美術に贋作が多いのは、美術がわからないのも一因か
2017-02-22 Wed 01:42
高級腕時計やカバンを偽造して、本物より安く売る闇市場があります。これを美術でやるのが贋作(がんさく)で、完全コピーでなく有名画家の未知の作品を装います。売る相手は美術館やアートコレクター。

贋作は音楽では起きない気がします。ホロヴィッツやイーグルスの贋作レコードや安室奈美恵の贋作CDは珍しく、ブートレグ(海賊盤)と呼ぶ違法コピー盤がやっと。それとて本人が演奏した、販売権のないダビング製品です。音楽大学の学生が真似て歌い、安室のライブ版と偽った音楽ソフトはまずないのではないかと。

それでも戦後の昭和時代、地方にニセの歌手が現れました。比較的年輩のミュージシャンが時々話に出す「みそらひはり」もそれで。ポスターに濁点はなく、チケットを買うと地元の知らない歌手が出演したという話。「エノケソ」も、日本が貧しくなった時代の便乗商法として語り草です。名前が違うだけ良心的かも。

音楽ではまれな贋作も、美術では多いのです。時々あるどころか、ありすぎてどうにもならない場合も。たとえばエコール・ド・パリでも特にゆるい作風のあの大物画家は、見たら贋作と思えとささやかれるほど。贋作率9割以上だから「それはニセモノだ」ととりあえず言い放てば、神がかって十中八九が的中する計算です。

贋作問題を書いた本は昔から多く、しかし真贋と芸術性の高低がからむと書きにくい様子です。歴史名作にも贋作は多く、鑑定結果もグレーが多いから、一般人の自己責任みたいになっています。真物と知れば感動しろしろと背中を押され、贋物と知れば感動するなと急ブレーキ。この心理は美術家や評論家にもやはり起きていて、人間の限界なのです。

みそらひはりが抜群だったり、個性的ならどうなるかは、音楽なら東京へ送り興行に乗せれば新たな展開ですが、美術ではそうはなりません。普段から不透明な価値で回転している弱点で、ネームとバリューを分離して扱うことは、現実に誰にできるかとなって出口が見えないのです。能力主義に徹しにくい美術の特殊事情が、贋作者には追い風です。
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