アート作品の理解とはマルをつける意味なのか
2017-01-23 Mon 01:49
「わかる」とはどうなることなのか、本書で少し触れています。少しにとどめたのは、細かい話に向かうと哲学的な突き詰め方になって、日常の感覚から離れてしまうからでした。先進国中で日本の最大の問題は、アートを特殊領域に追いやっている点なのだから。

ここで今「わかる」とは別の「理解する」の意味について、本書にない話題を用意しました。作品を理解するというのは、そのまま「いいね」をポチっと押すナイス表明とは限らないというお話です。

たとえば国際問題で「理解を求める」の理解は、相手に何かを許可してもらったり、反対意見を取り下げてもらう意味が多いのです。元はNOだったのを、YESに変えてもらう場合もあります。同意の意味です。理解は賛成。しかしこれが家庭問題ならどうでしょうか。

「恋愛は誤解で始まり、理解で終わる」という格言があって、理解し合うことで関係がつぶれることがあります。理解は賛成などではなくて。こちらの意味が、美術作品には適するでしょう。美術の理解は国際問題ではなく、家庭問題と似ているのです。作品を正しく理解した結果の、作品否定があり得るという話です。理解しての駄目出し。

作品がよくわからないせいで、何となく好感を持つことはあり得ます。それが一転して理解が進むと、つぶれてしまう展開です。美術にそれが起きてもよい、そういう理解も当然あるとするのが、本書の立場です。この本は理解が目的です。美術の美化はやらず、愛好は後回しで。

人々がアートの本質を誤解しているおかげで、美術制作者の利になっている面も実はあるのです。きちんと本質を理解したら冷や水になって、幻滅して去っていく人が増える恐れと背中合わせ。実は本書は、紙製本の時代に出版社に何度か断られていました。内輪の機嫌を損ねる内情はちょっと、という意見がついてきて。別に暴露本ではなかったのに。
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