ピカソの抽象がわからないポジショントーク
2017-10-02 Mon 00:13
テレビの討論番組で、視聴者が「この発言には意味がない」と見切る、そのよくあるパターンはポジショントークです。立場に由来する発言。利害関係者の世論工作にすぎず、単なる私見と違い利益誘導だから。

ポジショントークが多くて討論の意味が薄い例に、「中東の紛争の根本原因」「旧日本軍の世界史的意義」「少子化はなぜ起きたか」「死刑の是非」「ダーウィンの進化論の正否」などがあるでしょう。最近よく聞く世界のフェイクニュース問題は、突き詰めれば正論を装ったポジショントークがネタばれした混乱です。

「意見の差は考えの差でなく立場の差だ」を美術に当てはめると、アート作品のわかるわからないが、あたかも立場のような作用を持ちます。個人の人生観まで拘束する、わかる範囲というもの。

アート分野で比較的よく耳にする言い方に、「ピカソの若い頃のデッサンはすごいよ、感動したよ」があります。ちなみに、ピカソの上を行くデッサン達人の若者は、日本の美術大学にも多いのです。日本の美大のレベルは低くないから、ぜひそちらにも感動していただくとして。

若きピカソのデッサンへの称賛は、後日の抽象画はわからない意味?。ピカソの抽象画がわかる人は、あの言い方は絶対にやらないでしょう。具象止まりだと他人から思われたら損だし。自分がわかる限界ぎりぎりを、人は語りたがるものだし。

最新テーマは、写実デッサンが芸術の本質でないなら、何がそれなのか核心に答える内容です。人それぞれなんて肩透かしでなく、いつもどおり突っ込みます。デッサンを芸術性と誤認し、美術と人の関係がまずくなったフェイク芸術問題です。ただし核心があらわでも、新たに損するポジションは意外に生じません。
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