芸術の奇才や異才を求めないのは、本当に嫉妬心なのか
2016-11-04 Fri 00:33
日本の各分野で、奇才や異才を求める空気は希薄と言われてきました。創造的才覚に冷淡で、足の引き合いばかりしているという怒りの意見がネットでもよくあがります。他人の才能を活用せず消し去る国民性などと、内部告発的な声がとても多いのです。

その声が一気に噴出したのが、STAP細胞の余波部分でした。研究所内で部下の才に嫉妬した上司たちが論文を辞退した「ストップザ天才」説が、一時は国内ネットで強く支持されました。今も著名人のブログに残ります。中高年による若者つぶしの陰謀説に、日本全国から「納得」「騒ぎの全体が理解できた」の反応がどっと集まったのです。

各国の科学者が当該論文を精査し、不審カ所が多すぎて驚かれている件は専門職にまかせるとして。そんな才能嫉妬説も一般化すると、意外な落とし穴があります。奇才や異才がわからなければ、スルーして当然だからです。才を判別できない人は、才に加勢しないのが普通です。

その証拠は美術にはあります。一般人があげる優れたコンテンポラリーアートは、名前を見聞きした頻度のとおりです。耳にできたタコが大きい名前を、大芸術家と認識します。これは単純にアナウンス効果にすぎず、苦手なジャンルゆえ自主判断できない現象でしょう。マイナーなマイフェイバリット美術家を、誰も口にしないのも同じことでしょう。

光ファイバーは日本人の考案なのに、日本で引きはなく結局アメリカに買われました。それは日本人が日本人の発明に悪感情を持ったのではなく、光通信の実現性や効力がわからなかったからでしょう。

自力で価値の違いがわかることは、思ったより大事です。それこそが貴重な才覚でしょう。だからここでも、美術品の良さを覚える勉強を全くすすめません。それよりも、ある作品と似た作品があって、その違いをわからなくする障害物はこれだと、示す方が早いと考えています。
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