芸術がわからないと訴える裏に、日本の内部分裂がある件
2016-11-26 Sat 20:07
このブログには8冊組の本にはない話題が多いのですが、ここでいきなり「芸術の難しさ」のさわりのひとつに触れます。「さわり」は序の口の意味ではなく、ヤマ場の意味ということで。

芸術の難しさといえば、変な作品を見てわけがわからず、どう解釈してどう味わうかで途方に暮れた件が多いでしょう。が、それだけではありません。作品の優劣を測る物差しそのものが、どう目盛られているかが不明瞭な意味もあるのです。絵がどうなっていれば芸術なの?、あるいは失敗なの?と。そしてかんじんなそこが、なぜあいまいなの?と。

実はこれ、日本が抱えている問題だという特殊事情があります。他国では起きていない内部分裂が、日本で今も続いています。日本の若者の作品がくすぶったり、さまよっている実態も、その内部分裂の反映として読むことができるのです。

内部分裂を簡単にいえば、お手本に似ていることを芸術と呼ぶ派と、お手本に似ていないことを芸術と呼ぶ派の対立です。真逆のそれぞれが、我こそが芸術だと名乗っています。これでは国民が、芸術とは何かをわからない方が正常でしょう。もしよどみなく理解できる人がいるなら、単に関心が片寄っている疑いさえあります。

180度反対向きなのに、同じ「高い芸術性」と称賛するのでは、全くたまりません。よりにもよってここを多様性や自由主義と言い出せば、不誠実な悪乗りです。ちなみに諸外国では、お手本に似ない独自作風を芸術と呼ぶ傾向があります。既存物から遠いほど本物の創造だとする原則が欧米流。ルーヴル美術館に並んだ名作もその基準です。

日本にのみ「難しい、わからない、ちょっと」の声があまりにも充満しているのは、国内が内部分裂しているせいもあるでしょう。白も黒もどっちも白と呼ぶせいで、国民はついてこないわけです。
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