芸術をほめる言葉が貧困になっている文学界
2017-02-07 Tue 01:39
「素晴らしい」「感動した」と作品をたたえ、感慨の大きさで芸術性の大きさを裏づける場面がよくあります。「絵の高い芸術性を見届けた」体験をわかりやすく表現するために、アートファンはしばしば自身の心の高まりを強調します。でも、そうした言い方は無意味なんですよ。

たとえば振り込め詐欺の犯人グループは、高齢者から巧みに300万円をだまし取るのに成功したら、「素晴らしい」「感動した」と言い合ってわくかも知れません。こぼれる笑顔でガッツポーズ。人の心に生じるナイスな気分、共感と高揚で心にぐっときたとしても、創造性の証明にはならないでしょう。善行か悪行かさえ、どっちもいえるわけで。

それらはフリーサイズの言葉であり、具体性もない。「すごかった」と言っているだけで、何がどうすごいかは空白。ショックの規模をもって「この作品は究極の芸術作品である」「人類の至高の創造とわかった」と、実証できたみたいに語られては、ちょっとまあ困ったものです。

美術作品をほめる言葉は、芸術体験の広さ深さの反映と考えられます。よく絵画展の直後にお客に聞くと、「暗いですね」「明るいですね」だけだったりして。抽象画では「色がきれいでした」。現代美術特集では「作品が大きくて驚きました」。

「ピカソはすごいですよね、ピカソのデッサン画は本当にきちっとしています」という称賛もアレです。「僕はピカソの抽象絵画がわかりません」「ゲルニカの国際評価はピンときません」のカミングアウトになっていますよね。無理にほめようとせず、正直にけなしてもよいのでしょう。流行語大賞にならって「わけがわからん抽象は死ね」と。

ほめ言葉の貧困は、日本でアートが特殊領域に隔離され、毎日の暮らしの中にないことに起因するでしょう。日本国民はアートと疎遠だから、言葉が出てきにくい。美術を語る言葉が発達していないのです。これは文学界でもいえます。小説家やエッセイストまでが美術の芸術性をほとんど語れていないのは、ちょっとまあ困ったものです。
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