世のアーティストたちは本当に芸術をわかっているのか
2017-01-26 Thu 01:15
美術入門者の中で深く考えるタイプは、こう感じたのです。「美術界がわからない」と。作品よりも美術界。業界自体がよくわからない世界だなあと。美術界は何を信条として、いったい何屋さんなのかと。

アートの概念とアーティストの定義を広げることへの執着は何か。実はアーティスト自身がピカソがわからなかったせいで、横へ流れているのではないか、という疑惑です。このタブーともいえる疑いが可能になる根拠は、アートの意味をずらしたりねじった作品の多さ、アートでないトンチ領域へ飛翔する作者の多さです。作る放棄の多さ。

市販のトラクターが農家に納品されると、146万円。それを美術館に納品すると、7億円のアート作品になるパターン。このタイプのコンセプチュアルな作品たちは、「ピカソはわからない」へのリアクションが立脚点かも知れない疑いです。時代のタイミングからみても。

「わからないものが芸術さ」という、ピカソで生じた一般通念が初めにありきです。そこを基準に、コンテンポラリーアートはわからないものを求めています。謎の大きさでピカソを上回るために。わからない印象を与える近道で、トラクターを選んだ疑いがあるのです。作品のわけがわからないと皆に言って欲しくて。名目でピカソを超えようと。

「芸術はわからないもの、奇妙、謎」というピカソが原因で出来上がったイメージに、後発の作者たちが引っかけようとした疑いです。造形では勝負にならなかったから、トンチの領域へ場を移して。わからなくすることが主目的になったとも、言い替えられるでしょう。

振り返りますが、「それならピカソがわからないのは何だったのか?」「美術館にトラクターを置くことと、ピカソ絵画を置くことは、同質の不思議をもたらせるのか?」という、その話が実は世の中に抜けていたのです。日本に限らず世界で。雲と蜘蛛を区別せず「くも」でぼかした現代美術論とは、そういう意味のたとえです。難しい話ですが。
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