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「理解する」とあるのに「理解しない」意味になったり、「いない」が「いる」の強調だったり。そうした反語表現は、言っても書いても言語のマジックです。ならば言葉でなく、絵図や造形物で行う反語表現はどういうマジックかというツボがあります。

わかりやすいのは戦争と平和です。反戦をどう描くかの方法論の広がりです。前に企画した外国での日本現代美術展に、軍服を着て銃を持つ女性の絵が候補にありました。軍事色が濃い絵図に映り、軍国主義や戦闘賛美だと感じる人もいそうです。

その絵はもちろん反戦の思いであり、平和志向です。実はもっと飛躍した意外な狙い、暗喩があったのですが、少なくとも戦争肯定には向かっていません。画家は平和の絵をかく時、反対側の表現をとってもよいわけです。悲惨な被害を絵にして平和を強調する方法。かえって平和そうな幸福の図だと、好感度目当てで芸術性が下がりかねません。

似たことが、ゴミを集めた立体作品にもいえます。作者は、美女の銅像よりこっちがきれいだぞ、より美しいぞと張り合っているわけではありません。ゴミ作品を見た鑑賞者が「全然きれいじゃない」「あれを美しいと感じる感覚がわからん」と思ったら、やられてしまっています。

作品によって見方を切り換えよという教訓でもありません。アートはきれいさを示して伝えるものとする一般的な基準からして、人類が作ってきた創作の価値観とは異なるという重要ポイントです。見て感じた額面どおりを訴えるのかは、作者も決めていないこともあります。

ただし、きれいであるか汚いかは、アート本来の価値観を考える本質論に関係するから、反語表現の典型であるとまではいえないでしょう。ひとついえるのは、汚い作品を作る作者は別に美的感覚がおかしいわけではないということです。汚く作る目的意識は多岐に渡ります。
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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
Posted by現代美術はインチキの詐欺ってホント?