ボブ・ディランのノーベル文学賞vsコメントの芸術度
2016-10-26 Wed 00:28
フォークシンガーのボブ・ディランがノーベル文学賞に選ばれ、世界中から賛否コメントが出されました。平和賞がコロンビア国大統領で先決だからとか。世間に飛び交うコメントにも、芸術度は表れます。

芸術は普通、高く遠い印象が誰にもあるでしょう。国宝にもなるぐらいだし。でも、こっけい話の桂米朝みたいな国宝もいます。何か言うだけでも芸術性は出るのです。次のコメントが日本に多くみられました。

(1)ノーベル財団が悪い。応募してもいない人に一方的に賞を与えるなんて。(2)ボブ・ディランが悪い。世界最高の賞を相手にしないなんて。(3)どっちもどっち。一方的なノーベル財団も、一言もないボブ・ディランも。

(3)が最も穏健です。そして、最も芸術を感じない言い方に思えませんか。一番つまんない。火消しして刺激を減らし、事件性を薄めた毒にも薬にもならない発言。話は止まって解散するだけ。

美を愛でる趣味や絵心は、芸術と直接は関係がありません。絵画でなく落語であってもかまわないわけですから。歴史が証言する芸術は、人間のあらゆる表現に現れてくる裂け目の妙です。裂け目です。芸術は必ず穏健から遠い。腑に落ちる収まりは、芸術とは逆。

火消しして刺激を減らし、事件性を薄めた毒にも薬にもならない絵画があれば、それを人類が芸術創造として歴史に残すわけはありません。こうした基本を押さえずに現代美術を好きになろうとしても、芸術との関係は得られないのです。
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