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「芸術は日常に転がっているから、見逃さずに発見しよう」なんて言い方。どういう意味か。暗い部屋に男女を入れると何かが起きて、起きた事件が芸術だという黒箱セオリーではなさそう。部屋に同居することを指して、日常的と言うのではなさそう。

それなら日々目にするもの、道にある石や草木、錆びた鉄板や、地震で生じたアスファルトの亀裂などから、芸術的な造形美を発見して、撮影して発表する、そんな意味でしょうか。それも一応あるのでしょう。

実は切実な問題として、芸術的なるものを人が避ける現象があります。転がっているのを拾うべきところを、蹴飛ばしてしまう。たとえば筆をとって芸術的な絵に届く瞬間は、突発的なはずみが多いのです。年月の努力で届くのとは違って。神の降臨という比喩どおりに。

いくつもの中で平凡だったスケッチや下がきが、塗るうちになぜか偶発的に表現の裂け目が生じ、おっ、これはおもしろい、画期的で刺激的だとなる展開。ハプニング的な造形飛躍が起きる瞬間が、多くに生じています。そのまま生涯の代表作になったりも。

しかし、表現の裂け目が偶発的に起きた時、作者が却下する問題があります。いつ却下するかといえば、著者の観察では即時がもちろん多いとして、制作して半年を過ぎると再び危ないと感じます。

不足に気づくのとは逆に、行き過ぎが目に余って凡作に丸め直す失敗も多いのです。せっかく生んでおいて、取り消してしまう。今の自分に目ざわりだからで、多少でも惜しいと感じることはなく。これを防ぐ「ストップ・ザ・芸術除去」でも、プロデューサーは必要でしょう。
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Posted by現代美術はインチキの詐欺ってホント?