抽象は死んだのか、純粋抽象アートの場合
2017-02-10 Fri 05:39
抽象アートの中で、純粋抽象はほぼ死んでいるでしょう。死んでいるという意味は、作る側にとっても見る側にとっても、もう芸術体験にならないこと。創造の糧にもならないことです。謎も含みもなく割り切れていて、過去形となった状態。俗に言うアカデミズム化というやつ。

純粋抽象のわかりやすい例は彫刻で、たとえば直方体や球体を巨大化したオブジェは、ステンレスであろうと木彫であろうと、純粋抽象に入るでしょう。絵画なら代表は近代画家のモンドリアンで、画面を直線で仕切って塗り分けたタイプがわかりやすい一例。

そうした純粋抽象の反対になる、純粋でない抽象はピカソが典型です。ピカソのほとんどの絵が、人物、風景、静物の具象三点セットのどれかに当たります。初期のポロックのような純粋抽象に近い絵とくらべて、ピカソは実は具象画だという珍説もあるほど。ピカソは抽象の原点にもなっていて、初級者に優しい。

それに対して純粋抽象がほぼ死んだとにらんだのは、現代日本アートを海外で展示した結果でした。一般に展示作品の効力は二つあり、好かれる方向と嫌われる方向です。今や純粋抽象はどちらにもならず、見物客から好感も反感も引き出せない状態です。売れないなりの刺激も特に発揮せず、空気に近かったような。

だからこちらでやる制作マネージメントも、純粋抽象系はエレメントに付加価値を足す話になります。模様のおもしろさあたりを見せ場とした作品は、現実の事物につながる作品へアレンジする方向で。これは近代抽象画がモンドリアンで完成して折り返した、西洋絵画史の流れと一致します。

では具象画は死なないのかといえば、カメラが普及した時に写実主義が死んでいます。印象派の絵が写真的でなく絵画的なのは、カメラと競合したからです。先進国のうち日本で「写真は芸術でない」の意識が特に強いのは、写実絵画の時代を存分に満喫しないうちに、写真術の台頭で過去形にされた美術側の未練もあるかも知れません。
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