ゴッホへの敬愛と歴史認識のギャップ
2016-09-19 Mon 00:05
美術家は、周囲の人から芸術に関する質問をよく受けます。友人知人からも。誰にとっても芸術は謎多いから、疑問は当然あるはずで大いにけっこうです。ただし、質問者は全然何も知らないわけでもなく、ある程度知った上での疑問でしょう。

ところが質問者の脳内で、情報が複雑にからまっていることがよくあります。容易にほぐれそうにない状態。からんでしまう元というか、中心に位置する強い思いとしてよくあるのは、ゴッホへの愛です。ゴッホは素晴らしい絵をかいた偉人で、天才の大先生というリスペクトが、実はトラブルの元です。実感が歴史と合っていないのです。

人は歴史と距離をとるのは苦手です。一例はマリー・アントワネット。「パンがないならケーキを食べればよいのに」と言った伝説があり、王室セレブが庶民に向けた、ずれた言葉として今も引用されます。

すでに知られていて、ルイ16世のフランスでは上質の小麦でパンを製造し、低質はケーキ(菓子に相当)に使ったので、パンとケーキの値段が今と逆だとされます。当時のケーキはリーズナブル。要するに安物。

そんな重要ポイントがわかった後も、このエピソードは世間知らずの為政者が気ままなことを言う文脈で、誤用されることが多いような。歴史は後世の人の感覚や願望で丸め込まれやすく、人々が見たいように見えるもの、ということでしょうか。

似た中途半端は、ゴッホでも起きています。ゴッホを偉い画家と呼んでしまうと、現代の偉い先生に重ねて見上げることにもなり、実体とかけ離れた人物でイメージされます。しかし作品を見るたびに、現代の偉い先生と全く重ならないせいで、何が何だかわからなくなります。
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