世界のアートは大きく二種類に分かれるって?
2017-01-20 Fri 01:38
「難しい、わからない、ちょっと」が普通になっている日本で、鑑賞者が悪いのか、それとも作者が悪いのかを、厳密に調べてみる人は少ないようです。「わからない」の内訳があいまいにされている一面です。

ネットに並ぶ「美術がわからない」についての記事は、互いの攻防にもなっています。見る側は「何が描かれているかわからない」という不満の大合唱で、逆の側は「こう見たらわかる」と未熟者を指導や調教する書き方になっています。

しかしこの本は「現代アートがわかるサイト」に多い、入門者をアート脳へ改造する講座とは全く違います。作る側の論理や意図を説明はしても、学ぶことはすすめません。すすめない理由は、現代アートには中味がないものを展示するという、19世紀以前にはなかった手法があるからです。20世紀に生まれた「特殊解」のアートです。

文化人類史から乖離した特殊解が現代美術にだけ存在し、猫もしゃくしも特殊解に流れたハイな気分は、意外に大事です。もう少し考える人たちは、作品がわからない悩みとは別に、わからないこと同士の横の壁に気づき始めたのです。あっちの「わからない」とこっちの「わからない」は、同じ意味なのだろうかと。

彼らがばくぜんと感じながら、すっきりとうまく言葉にできない焦点。それはピカソの抽象がわからないことと、7億円のトラクターがわからないことは、果たして同じ現象かという点です。「わからない」は全てがイコールなのかという疑問。言葉では容易に言い表しにくい部分です。だから、現に誰も言い出さないわけで。

実は違うのだと、初めて具体的に説明したのが本書でした。現代アート論には、雲と蜘蛛を分別せずに「くもがー」「くもをー」と投げ散らかす話がとても多いのです。そこを思い切って分けると、ごちゃごちゃは整理され一気に見通しがきくようになりました。人類が考えたアートを「三大画家タイプ」と「ダダ運動タイプ」に分けたのです。
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