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過去に見た興味深いネット議論に、個性と自己中の違いがありました。自由と勝手の違いや、主張とわがままの違いと似た議論です。多くの意見では、個性と自己中は違う前提で、どう違うのかを言葉で言おうとしていました。

「あの行動は個性だが、この行動は自己中だ」という差を的確に示そうと、違いを明らかにする作文に挑戦していました。その線引きする必死ぶりをみて、こっけいだとの意見までついに出ました。それがまた、納得できる意見です。

それらの作文は、許せるものと許せないものが先に念頭にあります。たとえば茶髪は許せて、金髪は許せないとか。二つを言葉で上手に区切って、差を出そうとしています。許せるものがインとなり、許せないものがアウトとなるよう、言葉巧みに定義を加減して除外する苦心です。

つまり、自分が許せるものと許せないものの告白にすぎません。個性と自己中は相対的だから、要するに同じです。今神扱いのビートルズが、当時どんなに叩かれたか。当時の立派な地位ある識者たちの、おぞましいビートルズ批判。自己中を嫌う国ほど個性が排除されるのは、要するに区別が不可能だからです。

企業が本気で学生に個性を求めても、ユニークな人はやはり排除されるでしょう。「企業戦士」の語は正直。「個性」は「芸術」と似て、変形させて我田引水に使われます。日本で個性とは問題児を暗に示す隠語なのは、はからずも正直な告白になっています。

最近の脳科学では個性と自己中は同じものと、素直に説明しています。他人の好き勝手を許せば、個性も伸びると認定。名案は、周囲の忍耐や迷惑から生成する解釈です。だからかビートルズを生んだイギリスは、世界的に表現のトラブルが多い国に映ります。
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Posted by現代美術はインチキの詐欺ってホント?