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芸術は難しい現代美術はわからない抽象絵画はちょっと・謎を理解する質問回答

美術がわからない原因を解き明かす世界初の試み。作品の意味とは?。価値とは?。画家は何を考えているのか。誰がアートをわからなくした?。ネットの理解法は正解か?。一番役立つ情報は何か?。芸術は人間に必要?。現代アートとは何?。人類の文化に何が起きている?。高度情報化ハイテク文明と芸術の関係は?。

未来の戦争の絵画は超抽象表現になりそうな

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
スペインのプラド美術館にあるピカソの『ゲルニカ』は、日本の新世代に理解者が多い絵です。牛や馬や人の絵だと判別でき、「それは何?」に答が出せる絵でもあるし。基本的にピカソの絵は抽象的な具象画であり、抽象画家の中で最もわかりやすい。

『ゲルニカ』を戦争の表現法で考えると、ナチスの戦闘機にスペインの町が空爆された被害状況です。あの場面は実際にあったわけではなく、具象を崩したわけでない空想画です。その図は新しい戦争でもあるし、古典的な戦争でもある。

『ゲルニカ』の戦争の新しさは、古典名画のような「兵士が刀を振り合う」「人民が銃をとった」と違う点です。科学的な機械兵器で機械的に空から爆弾を落とし、被害者は無防備の町民です。兵士ではなく一般人を攻撃する時代の始まり。

同時に『ゲルニカ』が古典的にも映るのは、目視できる光景の風景画だから。ところが2020年以降は戦争が抽象化し、目に見えず音も出ない可能性が高いのです。ドンパチやらない。戦争の目的は領土の争奪ですが、奪い方が昔とはもう変わったから。

スイスで想定された情報戦があります。相手国の領土を奪うには相手の政界に人を送り、国の法律を変えさせます。スパイ法を廃案にしたり。援護射撃は弾丸でなく情報で、テレビからネットへ。映像と言葉で相手国を操作します。「国が伸びる時代はもう来ない」とネットで繰り返して、相手国民を自暴自棄に追い込む暗示効果とか。

前にIT戦で、アメリカの原子力空母が話題になりました。船体の操縦ソフトがWindows2000だったから。プログラムを壊されたら負け。空母が買えない貧困にし向けるには、通信用中継ターミナル製品を軍部が監修し、相手国の技術を盗聴して産業をつぶす。絵にならない陰湿な戦争から、画家も鑑賞者も離れていくでしょう。
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MMT現代貨幣理論を大勢が理解できないのはなぜ

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
日本人が最も理解しがたい分野は芸術だと、著者は想像してきました。ところが、もっと難しい分野があったのです。経済です。まずクイズを出します。次の3つの説明を、何となくでも理解できるでしょうか。

(1)自国通貨建ての赤字国債は、無限に発行しても財政破綻しない。(2)ただし増やせる上限はインフレ率で決まる。(3)政府の負債は国民の資産となる。これがアメリカ民主党議員が紹介し、世界の経済界でもめている『MMT』(現代貨幣理論)です。経済界のゴッホ。

国債とは政府が発行する証券です。誰かが買います。国債を担保に政府は政府小切手を発行し、小切手を政府業務の相手事業者へ支払います。例えば高速道路やリニアモーターカー。これが、政府から民間への財政出動です。出動したマネー創造の合計残高は日本が1100兆円、アメリカは2300兆円。経済大国はこの負債金額が大きい。

人間の理解の壁になるのは、(1)(2)の二条件を合計する点です。(1)で無限に増やせると言うものだから、経済学者たちは即反応しました。「お金を無限に増やすクレージーはあり得ない」「無限ができると言うなら今ここでやってみろ」「無限は限りなく大きいぞ」と。

(2)で上限が規定されるから、無限は単に原理です。車にガソリンを入れ続ければ、無限に走れる的な話。しかし、騒ぐ者が必ず現れます。永久機関を信じる宗教かよなどと。二段階ロジックに加え、無限という抽象概念です。結果的に「あなたはMMTを理解できますか」が、世界各国で知能テストみたいに扱われています。

「以下の場合はその限りでない」など、条件つきの文書は法律にもよくあります。この難易度で、MMTは地動説や相対性理論や抽象画のように、新たな理解の壁です。ちなみにMMTは中国の成長と日本の衰退の経済差も説明でき、起きている現象どおりの怖い法則です。
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芸術や美術がわからない現象を時々再確認

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本書は「美術がわからない人に美術を教える本」ではありません。そうではなく「美術なんてわからないやと思ってきた人が、なぜそうなったのかを今からでもチェックできるガイド本」です。「これが原因だったのか」「それなら今すぐわかるぞ」と。

「自分は美術やら芸術やらが難しくてわからない」と思っている人に、「それはたぶん、ここに引っかかるせいではないか」とヒントを出します。本当は大勢がわかっているのに、わかっていないつもりへ脱線したケースが多いからです。

たとえば日本では、多くの人が絵画を見ても意見を言えません。自分の意見がないまま、「この絵の評価はどうなっているの?」と外に意見を求める傾向があります。正解を外部から探してきて、覚え込もうとする反応です。どうも皆さんコチコチ。

作品を見ても自分の感想が白紙で、まずは世評を知りたがる。次に世評を記憶し口にするようになる。この現象が日本で顕著な原因は、国民が美術ととても縁遠いからです。ここをぼかしたらだめ。暮らしがアートに遠くて、語る言葉も未発達。何を言うべきか、言葉の用意がない。

よくイメージされるのは、日本人は生真面目で固く、個性嫌いで排他的だから、柔軟性が要求されるアートは苦手なのだという説です。しかしそれなら、音楽と美術で大きすぎる落差が説明できません。音楽は売買される幅が世界一広く、音楽市場規模世界第二位が日本なのです。

美術に限って、国民に意見を言わせない何かがあるはず。疑惑のひとつはコンクール型の展覧会でしょう。日本では、美術の価値を上が決めて下に伝える展覧会ばかり。悪循環が起き、「自分の目で見ない」「だからわからない」「だから自分の目で見ない」の無限ループです。
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AT車のペダル踏み間違え事故とギアシフトレバー

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コンビニへ突っ込むAT車の事故ニュースが、まだまだ続いています。日本に限らず、動画サイトの海外映像でもよく見ます。本書ではAT車の事故を芸術のある一面で解明し、反語を誤解釈するように踏み間違う脳のはたらきを説明しました。

その伏線は周辺にもあり、ひとつはギアシフトレバーの操作体系です。最近T社製P車で踏み間違い暴走が続いていると話題です。内外のP車オーナーが、事故につながりそうな間接要因を解明する動画を作っていました。どうもシフトレバーのデザインが疑わしいという。

ギアポジションは前の画面に小さく表示され、MTのような手感覚がなく目視が必要です。左手で操作するシフトレバーは極めて独特で、謎のBの語もあります。車をバックさせる意味かと思えば、エンジンブレーキ相当が利くモードだという。エンジンブレーキを略してB。

Bマークが違和感を与え、いつか手足が大混乱する可能性が指摘されています。しかしAT車はそれ以前に、元々ひどく変です。ニュートラルの前方へレバーを押せば後進し、後方へ引けば前進するのが、昔からの基本デザインだから。前なら後、後なら前。何それ?。

ハンドルを右に回せば車が左へ進むぐらい、人間工学に反しています。運転者は違和感に思考で立ち向かい、思考が途切れて直感で動かすと逆をやらかす。この異常な基本形を踏襲する全車種が、人の本能に逆らう欠陥デザインです。今さら多すぎて否定できないだけです。皆で渡った赤信号が肯定されていて不気味。

ネットはP車叩きとユーザー叩きの戦場ですが、考えるべきはコンテンポラリーアートと、カーオペレーションデザインの差です。わかりやすく保守的で、甘く優しく親しくあるべきはどちらか。謎と不思議と突飛ぶり、意外性で驚かせ、裂け目で考え込ませるべきはどちらか。
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美術作品の全てに共通するコンセプトとは何か

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「この作品は何を伝えたいのか」と疑問を感じる絵や彫刻は多いもの。作品ごとに形も色も違い、造形や方向性もまちまちで、鑑賞に行き詰まる方も多いでしょう。実は理解の突破口があり、全ての作品に共通するコンセプトがあります。どの作品も同じことを言っています。

それは「平和」です。作品が伝える決まった概念は、平和と繁栄です。わからない作品に出会えば、「これの意味は、平和を大切にということだな」と思えば、必ず当たってしまうのです。

たとえばスペインのプラド美術館にあるピカソ『ゲルニカ』は、爆撃された街で人々が逃げ惑い、バラバラ遺体が散乱したキャンバス画です。当然美しい光景を描いたのではないから、バラや美女を描いた油絵とは違う世界です。

なのに『バラ』『美女』『ゲルニカ』には、共通して平和を願う思いが込められています。全く違う方向の作品でも、その共通コンセプトだけは全てに備わっていて、個別に謎を解く必要はありません。平和を肯定しない作品は存在しないから。

絵画や彫刻を見る時には「これは要するに平和が言いたいわけだ」で、百発百中です。画家Aの平和表現、彫刻家Bの平和表現という異口同音が、アートの隠れた普遍性です。悪魔的な造形であれ、ゴミを積み上げてあれ。ということは、平和をテーマにかかげた美術展は無意味です。

なぜ作品が平和主義なのかは、ものづくりの普遍性でしょう。ついでに作品作りは子育てみたいなものかと、こじつけた説明もできます。種の保存、生存本能ではないかと。ところが、一部に例外があると気づきました。ひとつはトリックアートです。
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税金と芸術はどちらが国民に理解されているか

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所得税や消費税などは何のために徴収するのか。「国民から集めた国の運転資金でしょ」「税収が多いほど国の予算は増えるから」と思った人は、完全に誤解しています。えっ国の運営費ではなかったの?。そう、国の税金にそんな機能は一ミリもありません。ええっ?。

国の運転資金のひとつは、国が国会議員に払う報酬です。月額129万円。焦点は自国通貨です。円は国会議員の判断で、政府の子会社同然の日本銀行から発行できます。プリントするだけで議員報酬のお金を用意できるのです。では、なぜ全額ではなく一部だけ印刷するのか。

お金が増えすぎるとインフレになるからです。つまり国税の最大の機能は、インフレ率を上げすぎないこと。景気の上がりすぎへのブレーキ役です。国税は運転資金ではなく、インフレ防止です。副次効果ではなく主目的です。予算づくりの増税は完全な誤解の産物で、お金が不足なら増刷するのが政府の仕事です。

税が軽いと国民は買い物を楽しみ、好景気にわきます。でも無税だと、お金の増え方が速くて過剰インフレになります。人は好奇心旺盛だから食べて遊んで何でも体験したくて、物が売れすぎます。フェラーリ車の注文が数百万台に増えるとか。そこで課税して買う気をなくさせます。この原理の成功例がタックスヘイブンで、失敗例が福島原発です。

ならば、消費税率が高い国は何なのか。経済成長でインフレの国です。浮かれた国民に冷や水をあびせるのに、消費税は即効性が高い。正反対のデフレ不況であえぐ国は、逆に大幅減税して買い物ブームを起こすのがハウツーです。インフレ基調に戻るまでお金を印刷して。

ここで二つの奇想天外をくらべます。「芸術はデッサン技術ではなく、表現の裂け目である」と「国税は運転資金ではなく、インフレ防止策である」の二つ。国民にとって、どちらがより奇抜すぎてついていけないでしょうか。芸術と税金はどちらがわけわからない?。
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消費税はグロアートよりもグロテスクだって?

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日本国民は消費税が上がるたびに、国の財政は危機だからしかたがないと身を引き締めます。危機の時こそ自らも痛みを分担して、犠牲を払う責務を感じながら。僕らが負担した消費税が国を助けるのだと、愛国心を忘れずに。「少子高齢化の福祉へ少しは貢献できただろう」と。

買うのを断念した天体望遠鏡の消費税2万円は払わないとして、食費の節約で買ったモヤシの消費税1円はお国に捧げるのなら、ぜいたくを捨てた貧困化も何のその。努めを果たして気分も悪くない。しかしそんな国を思う気持ちは、昔も今も踏みにじられ裏切られています。

なぜなら消費税の増税は、法人税の減税と毎回セットだから。消費税は国庫に入っているようにみえて、企業へ献上された計算なのです。企業の内部留保を増やして株主へ渡り、その多くは海外の持ち株会社です。庶民の資産は、マネーゲームの強豪へと移動しています。

順序はこうです。財界は法人税を下げて欲しいと国会議員に要求し続けています。口だけでなく政治献金して。だから法人税の減税が先に決まります。そして下げた法人税を穴埋めするために、別の税を上げることになります。その穴埋め役が、消費税とタバコ税や出国税です。

みんなが払う消費税は、堤防や保育所やあかずの踏切には使われずに、企業と投資家に入ります。政府関係者からすれば、消費税は国への貢献と関係なくて、国民に感謝する筋合いもないわけで。情がある庶民は、富裕なビジネスマンがさらに太るこやしにされています。

「全然わかりません」と国民が言い出す対象は、政治よりは芸術が先にくるでしょう。しかし自覚はなくとも、政治よりも芸術に皆さんは明るいのです。現代芸術よりも、多少わかっているつもりの現代政治の方がグロテスクで、圧倒的に闇が深い。
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消費税の増税をやめろという主張に多い忘れ物

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消費税を上げるなという主張に、たいてい大事な一言が抜けています。現代アートがわからないと言う人に、キモとなる抽象論理のトリックを説明し忘れたまま、簡単だよと言うのと似た感じで。

消費税に反対する動画で、こういう説明を見ました。「消費税は消費者から取る」「だが今後日本は消費が減っていく」「だから取る消費税も減っていく」「減っていくから行き詰まる」という論法。この説明はとてもおかしいのです。

日本で起きている消費税の失敗は、「率を上げて額が減る」の悪循環だから。税率を上げると、買い物をやめる人が増えます。横ばいではなく減る。300万円の車をあきらめて、200万円の車種に落としたり。絵画や天体望遠鏡を買う人も減る。増えるのはモヤシを買う人。

買わない選択が増えるから、消費税5パーを10パーに上げても税収は真っ直ぐ2倍には増えません。やめた天体望遠鏡の消費税は国に入りません。この話を抜きに消費税増税に反対しても、説得力がありません。「税の回避は非国民」と言い返されて終わりです。

消費が減っていく、という出発点そのものが消費税で生じた結果です。1997年の消費税増税以降に内需は低迷し、最新パソコンや予備のスマホを買い足すのも、皆さん節約中ですよね。少子化の表れではなく、成人の買い控えです。増税のせいで消費が減っていく因果関係です。

趣味の分野がひどい。高級カメラやオーディオ、レコード盤、楽器類、テニスラケット、スノーボード、ロードバイク、ブランドバッグ、彫金アクセサリー、高級化粧品、シャンパンやマツタケ、カルチャー講座、水泳教室。「率はアップで額はダウン」でもやるのは、最初から動機が国づくりとは異なるからでしょう。
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消費税の狂気性とゴッホの自傷行為

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美術を理解する

よく聞く言い方。「日本は貧困になり国庫に入る税金が大きく減った」「だから国を維持するには消費税を増税するしかない」「他に方法などない」。こうした声が耳に入ると、国民は黙る以外にありませんよね。高齢者介護や少子化対策に気づかう良心がある弱みで。

ところが他に方法はあり、本来そちらが正攻法です。税額を2倍に増やしたいなら、GDP(国内総生産)を2倍に増やせばよいのです。3倍なら3倍。倍率は比例はしないにせよ、中華人民共和国に引き離されたGDPを、頭を使い増やして抜き返す手があります。

なぜそうしないのかは簡単な話で、税金が減る貧困で国民も気落ちしています。極度のマイナス思考。すると、パイ全体を大きくして余裕をつくる発想ができなくなります。自殺志願者の心理と同じで、広い視野も心の余裕も失われるから。心が折れた状態。

常人がピンチに直面すると、今あるパイを奪い合う心のはたらきが生じます。これが緊縮財政思想です。どこを削るか、どこから奪うかという共食い以外に思いつかなくなる。一例がブラック企業。国レベルだと、国民の買い物資金を削る消費税増税に飛びつきやすい。

消費税は消費への制裁金なので、本来は買い物を食い止める目的です。物を割高にして、浮かれた消費ブームを冷やす役目が消費税。デフレへ仕向けて、経済をストップさせる懲罰の機能です。ただし1989年の3パーセントは、物品税廃止の減税効果が優勢でした。だから88年にバブルがはじけても、92年まで好況でした。

そうすると、政治家がデフレ不況をインフレへ変えたいと述べて、消費税の税率上げを行うのは狂気です。まともでない。その狂気性を国民が感じない理由は簡単で、気落ちしているからです。自殺志願者の心理と同じで、自分の片耳を刃物で切るゴッホと同然。心が折れた状態。多少でもゴッホの目線に近づいた平成時代でした。
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美術家と鑑賞者が常に衝突する抽象表現

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ネットによく出てくる美術ニュースは、内外の絵画に起きた事件です。絵が白昼堂々と盗まれたとか、オークションの高値記録だとか、名画の由来が解き明かされたおもしろネタなど。そんなニュースのコメント欄に意見が集まると、次のような対立がよく起きます。

「現代アートがわからない日本人は多いね」「わかるように作らないから当然でしょう」。これがよくある、わかるわからない論争です。ところが多くの場合、わからないアートとは抽象絵画や彫刻を指します。具象作品を指すことはまずないでしょう。

つまり「わかるように作る」とは、モチーフを判別できるように、具象作品にとどめる意味です。「これは何?」に対して、「商店街の風景」「池に浮かぶ葉」「パンダの顔」と、すぐに言える絵をかいて欲しい要望です。答を言えない絵はアウトというわけ。

僕は絵なんてわからないという人に、こうたずねたくなります。「わからない具象画はどれですか」「わかる抽象画はどれですか」。果たしてどんな回答が出てくるか。こんなふうにたずね返した者は、世界に何人いたのでしょう。

私たちは芸術の基礎は具象と思いがちですが、「ピアノ協奏曲」の音も「クリームシチュー」の味も抽象的です。陶芸茶碗も全てが抽象です。例外的に、絵画と彫刻にだけ具象カテゴリーがあります。絵と彫刻のみレアケースになっています。

クリームシチューの味が何と一致し、何を意味するかは、実はいらない追求です。いらない分析で正体を読み取ろうとする人が、美術に限って日本に限って多い。欧米に少ないことはわかりました。あちらは単純に鑑賞する時のハードルが低くて、美術市場に活気があるのでは。
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美人銭湯絵師の盗作騒ぎとオリジナルへのあこがれ

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お風呂屋さんの内壁に描く絵をめぐる話。美人銭湯絵師が話題になった直後に、絵が盗作ではないかとネットで炎上し、ニュースにもなりました。国民から寄せられたコメントにはパクリ批判や糾弾が多く、しかし「うーん」と考えてしまう部分もあります。

「絵がうまいだけで中身がない」「オリジナルを作れないのは話にならない」「パクリはクリエイターの命取り」「他人と似た絵のどこが芸術か」「芸術の冒涜」「創造性のない絵かきばかりで日本は大丈夫か」。といった投稿コメントが並んでいたのです。

美術家に限らずデザインや活字の作家も、パクリで流行ると叩かれる時代です。でも気になるのは、国全体の傾向です。もし盗作が価値ゼロでオリジナルに価値ありが常識になっていれば、日本はすでに美術立国になっているはず。

著者は前にとても創造的な絵をネットで発見し、しかし作者の手がかりはなく接触できていません。それも複数あるのです。芸術的なオリジナル創造クリエイターは、万人が見慣れないし取っ付きも悪いのだから、スポンサーもつきません。どうやら廃業同然らしくて。

美人銭湯絵師は廃業を回避し、国民に喜んでもらえたし、実際ヒットして感動も集まりました。大勢がきずなを感じてグッズも売れています。逆にですが、芸術創造の道こそ同時代の人は感動しないし、本人も生き地獄に落ちたりするでしょう。ゴッホの実例もあったし。

オリジナル度が高いほど売れないのが現世の法則です。オリジナル画風がついに売れたピカソさえ、現代日本での世評は「狂った人の絵は理解不能」で片づけられがちです。美人銭湯絵師にくらべ人気はボロ負け。オリジナルを描けと言うヤジを無視した方が、画家本人は得です。
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わかる意味はごく普通の使い方で十分なのだが

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本書は「芸術は難しい、現代美術はわからない、抽象絵画はちょっと」という国民感情は意外に深刻だとして、わからなくした犯人を指摘して回るヒント集です。今すぐわからせてやろうではなく、新しいヒントで自分なりに考えようとのススメです。

ただし「わかるとは何か」には深入りしていません。「存在とは何か」みたいな哲学論にそれるからです。そこは、誰もが普段使っている言葉「僕はわかる」「理解しているつもり」の用法どおりで足ります。ところが美術ではそこに問題が集まっています。

「僕は絵なんて全然わからない」と言う声が日本に多すぎて、その結果が昔から言われた国内美術市場の小ささでしょう。その自称わからない人の言う「わかる」とは、作品に立派な思想がきっとある前提で、自分はキャッチできないと言っているようなのです。

そこには、芸術は高尚だとの前提があります。正解の真理が作品ごとにあるとして、真理がつかめずに敗れています。それは理解のハードルを自分で高くして、その高さに届かないだけの話です。最初から見上げている心理が悪影響しています。

欧米の多くの市民が美術作品をわかり、買って家に飾る、それは作品に関心を寄せて、エンタメ対象として家に置くだけの話です。作品の高尚な真理をつかんだから買ったのではなく、音楽アルバムを買って家で聞くのと変わりません。日本のように構えが固くないのです。

日本の固い構えは、美術館のWEBデザインに一致しています。正統、厳粛、高尚、神妙な雰囲気です。そんなフォーマルな威厳と気高さは、国内美術の周囲に漂う空気と同じです。この高尚を敬愛するか敬遠するかで、敬遠派が多いほど市場が萎縮するのはわかりやすい。
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日本は低欲望社会になったから経済が伸びないのか

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日本経済が中華人民共和国に引き離された理由は何か、超有名な評論家の説明がありました。日本人が物を欲しがらなくなったからだと。飽食の時代のせいで低欲望となり、日本の内需はしぼんで国力が落ちたと。確かに12年前よりも、絵画を買う人も減りました。美術を買うには、国力というバックが必要ですから。

低欲望社会の表れで、車を使ったデートも下火になったと言われます。スポーツカーの人気はなく、イタリアのフェラーリ車への関心も低い。たとえばフェラーリ812。6500cc、V12気筒スーパーチャージャーなしの800馬力。二人乗り。

「300キロ以上出ても無意味」「荷物が運べないし」「資源が無駄」「いらないよ」の声が多い。「僕は欲しい」とあこがれないのは、満ち足りた物余りの時代だからだという説明です。エコを愛し過剰を憎む。かくも国民の欲が落ちたから、物が売れない時代になったのだと。

低欲望で結婚せず、少子化で人口が減り、消費者が減って不況になった分析です。一時流行した草食系男子、スローライフ、きずな世代の語もそれで。日本の不況は意欲を失った若者たちのせい。主犯は若者だと。超有名評論家のこうした説明は、よくあるフェイクニュースです。

実際の順序は逆です。新自由主義経済は富の上方移転ゆえ、デフレ不況で庶民の所得が減り、小型車にも届かない金欠が実態なのです。街の声「車なしで暮らせる時代」「無駄な買い物」「軽の中古で足りる」は、財布だけが原因です。貧困が無欲にさせた。イソップのぶどう。

グラフでデフレ不況の起点は1997年の消費税5パーセントだと一目瞭然ですが、原因と結果が逆の説明は世界で流行中です。んっ待てよ、ならば大型アートよりも軽アートを売り出そう。実はリーマンショック以降にEUで版画人気が起きており、著者も進出済みです。
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世界中でお金の意味がガクンと難しくなった1971年

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世界のほぼ全員が、お金の意味を誤解している焦点はどこでしょうか。実は著者も数年前まで、全くわかっていなかったのが「現代マネー」でした。現代アートの方がよほど簡単。お金がどう生まれるかは、大昔とコース取りが違う新事情があるのです。

「ドルショック」の語は広く知られます。ドル紙幣をいつでもゴールドの金属塊と交換しますと誓ってきたアメリカが、1971年に突然やめた事件です。この時から、お金の意味が抽象化しました。そしてお金の生まれ方も増えたのです。

今たとえば1万円札をATMから預金すると、通帳に1万円の数字が印刷されます。これは日銀の負債証書と銀行の負債証書を、取り換えっこしています。ところが次がわかりにくい。企業で必要になり、本日銀行から一千万円融資を受けた。これは何と何を取り換えたのか。

この一千万円は、国民の銀行預金百億円の一部を回したのではありません。日本でも百人中百人が誤解している点です。通帳に数字を印刷すれば、天から降ってわくのです。お金をプリンターで勝手に生み出す権限を銀行が持っています。負債証書と返済能力を取り換えたのです。

「だったらいくらでもお金を刷れば、皆が物を買えて不況もなくなるでしょ」は正解。現に政府は硬貨を鋳造し、日銀は国債を発行し、各銀行は通帳に印刷しています。「国のどこに財源があるのか?」は愚問で、好きなだけ増やせるが正解。定量の金銀をシェアする時代は終わって、国と銀行とでお金の総量を増減できます。ここが第一の誤解。

ところが増やしたお金で物を買うことが必須です。ここが第二の誤解。刷る上限は、供給能力より総需要がやや上回るまで。ところで美術作品は誰が生むのか。日本では美術は上から下に降りてくる感覚が強いのですが、当然ながら美術家が勝手に生み出します。美術家は銀行?。
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ゴッホの兄弟愛は絵の理解に必要な知識なのか

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「知識は力である」の格言をみかけます。「時代に何が起きているかを知らされたなら防げた」「知らなかったせいで後の祭になった」「無知で国がさびれた」「戦争になった」などの結果論も歴史に多いのです。

必ず儲かる話は必ず詐欺だと知っていれば入らなかったが、知らないから入って財産を失ったケースもあるでしょう。連続殺人犯が拘置所で本をたくさん読み、「僕に知識があれば殺人していない」と過去を嘆き、犯行時には無知だったからと減刑嘆願した実話もありました。

知識があればというなら、美術鑑賞の知識とは何でしょうか。私たちは鑑賞のコツを学ぼうと考え、予備知識を仕入れようとしますね。一番多いのは作品の周辺情報で、事前に作品を取り巻く物語を頭に入れておけば、わからない作品もわかるようになると期待しますね。

たとえばゴッホ絵画の美を理解するには、ゴッホと弟の兄弟愛が手がかりになる気がします。ゴッホの暮らしや親族とのきずなをヒントにする人が多く、人情話の切り口でたくさんの本が書かれ読まれてきました。兄弟愛の感動を、絵の感動につなげていく鑑賞法が広まっています。

しかし今日では、ゴッホと弟の関係で絵を見てもすれ違うとするのが、美術鑑賞のコツなのです。かえって作品そのものと向き合えないから。街でラーメンを食べるのに、製造元の社史を読んで出向くようなもので、その準備は何か違うなあと。

よくある決まり文句を知らない方が、鑑賞に色がつきにくいでしょう。「ゴッホは美しい」「ゴッホは天才」「ゴッホは狂人」など、鑑賞者を型にはめるフレーズに注意。「ゴッホは絵がうまい」も含めて、実際とメチャメチャ違うキャッチフレーズも出回っているのだし。
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ストラヴィンスキー『春の祭典』とピカソ絵画は近い

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オーケストラ部員の人と、ピカソを話題にしたことがありました。図書館で借りていたピカソの大画集を、その人が数日だけ貸して欲しいということで。民間アパートの隣同士だったから、紛失の心配もなく。学生身分には、自由以外に読書機会があります。

「ピカソの絵はストラヴィンスキーの曲に似ている」と言うと、相手は「確かに」と納得しました。その時想定した曲は『火の鳥』などではなく、もちろん『春の祭典』でした。『春の祭典』はバレエ音楽であり、初演で観客が大荒れになったいわくつきです。

どう荒れたかは、モダンバレエへの拒絶反応でした。ロマンティックバレエやクラシックバレエとは異質な、トンデモなポーズがブーイングの騒ぎを起こしたらしく。曲は舞台の脇役ではあったものの、騒ぎを焚きつけた要素にはなったでしょう。

しかし時間がたち、『春の祭典』の曲は人気が出ていくと同時に、わからないアヴァンギャルドクラシック曲の中で名声ができました。表現の裂け目が顕著なピカソと、作品への反応具合まで似ていました。太陽系外へ送り出した黄金のレコード盤に『春の祭典』は収録されました。

『春の祭典』は変拍子と不協和音、二種のメロディーが同時並行するなどトリッキーで、モーツァルト曲などと全く異なります。テーマを反復するソナタ形式ではなく、サッカーの攻撃みたいに、異なる作戦を連結していくような音楽構成といえます。

1970年代のオーケストラ特集ムックでは、『春の祭典』のレコードを20種以上持っている論者が、ゲオルグ・ショルティー盤を新時代の演奏と評しました。「音のオベリスクを次々と立ち上げる」の言葉で、パルシブな特性を表わしました。ガッガッガッガッと立ち上がり、浪花節にならないピカソは、この音楽と似ています。
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統計と芸術はどちらが理解しがたいものなのか

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日本の好景気が統計で偽造された事件です。インタビューに多い市民の意見は「政府の統計がそもそも間違っていたらだめでしょ」「官僚が統計を改変するなら何を信じればよいの」。こうした当然の抗議に、少しオマケの注釈もつけたい気がします。

嘘は三つあると言われます。嘘、大嘘、統計の三つ。で大嘘って何?。例は「水の記憶」「ピラミッドパワー」「納豆でやせる」「日本は赤字大国」でした。「それはホントでしょ」と思う人は多いはずで、大嘘の特徴は集団感染力の強さです。流行性感冒並み。

嘘には三つあり、嘘、大嘘に続いて統計だという。この近年の格言は、統計は全部が嘘だという意味です。本当の統計と嘘の統計の、二種類はないという意味です。全部がウソ。ええーっウッソー?となりそうで、人類はやはりその部分が苦手なのでしょう。

たとえば海上で船と船がぶつかったとします。その様子をAさんはこう言います。「ドカーンと音がしてぐわっと傾いた」。Bさんはこう言います。「コツンと当たった」。Aさんの真実とBさんの真実は異なり、どちらの船に味方するかの違いです。これが、統計にも必ず生じます。

統計とは、数字を整理してグラフに示したビジュアルイメージが多く、関係者の願いが反映します。たとえば違いがわずかな棒グラフも、下部を切り詰めれば差を激増できます。円グラフは並び順や色の割り当てで印象が変わるし。関係者に覚えがなくても、必ず強調したり薄めたりの細工が方向性を持ち、透明な存在たりえない。

正しい統計だけ相手にする発想は、何かが変なのです。正しい美術だけ鑑賞しようという発想と似ています。「全員一致がよし」「正解は常にひとつ」と、純粋さを信じて起きる失敗です。客観的な統計はこの世になく、全ての統計は何かがデフォルメされた個人作品といえます。
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沖縄県民に基地負担をかけすぎている理由がわからん

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
日本国内で、沖縄県だけにひどい負担がかかっています。なぜか。日本国が沖縄に基地を置く理由は、沖縄が国境の町だから。アメリカの基地が集中する理由は、沖縄はうちの所有物だと中華人民共和国の共産党が宣言しているから。つまり共産主義への防衛ラインが沖縄です。

この程度の説明さえ国内に出回りませんよね。なぜか。よくある説は、中国が日本のマスコミの株を購入した見返りや、現代のコミンテルンが報道各社にいる陰謀説です。識者たちが述べたハニトラとか。現実は、中国へ工場を移した日本企業のスポンサーCM以前に、ジャーナリズムの論理でしょう。報道はケンカを歓迎する仕事だから。

「賛成」「反対」の対立激化は絵になりニュースになります。「なーんだ、そういうことか」とわかり合えて笑顔が戻ると、ニュースバリューは消えます。地元で深夜に幽霊が出た事件で、「近所の祖母が徘徊した姿でした」と知らせない方が、日本全国の大勢がわくわく緊張して楽しめ、心霊特集本も出せるのと同じ。ネタばらしはお金にならない。

県民差別や珊瑚を守る闘いで国内を分断すれば、物語になる。国際政治を伏せ人間ドラマの悲喜へと落とす傾向が、今日言われるマスコミ問題のひとつです。これはしかし世界の報道の宿命でもあり、エンタメ化が悪かも一概に言えないでしょう。報道も表現物であり商品だから。

日本では、芸術とは何かが放置されて収束しない状態が長引き、国民はわけがわからない現状です。問題を整理したがらない。著者は、美術界における芸術の扱いが、沖縄における基地の扱いと似ているかも知れないと感じたことがありました。

こじれにこじれて解決不能な人情物語が一番ウケる事情が、芸術にもあるかも知れません。「なーんだ、そういうことか」とわかり合えて笑顔が戻ると、忘れられて終わってしまう懸念で核心部を教えないやり方。つまるところ芸術とは、深夜の地元に出る幽霊みたいなものか?。
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お金を使わないと景気が悪くなるイメージは何か変?

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
日本で芸術以上に誤解されやすいのは、お金の意味と役割です。宝とみる感覚が抜けないのです。正解を言えば、お金の意味は借用証であり、役割は人体の血液に似ます。活発に動かし回ると健康になり、緩慢だと死期が近づく。この理解が今の日本人は芸術以上に苦手かも。

バブル崩壊後の不景気が1993年にみえた頃、国民は物価が下がれば幸せになると誤解しました。安売り競争が続けば裕福になれると思い、結果は餓死や貧困家庭が続出するありさま。歩行者天国を襲うテロリストや、弱者を切り殺して得意がるヒーローまで出る始末。なぜだろうねと言う声は今も多い。全ての原因はデフレ不況ただひとつなのに。

お金をどんどん使えば逆に入ってくると理屈でわかっても、日本では感覚が逆です。お金を使えば消滅するが、使わず温存すれば富として残るから国力が増すという勘違いです。政府が財政出動すれば、その借金で財政破綻するという、今流行中の集団勘違いもこの思考ですよね。

原理で考える女子高生などは、事態を見破っています。「みんながお金を使えば、ぐるぐる回って景気が上がるでしょー、お金を使わないとだめだよー」とあっけらかん。社会人たちが、出費を切り詰めるほど国の経済が健全化すると思っているのと逆です。

ところが、女子高生の正解の先にも誤解は生じます。たとえば「お金を使わないと景気が悪くなる」の言い方は間違いです。というのは、お金を使わないイコール景気悪化だから。使わないことと不景気に、時間差はないから。

言い換えれば、節約で不景気になる場合と、ならない場合の二とおりはない。節約する気分がつまり不景気だから。「お金を使わないとやがて不景気になる」の言い方は「腹を痛くすればやがて腹痛になる」と似た誤用です。皮肉ではなく、人は経済よりは芸術に明るいと判明。
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冬の日の体感温度の矛盾と地球温暖化の学者

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2019年2月17日は、戸外にいるとぽかぽか温かく、しかしひどく肌寒い一日でした。道に立つとかなり温かいのに、かなり冷たい。矛盾した天気。温かい理由は快晴だからで、やや高くなった太陽が体を照らすから、暖かい春の訪れを感じます。

一方、肌寒い理由は気温が低いからで、梅の咲き始めの快晴日に起きやすいちぐはぐ感覚です。その日は温暖なのか寒冷なのかを一口で表現しにくく、天気ニュースの口調と体感にも差が生じます。おそらく昔の人もそこに着目し、その妙を俳句や詩で言い表したことでしょう。

その翌日、地球温暖化説で有名な学者が亡くなったらしく。東京温暖化の混線も含め、誤解とフェイクが多い分野です。熱が伝わる物理法則が複数あるせいで理解も混乱します。太陽が温かいのは輻射熱のせいで、空気が冷たいのは伝導熱のせいという、中学の理科の応用です。

輻射熱は、高温の物体が向こうにあれば、そこから熱線が放射されこちらへ届きます。熱線の正体は赤外線で、電磁波のうち光の領域。外出した人の顔や手や、服の表面や髪も、太陽からの赤外線で温められ温度が上がります。

一方で、その顔や手が変に肌寒いのは、冷たい空気に直接触れているから。しかし誤解が多いのはここで、空気の冷たさが伝わるのではなく、手や顔の温かさが空気に伝導し奪われて冷たいのです。熱は高い方から低い方へ伝わる法則です。さらにもうひとつ、人体がミニ太陽となり、快晴で見通せる宇宙空間へ熱を放射します。放射冷却現象。

熱が伝わる全体像を誤解する人も多い。「太陽熱で地球が温められるのは科学者の嘘だ」の意見が、ネットにけっこうあります。理由は「だって宇宙は真空だから、熱が伝わるわけがないと誰でもわかる」と。誰も彼を説得できない。やはり学校での教え方は大事か。
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