わからない美術は現代的だから?、それとも抽象的だから?
2016-09-20 Tue 03:57
美術鑑賞で最もよく聞く声に、「具象はわかるが、抽象はわからない」があります。それこそ耳タコなほど。「具象画は好きですが、抽象画はちょっと」も同じ意味です。考えてみれば、鑑賞者の能力不足の告白なのに、ネットのアートブログでもたくさん見かけます。

抽象がわからない人が国民の最大多数である安心感があるのか、正直に堂々と言えるようです。「僕は抽象美術が苦手です」と言うと、「僕もです、気が合いますね」なーんて人脈がつくれそうなほど。抽象がわかると言い出せば、逆に仲間はずれになりそう。

並行して「現代美術がわからない」という訴えも根強くあります。わからない抽象とわからない現代、二つの関係はどうなっているのでしょうか。ある美術はわかり、ある美術はわからない時、その差は何か。重大な分岐点です。

無視できないのは、「具象はわかり、抽象はわからない」の声は少なくともヨーロッパではあまり聞こえないことです。そしてヨーロッパで美術といえば、もろに現代美術を指します。単に美術展といえば、コンテンポラリーです。展覧会などイベントのタイトルに「現代美術展」と記す必要が、欧州にはありません。

日本は違います。普通に美術といえば、古典的な具象が前提です。ルノワールやフェルメールなどが標準的な美術です。彫刻ならロダンやマイヨール。対してポロックなどは、普通の美術というより特別枠で意識されます。何となく、ノーマルとは違うオプション的な扱いです。

抽象が苦手なのも、現代が苦手なのも、日本で顕著です。言い換えれば日本の隠れた伸びしろであり、また美術業界が持て余している伸びしろでもあって、でも今は伸びていません。なぜ伸びないかを考える時が来ています。
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