカ雪でした。国道を行く車が埋もれ、交通がマヒして自衛隊が救出したあの騒動。何が足りずに起きたのか。考える場が机上だとチェーンに行き着き、雪上だとスタッドレスタイヤに行き着くという。

起きるパターンがあります。最初に大型トラックが進めなくなります。夏タイヤが浅い雪道でスリップするから。後の車が追い抜いて前に出ることはできません。大型トラックは車幅が広いから、後続のセダンやミニバンやSUVなどが停車を余儀なくされます。

次に何が起きるのか。雪が深くなります。道路の雪が浅いのは、タイヤが雪を踏んで溶かすからです。車が全て止まれば、雪は道路にひたすら積もる一方です。その証拠に、車が止まらず走り続けていた対向車線は浅い圧雪のままでした。つまり車が動き続けることが大事。

原因は先頭の大型トラックで、後続車が動けないのはスリップではなくトルク負け。焦点は浅雪でトラックやバスが走れる策であり、答は総輪への冬タイヤ装着です。高速道路以外の一般道でも冬タイヤ規制が必要だということ。日本の冬は寒冷化するから。

雪上走破の装備は3つで、合計8パターンあります。(1)二輪駆動か四輪駆動か。(2)夏タイヤか冬タイヤか。(3)チェーンなしか装着か。LSDやデフロックもあるとしても、冬用のスタッドレスタイヤがあれば氷結雪の峠越えも楽勝です。現に東北や北海道は、冬タイヤのみでチェーンはオマケ。チェーン義務化は間違った対応です。

チェーンの欠点は社会コストで、着脱の場所と時間を要し、道路白線がスパイク部で削られます。スパイクタイヤを禁止しスタッドレスタイヤに替えて、アスファルト粉塵公害を終えた歴史もあります。トラックの冬タイヤ交換が遅れるのは運送業がデフレ不況だからで、「訳あり車は夏タイヤにチェーンでも可」と補足がいるでしょう。
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民族や人種差別論争にみる理解の壁と岡本太郎の忍耐

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
画家の岡本太郎と、文学か哲学の第一人者が抽象画家を語り合う本で、興味深い事態がありました。岡本は芸術の概念を、崇高な芸事の次元から引き離そうと言い方をこらします。対して文学者は、巧みなデッサンの芸を崇高に神扱いします。

文学者は抽象美術がわからないから、本題の抽象画に言及できず、写実画に心酔した話に終始します。二人は和気あいあいにみえて完全にすれ違い、岡本がいくら切り口を変えて芸術の意味を言い換えても、超有名インテリが最後まで理解しない、異様な対談の記録でした。

岡本太郎の忍耐より、芸術本も書いた文化勲章級知識人の抽象作品苦手ぶりに、悲愴すら感じました。話は変わって差別問題です。今の世界中で悲愴なすれ違いは、国の法治が人種差別と混線する理解の壁です。

よくある論争はこうです。「異文化の人たちを一定割合以上入れて定住させると、国が不安定になるのではないか」。それへの反論は「あなたはレイシストであり、その人種差別主義に私は断固反対する」。もはや耳タコなこのすれ違いが、世界で延々と続いていますよね。

国境をまたいで民族を移動させるとおいしい立場は、ひとつは仕手戦で儲ける株主であり、ひとつは入出国の手配で儲ける人材仲介業者です。両者からお金をもらうジャーナルもそう。移民難民が札束を生むマネーゲームでは、「差別」の語は印象操作に用いる人格攻撃の道具です。

変な比較ですが、芸術などより難解であろう社会問題の、多層構造をわかって対処できる者が、世界にどの程度いるのか。それを示すように、世界中で「この人もヒットラーだ」とレッテルの貼り合いです。そこを潜在的ナチスファンが、親衛隊ファッションで斜め横断する図。
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「アートが身近な街」を目指しても変化がないのはなぜ

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
美術展覧会の展示物は、世界的に現代美術です。欧米に限らずアジアでも、出し物は現代アートが普通。その美術展が普通に開かれて、人々が普通に見て買えば、アートが身近な街が実現しているのです。それだけのことが、しかし日本では死ぬほど難しい。

日本で開催すると「美術展」「アート祭」とは呼ばず、「現代美術展」「現代アート祭」と呼びますよね。「現代」と断る。正規と非正規の差みたいに、現代モノを区別するのが日本。これが著者が言う現代アートの特殊化です。その反対語は一般化。

で、その現代作品はといえば、自転車を100台積み上げたり、舞台上で焼き芋やポップコーンを作ったり。子どもが参加する遊具アートだとか。竹を並べて焼いてパーンと破裂させたり。芸術は爆発だ、自由な衝動だ、絵画や彫刻は古い、世界の流行に目を覚ませという主張です。

ところが欧州のアートフェアの出し物は、絵画や彫刻です。キャンバス画の内容が爆発しています。本当に火をつけたり爆竹を鳴らして、爆発を具象表現するわけではなく。パワーショベルで穴を掘り、この深さは芸術の深さなり・・・欧州のメインはそっちではない。

欧州の美術祭では、三大画家タイプの奇抜がサプライズです。一方日本では、ダダ運動タイプの奇抜で「どうや」。欧米はキャンバスに絵具を塗ってドヤ顔。日本は地面に穴を掘ってドヤ顔。実は周回遅れ。

世界の新作美術は、市民の手が出る絵画で市場をつくっています。日本の手が出ない奇抜な造形ではあれど。対する日本の本気アートは干し草を積み上げるなど、「手が出ない」の意味まで特殊です。何度登場しても人々を遠ざけるだけで、非正規の扱いが解けるに至らず。
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渋谷ハロウィン祭の変態仮装行列を美術表現に向ける

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2018年のハロウィン祭は日本各地で楽しく終わり、しかし渋谷では暴動が起きました。渋谷交差点は、国際ニュースや海外動画にもよく出ます。その街で物がたくさん壊されたことで、商店街のトップが「変態仮装行列」と呼んだニュースがありました。

暴動が格差社会の負け組による社会報復だとする説明を、報道は伏せる傾向があります。電波使用料の法外な低廉の強みで、努力以上に儲かるテレビ局は格差社会の構造的な勝ち組ゆえ、ヤブヘビが心配か。新聞も軽減税率の優遇を取りつけた真の勝利者。

冷遇された負け組の暴発を、絵画制作に振り向けられないかという疑問があります。日本の美術を外国へ送ると、和の異国情緒は好評ながら、破壊的創造となれば踏み込みが浅い評価が通り相場だからです。

ちゃんとした絵が大半で、あらぬ飛躍的な破壊や、強いアクと異質な毒性、怪異な発言力を持つ作品は少ない。欧米にはあるのに。日本の絵はメチャクチャぶりが足りず、古風で前時代的に映る古くて新しい課題があります。

私立小学校の児童殺傷や、秋葉原のテロ、養護施設の19人刺殺の破壊力。彼らが刃物を画材に持ち替え、ピカソを超えるメチャクチャな絵を描けないのか。思えば日本ではメチャクチャなアートといえば、彫刻を燃やすとか痴漢するとか焼き芋を配るとか、そっち系だから。筆やペンでメチャクチャな絵を描く画家は、実は非常に少ないのです。

ただ勝手な予想ながら、他殺の勢いを振り向けた程度では、愛する自分を壊すには至らないかも知れません。保守的な並品を乗り越えるのは、他人への挑戦ではなく自分への挑戦になるはずで。とはいえやってみないとわからないから、機会が欲しいと感じます。
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文化の日の楽しみ方も美術市場規模と関係がある?

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外国とくらべて、日本人好みの美術は古風な傾向があります。先進国中アート市場が異例に小さいのは、感覚の古さも理由でしょう。古美術はそこそこ売れ、現代作品は縁故なしにはまず売れず。希少な国内アートフェアが骨董市と混成で開かれるのも、これと有関係でしょう。

「東京には世界中の最新アートが入っているし、偏見なんて一切ない」「日本に欠点があるかのような言い方をされても」という声もあるかも知れません。しかし日本国政府が乗り出すほどまで、美術市場が絶滅に近い状態は欠点であり、変な先進国なのです。

たとえば文化の日にちなんだ、芸術の秋らしさを伝えるさし絵イラスト画です。文化活動をワンカットで伝えるシンボル。よくあるのは、美術館で名画鑑賞する人々の図です。

見るだけでなく行動するイメージなら、モデルデッサン会場風景もあります。参加市民がヌードモデルを囲み、筆や鉛筆を握った手を向けて、親指で寸法バランスを割り出す姿の図。芸術とくれば写実絵画とくる、昭和の昔からの古風なイメージですね。

少し前には、著者が写実絵画をドイツへ送ると珍しがられました。昔の画法が日本にまだあるのか?、という声が。古式技法の保存会なのかと疑う反応です。たとえばドイツのカンディンスキーはピカソより15歳上の前衛画家で、ドイツでは古典的な基盤として定着しています。

そのカンディンスキーは日本では古典とは呼ばれず、わけのわからないゲンダイアートの典型として画像が使われます。日本では芸術とくれば18世紀の写実だから。この古風な感覚の根強さが、国内アートフェアが骨董市へずれ込む直接原因でしょう。
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水だけで走る省エネ自動車を信じやすい日本の心情

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日本で出回る陰謀論に、ガソリンが不要で水で走る自動車があります。安くて省エネ。しかし、既存技術の利権を持つ日本経済界には不都合。そこで、政官財が団結して水エンジン車を排除し、従来のガソリン車を支持してみせるへたな芝居を続けている、という陰謀論です。

その最も恐ろしい証拠は、水で走る車やバイクが実現すると、開発者が消された事件です。ガソリンなしで車が走れるのなら、自動車メーカーだけでなく石油タンカーや備蓄基地、金融と持ち株会社、利益の環流で選挙資金が入る国会議員までが没落する理屈です。

そうした既得権益者たちが殺し屋を雇って水エンジン開発者を暗殺し、技術をつぶしているという。死体もあがらず、マスコミもグルで事件を隠ぺい。この夢のエンジン技術を葬り去った車業界の闇をあばき、悪の団体を倒せば世界に新しい時代が来る。これが陰謀論の全体像です。

水をガソリンに変える話は戦前の日本にありました。海軍艦隊指令長官の山本五十六も信じ、すると優秀な技師の姿が消えたのです。権力者に殺されたのか?。少し違い、お金をカバンに詰めてドロン。技師の正体は、架空の研究で出資金を集めて姿を消す投資詐欺師でした。暗殺されたのではなく、自ら逃走して姿も名前も変えている。

水から分解した水素を燃やす車なら、水素自動車が発売中です。原理なら空気を燃やしてもよく、それもとっくに発売中です。水エンジン車の論法で空気エンジン車と呼べるのは、今の道行く車です。昨年、世界で9700万台製造した車は、実は空気エンジン車だったオチ。

水エンジン詐欺にオレオレなみに日本人が釣られる背景は、国内で石油が出ない上に高すぎるガソリン税です。マイカー負担でぼったくられている被害感情。ところで内外価格差なら、日本の美術価格が高すぎたというのもあり、しかしこちらは国内で美術が出ないからではなく。
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水の記憶というフェイクニュースと美術のわからなさ

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日本国民の「芸術が理解できない」の声に応じ、理解できない原因が何かを確認して回るのが本書です。そして理解の壁は芸術だけでないことを示す意味で、他分野にみる理解の壁もあげています。「芸術以外なら一応何でもわかる」という楽観視に、警告しているのです。

国民が一斉に勘違いさせられた例に「水の記憶」がありました。コップの水に向けてモーツァルトの曲を鳴らすと、水の味がよくなる画期的な現象を記憶していますか。水の内部に美曲への好感が記憶され、水自身が気をよくしておいしい水へ変わるあの話題です。住宅会社が建材に、バッハを聴かせて納品するなど、各業界で流行しました。

この現象を何となく信じたままの日本人は多いでしょう。理由は、認知にロックをかけられたからです。「科学で解明できないことが実際には起きる」「科学を信じるなんて頭が固い」の言葉が、皆さんの正常思考を妨害しているからでしょう。

「水の記憶はウソだと言う者は、科学でしか物を考えない悲しい人だ」と、一発屋がかけた呪いの一言で、国民は動けない状態です。被暗示性が高まったあいまいな心理は、水の記憶というよりも人の記憶の不思議現象です。上手な詐欺師に心をのまれた状態。

70年代半ばに「ピラミッドパワー」。70年代末なら「口裂け女」。半信半疑を40年も引きずる国民がいます。認知にロックをかけられる言葉の呪いは強力で、児童の時に触れたデマから解放された時、60歳や80歳になっていたり。人生丸ごとウソの中にいたりして。

「水の記憶」と呼ぶ、科学を逸脱するデマ。同様に、芸術を逸脱するデマはあるのでしょうか。芸術からの脱線は、職人技巧を芸術と解釈するとか、デッサンの腕で代用するなどが浮かびます。が、こちらに意図的な仕掛け人がいたかは不明です。
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人間が許容できる気温の幅が狭すぎる夏の不思議

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春や秋の季節の変わり目には、一日で気温が大きく変わります。昨日は10度で今日は20度などと上下し、全国ニュースになったりします。そんなある日、ラジオの女子アナがこう言ったことが。「今日の気温は昨日の2倍にもなりました」。

10度が20度へ数字が倍になった機転の表現でしょうが、もちろん非科学的です。倍率を言うなら、絶対温度283.15度が293.15度に上がり、わずか1.035倍です。アメリカで使われる華氏の表記なら、50度が68度に上がり1.36倍。

気温の微妙さを感じるのは、夏の終わりのシャワーです。熱中症の死亡ニュースが続く8月中旬に、晴れた昼の気温が35度だと、冷房しない部屋の室温は33度などです。その夜は2度下がり室温31度に下がっても、深夜にシャワー水をあびたい。

ところが全てが2度低くなり、昼の気温が33度で室温31度、夜の室温29度だと、もう水では寒い。さらに2度低くなり夜の室温27度だと、水だと震えるほどです。暑い暑いと言う猛暑続きの毎日でも、摂氏4度下がれば夏が終わってしまいます。

犬や猫は衣服の調節なしに対応できる温度幅がずっと広く、人間のこれほどの狭い許容は不思議に感じます。もしかすると表現物への許容も、実はかなり狭い幅なのかもと思えるのです。

現代アートは自由勝手で美術家は狂っている、との意見を見かけます。しかしそこまで言われるアートも意外に幅は狭く、凡庸な反復表現が多い。美術家が普通にモラリストすぎて逆に恨めしいほど。殺人的な狂気は企業人や会社員がお株を奪い、美術が顔負けしている時代です。
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Tシャツの絵と字はどちらが他人によく伝わるか

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デザイングッズ通販サイトに参加したことがあり、美術よりポップ寄りだからか、オリジナル図柄のTシャツ製品が今もたまに売れます。参加当初驚いたことがあり、著者は出していませんが、絵よりも字が売れていました。

文字のTシャツは、イマジネーションが無限に広がりはせず、連想するものに幅がないでしょう。むしろ焦点が固定されています。著作権保護されるデザイン物と違い、盗作もされやすい。でも絵に負けないほど、字が売れていたのです。

政治家の失言、芸能人の決まり文句、CMの流行語、世直しスローガンなど。「あなたと違うんです」「STAP細胞はありまーす」「日本死ね」。熟語や短文のTシャツがベストセラーです。売れる結果を受けてか、販売サイトの登録画面に明朝体とゴシック体の活字入力機能が用意してあり、素人が制作ソフトすら持たずに商品化できます。

字が人気なのは、世の中に絵画ファンより小説ファンが多い実態と相関する気がします。絵のTシャツと字のTシャツでは、見る人の脳の使われ方も違うのでしょう。

音楽でいえば、絵のTシャツは楽曲で、字のTシャツは歌詞だと想像できます。絵は遠回しで字は直接的で、絵では伝わらない意味も字だと伝わる確実性があります。ただし読めない外国の人は字も絵として見ており、「痔」と書いたTシャツの話題が昔ありました。

それなら展覧会に出す平面作品は、字を書いてもよいはず。キャンバスに「ニッポンがんばれ」と書けば、主張は間違いなく伝わります。活字フォントなき時代に、それを手書きしたのが書道でした。字だけの平面作品を他に見かけないのは、既成の概念を超えない節度でしょう。
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外国の人が納豆が苦手なのは具象の壁?

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小学生の頃に納豆を食べながら、不思議な思いがわきました。「自分はなぜこれを食べるのか」。いつから平気なのか区切りがないほど、自然になじんでいたから。「わー何これ?」の体験が一度もないまま。

まず、納豆の香りから何かを連想する、その反応が自分に起きない不思議です。外国人に限らず日本人でも、大人になって初めて食べると香りを何かにたとえますよね。「まるであれみたい」と。派手な部分に注意が集中して、似たものを連想するのが普通です。

この反応は、絵画を見て何を写したのか、描かれた物体を浮かべるのと似ています。「まるであれみたい」と連想し、そちらへ気が向かう脳のはたらきです。こうして、絵画鑑賞は置き換え思考の連想ゲームになりやすい。抽象に対しても、具象で解釈しようと試みる反応です。

納豆をよい香りとは誰も感じないでしょう。そこで横によけて脳内での存在感を小さくし、味の方へ注意を向けるわけです。香りを相手にしないで評価対象から外し、味に照準を合わせて集中します。発酵食品は全てがこの対応で成り立つのでしょう。

だんだん慣れていったのではなく、初めて食べた日に何を感じたのか、覚えがありません。そこから、「大人になれば評価対象の選択と集中が苦手になるのではないか」と仮説を思ったわけです。つまり具象画から出にくいのは、大人の脳のはたらきに起因するのかもと。

外国の人が苦手な日本食に海産物もあります。コンブやチリメンジャコなど乾物類の磯の香りが、特に中国の人がだめだという。コンビニのおにぎりで、ノリだけはがして捨てる人もいるらしく。何でも食材にする幅広い食文化圏でも、そんな個人の限界はあるようです。
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クールジャパン機構という特殊法人とお茶の魅力

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香港映画の中に、若い男たちが料理店に入るシーンがありました。店員が「ご注文は?」とたずねると、「んー、お茶」と答えます。別の男は「俺もお茶」と言う。やがてまた何人かが入ってきて別のテーブルで、皆が「お茶をくれ」と言います。

かなり前に、中国の北京から来ていた女子留学生に、映画のお茶の正体を聞いてみました。日本だと料理を買う前提でお茶はタダだが、映画に出てくるお茶は何か、コーヒーかと。答は、普通はジャスミン・ティーだという。

長崎県の企業集団が、国のクールジャパン機構を提訴(民事訴訟)したニュースがありました。手を組みアメリカに出店した「日本茶カフェ」の共同企業体(JV)解散を、クールジャパン機構が決めた。赤字を背負う企業団体側が、それはひどいと言い出した法廷係争です。

日本茶の喫茶店は日本にはありますが、欧米で普及させるなら現地在住の一家などが小店を出して、広げていくのが妥当な気がします。現地に溶け込み、常に修正を要するのが飲食店の難しいところ。

アメリカで日本茶カフェが流行るネット情報は、見るとどれも2015年11月です。それらは今問題になっているカフェをスタートさせた時の、権威ある話題だったわけです。それが3年弱で終わりとは。ただ、これを茶の文化で語れるかは微妙です。

国が関わる事業は、出世コースから外れた公務員の再就職先を用意し、税金から高給を回す職員救済が目的です。これは極秘でなく公文書にも記され、次の異動先が決まれば不要になり、部署も整理されます。収益目的の民間と異なりゴールは開店日で、翌日には冷めるものです。
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リサイクルショップで芸術でないものを見極める?

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少し前に全国チェーンのリサイクルショップに寄ると、美術品や工芸品がいくつも目に入りました。色ガラス細工や木片を敷き詰めた絵画や、キラキラ輝くレリーフっぽい工芸、また熊の一刀彫りやこけしなど民芸品もありました。いずれも安価です。

それらを持ち主がリサイクルショップに売った理由は、芸術性が低くてさしたる値打ちもないと思ったからでしょう。芸術性の有無は難しい話だと思っている人も、それらの作品類が美術館入りのレベルでないと、迷わず見分けられたことでしょう。

「レベル」という言い方は誤解をまねきやすく、魅力が乏しい説明には使いにくい語です。それらのアートグッズ類は稚拙な技量ではないし、むしろハイレベルな手慣れたプロ仕事だからです。その手慣れが魅力のなさにつながっている逆説も、すぐにわかります。

これは簡単な話であり、それらの飾り物には「表現の裂け目」がありません。物ごとの多面性がない。影の成分がなく、裏表がなく健康的で、すっきり清潔感のあるアートグッズです。汚損や傷の意味ではなくて。持ち主もすっきり感を見て、芸術性なしとみたのでしょう。

それが理由とは、見破った本人も意識しないでしょう。判断理由を説明できないでしょう。こうしてくわしいことはわからずとも、しかしパッと見で芸術性なしと判断できています。専門家が鑑定しなくても。

このように芸術性が抜けた物品と対比的に、芸術とは何かがみえることがあります。仕事が細かくていねいかは芸術性そのものでない証明は、粗く雑なセザンヌやゴッホの絵が、細かくていねいなアカデミズム絵画を退けて歴史に残ったので想像しやすいでしょう。
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剣道の分野で居合道の段位が金銭取り引きされていた

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居合道の団体で、段位試験が裏金で決まるニュースがありました。剣道は海外でも現地団体のサークル活動があります。日本のサムライ文化は海外でも通りがよく。東京医科大学の裏口入学に続いて、日本サゲ情報がまたひとつ出て、困ったもの。

連想したのは大学改革でした。試験の点以外の長所も含め、合否を柔軟に決める方針変更が行われたあれ。小論文に書く人生観やボランティア活動や、有力者の推薦状など。それらの考慮は何のことはなく情実で、縁故や口利きも含むでしょう。これは実は景気の反映です。

旧藩時代の縁故採用に時代を戻し始めた背景は、平成大不況と少子化による大学の収入減です。学力がある受験生と資金力がある受験生は一致せず、大学は好景気なら前者が欲しく、不景気なら後者が欲しい。この話題はSTAP細胞事件の時も、散々に言われていました。

日本全体がこうした情実優先に向かうのを防ぐ手は唯一、先進国並みに国内総生産GDP(内需の消費合計)を上げることです。文武の権威失墜や、本家を外資系に奪われる根の脆弱性は軽減するでしょう。

しかし居合道は平成大不況と少子化以前の、昭和40年代から続く慣習だそうです。第一、六段と七段と八段は小刻みすぎて差の計測は無理。つまり前からサムライ商法でした。「XX士」なる資格授与の集金システムは、家元のビジネスモデルでも知られます。

免状の類を配下に高く売る上納金制度は、美術にもあるかを考えると、ないような気もします。強いていえば、公募コンテスト展入賞の情実操作か。それは前に書道が事件ニュースになり、しかし驚く人は少なく、アート関連なら勝手にしろという日本の空気でした。
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テニス全米オープン2018の善悪は単純化できない

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テニスのグランドスラムで23度シングル優勝したセリーナ・ウィリアムズ選手(米)を、大坂なおみ選手(日)が破り、全米オープンで優勝した話題。この快挙に、生地の大阪では号外も配られて。

その決勝戦は審判がセリーナ陣のコーチの反則をとり、セリーナ選手が大荒れを演じ、会場は大ブーイングでほぼ崩壊。夢の舞台が荒れる中、大坂選手は「こんな結果」をわびる日本的な言葉を加えた事態。

ネットはセリーナ選手批判が多く、道徳やルールに沿った直線的な意見が多い模様。ただし片隅に出ていた小さな事情は気になります。彼女が前年の出産ブランクから復帰した大舞台だという点です。出産後の心身変調をまだ引きずっている疑いもあるからです。

その3日前に、日本の新聞やラジオはあるトピックを流しました。前年秋に続き「産後うつ」への注意呼びかけです。出産後数週間から2年は心身が不安定になる現象で、前年に102人が自殺していたニュース。芸能人らの告白と女子アナウンサーの自殺が報道のきっかけでした。

狼や犬は出産後に強い刺激を受けると、動転して子をかみ殺すなど不合理なパニックが起きるという。警戒心と攻撃性の高まりは子の防衛なのに。あの時はどうかしていたと説明不能な事態があり得るのが、哺乳類の普遍性という現代の解釈があります。

今回は誰かの動転が他の動転を誘発した偶発的連鎖が考えられ、まるで芸術が生まれるハプニングみたいに、スポーツ漫画ふうの展開になりました。ちなみに著者はスポーツの技術本を書き下ろして発売していて、テニスではないのですが、やはりメンタルの話が多く出てきます。
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東京医科大学のイカサマ受験騒動でばれたNG発言

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東京医科大学の受験騒動は、医学部の裏口入学を調査中に、偶然発覚しました。一部浪人と全女子の受験点数を下げ、不合格にする慣習が突然バレちゃった。この問題を国民はうまく解釈できずにいます。

差別は今の日本でわかりやすい文脈で、女性差別に走ったイカサマだとわかりきっています。そして原因を男尊女卑だと考えやすい。しかし実際には、差別の根は貧困です。これ禁句。

「救急病院の深夜当直は、女医だと穴があく」「結婚出産後の職場復帰を病院は願えど、本人は退職した」「心臓弁膜症や脳の開頭手術を行う外科医は、目指す女子が少ない」。現状では負担は男性医師にかかり、勤務医の実態は男性差別が横行中。これ意外。

病院の悩みを聞いた国民は、工夫せよと言います。でも工夫の前に増員が必要です。雇う女医を増やせば欠員のカバーは簡単。でも今、政府と国民は節約中です。増員すれば経費増になり、健康保険の3割が4割にでも上がる理屈です。これ必然。

貧困で女子を活用する余裕がないと告白すると、今はNGです。似た現象は障がい者の雇用ノルマで、官公庁が一斉に大々的に不正した動機はコスト軽減でしょう。官公庁もぶらぶらしてはおらず、ブラック残業が続く状態なのでこれも一種の貧困です。これ絶句。

最近続く国内のほころびは不景気の結果ですが、今が史上最高の好景気だと政府が宣言したので、不祥事を不景気以外で説明する苦労が国内に生じています。医学部受験のイカサマも、景気悪化ではなく男尊女卑が原因だとの批判に甘んじる方向になっています。
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らしくないジャズのベニー・ゴルソンのようなアート

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
今日から3日間は東京JAZZ。夏の最後の音楽祭。そこで披露される「コンテンポラリージャズ」の基盤にある「モダンジャズ」は、主に1950年代のジャズ黄金時代の音楽です。現代美術の前身の近代美術みたいな感じ。当時「ハードバップ」の名がつきました。

これはダメ用語でした。ハードと呼んでもギンギンでなく、ラッパがのんびり鳴るだるい曲も多いから、語感が合わず。ドビュッシーの印象派音楽よりひどい。そのモダンジャズ当初から続く一人が、ベニー・ゴルソンというテナーサックスプレイヤーです。

ところがベニー・ゴルソンの価値は、ほぼ作曲と編曲で築かれたものです。この人しか思いつかない妙にクセのあるメロディー展開で、なかなかの才人です。その一方で、テナーサックスの腕には疑問符がついて回りました。

一般にテナーサックスへ期待するスタイルと合わない、すき間の演奏だったからです。リスナーが期待するテナーのスタイルは、歴史的に二つに分かれていました。コールマン・ホーキンス型と、レスター・ヤング型です。

前者は豪快で無骨、後者は繊細で柔軟。後の新人はどちらかに分類されてきました。ベニー・ゴルソンは分類しにくいから、過小評価となったわけです。高齢の80代の演奏でも分類しにくい特異な演奏が聴けて、すぐに「んっ、来たな」とわかります。

どんな表現物も「らしい」タイプに興味が集まり、無意識にそこを基準に他を評価します。「らしくない」作品はわからない人が増えたり賛否が分かれ、評価が決まらず先送りになるのが普通。ベニー・ゴルソンも晩年にやっと演奏の評価も上がりました。
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美術制作を続けていく確かなモチベーションとは

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
「絵を描くのが好き」「ものを作ることは楽しい」「何か色々できそうな気がする」というわくわくする若い熱意は、意外に早く冷める結果論があります。スタートできなかったり、その後が続かなかったり。

続かない隠れた原因は、ひとつは表現が多様化した時代性です。既存作品が多岐に渡る時代に、ビギナーが何か作ってもどれかに似ます。他人がすでにやったことばかりで、自分らしさが出ない悩み。視界が広がるほど、相対的に自分の小ささを感じるのです。

美術家は資格のない自由業なので、世界共通で職業として安定せず、収支が合わない赤字続きが普通です。ある時熱烈に入れ込んでも、翌年また翌年と持続するには、特別な動機がいると気づきます。横好きぐらいでは、一回結果が出ないだけで崩れやすい。最初は美術へ進みたかったと言う音楽家がよくいますが、転向して正解です。

長続きの秘訣はおそらく恨みです。哲学者や伝道師になることで、美術家の関心は続くでしょう。人は誰も明るい笑顔だけでは生きていない、それが制作のカギです。おもしろくて収入になり、楽しい輪ができる幸せな分野は他にいくつもあるでしょう。

いったい何を伝道するのか。自分の独自性です。他にはない自分の表現が用意でき、その存在を世に認知させるぞという目的意識です。平和を伝えたいとか、そんな主張なら美術以外でもできるし。

作らない立場の人が、伝道に目覚めることもあり得ます。でも少ない。まずは、日本で美術が極端にマイナーになっているのはなぜか。焦点を整理する解説サイトを、最近別につくってみました。
→ アートの本格解説(スマホ用)
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阿波おどりの国際化と地方産業や地場企業の未来

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
阿波おどりに参加したことがあります。著者が小学生の夏に、ご当地の親せき宅に泊まり、地元の一行に加わりました。ハッピ代わりのゆかたまでは用意してもらい、二拍子の要領をまず教わり、周囲の見まねで動いてだんだん調子が出ました。自己採点は10段階で2程度。

笛と鉦(しょう=かね)と太鼓の鳴り物三人組に踊り手が加わり、ドンドン、チャンカチャンカ、ピーヒャラと、口ずさみにくい謎のメロディーで、街灯が少ない夜の町を回ります。途中で一行と別になったのか、最後は駅前と呼ぶ大通りに連れられました。

テレビ局も詰めた左右観客席の谷部分を、各町から集まった大行列がゆっくり進むハイライトです。今の総踊りとは違う場所らしく。夏休みの旅行のはずが、にぎやかな人混みの中。昔の藩主が許したドンチャン騒ぎの由来どおり、大規模な演奏と踊りをひとつのリズムに合わせます。

当時不思議だったのは男女差でした。部外者には何となく荒いイメージがある阿波おどり、女踊りは上品で洗練されていました。キャットウォークを行くファッションモデルを誇張したような動きは、今見ると意外に派手。あれからビジュアルを補強したのかも知れません。

男踊りは泥棒手ぬぐいでウチワや扇子をひらひらさせ、アドリブ名手があちこちにいました。低い姿勢でのけぞったり跳ねたり、酔八拳みたいな奇抜さも当時からあって。70年代ディスコのパフォーマンスみたいな人も目につきました。

阿波おどりは後に日本各地に広まりました。海外公演も行われ、群舞のステージなど輸出文化になっています。一方、大イベントを持つ徳島市ではもめています。産業が乏しい地方で、冠イベント依存の不況業種が主導権争いでまねくパターンだそうで。
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