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宇佐美圭司の4メートル四方の絵が、東大の食堂改築でじゃまになり、捨てられた事件を再び。ネットに集まった意見は、宇佐美の教え子や美術関係者であり、広く国民の意見が集まったわけでもなく。

関係者の反応は活発でも、国民の反応はごく小さく、人々は気にとめていないのが全般的な情況です。この内輪と部外の落差について、美術関係者が深刻度を過小にみている印象があります。

事件の最大のポイントは、公共絵画の廃棄が抽象で起きた点です。しかし事件批判に「抽象だから」という話の振り方はなく、的を射ることなく悔恨も空回りぎみ。一般国民が現代アートに何を思うかが、顧みられないふうでもあり。曜変天目茶碗とやや似た展開です。

話を進めると、1980年代の日本で「アートのまちづくり」が大流行しました。ひとつは駅前広場に彫刻を置く運動です。建築家や土木設計者たちが、市内の各スポットにシンボル彫刻を置く設計が一大ブーム。今の現代アート・フェスティバルより、はるかにオープンでした。

その完成予想図には抽象彫刻が描かれました。しかし地方議会で却下されたのです。「市民は抽象など難しくてわからないから、税金で公共の敷地には置けません」と。人々が理解しないモダンアートを地元に見せるのはまずいとして、誰でもわかる母子銅像などに差し替えました。

当時、具象画にせり勝った宇佐美圭司の抽象画に、東大側も違和感があったはず。「こんな前衛を置いて許されるの?」と。抽象美術ヘイトも盛んな時代に、国民の敵だとの忖度も受けて。こうして全国各地で抽象を遠ざけ続け、現代美術アレルギーが大流行。この大事な背景を、もう誰かが言っても許されるでしょう。今の誰にも罪はないことも。
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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
Posted by現代美術はインチキの詐欺ってホント?