現代アートフェスティバルのポジションの裏読みと真相
2016-09-22 Thu 00:07
少し難しい話ですが、地方でのアートフェスティバルは、現代美術の立ち位置を暗示しています。はっきり言って、メインでないサブの位置。ルノワールにくらべ、ポロックはオプション的というあれです。

大都市を離れた現代アートフェスティバルには、弱い立場同士タッグを組む作戦とする本質論があります。許されざるものが、許される場に集結するというか。悪く言えば、都落ちといえなくもないビミョー。国民の目に映る現代アートは、言ってみればB級グルメ感覚なのです。

そうなってしまう一因は、現代美術の活動が若者中心な点です。実際には長年作った高齢ベテラン作家もいますが、イメージは若者の世界が先行します。現代アートは、駆け出しで未熟で刹那的。青春の一コマを刻んでやがて出演者たちも卒業する前提の、今だけ感がありあり。実際とは違う、そうした国民の先入観があるのです。

話を変えましょう。アメリカの音楽フェスティバル『ウッドストック』で、ロックは一般化しました。隔離したアングラを脱して、一般社会にコンテンツが普及してA級化を達成。みんなの資産になりました。これにならって現代美術も、日本で一般化できないかと考えてしまいます。

現に欧米国では、現代美術はA級の一流扱いで花形です。アートフェアと呼ぶ特設市場は、純粋に売買が目的で。メーンエベントの大型フェア会場を中心に、プロ画廊や臨時ギャラリーが並び、アート週間がつくられます。それも年に2回や4回も。全て現代美術なのがミソで、過去より現代に入れ込む欧米の姿です。

日本の現代美術は『ウッドストック』フェスティバルを繰り返してはいますが、一般化せずに青春時代が長引いています。「もうひとつの美術の台頭」的な振り出し状態に、いつの間にかまた戻っていて。いつまでたっても新参者。ここでテコ入れすることを考えます。
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