自由であることがマイナスにも作用するアートの不思議
2017-09-23 Sat 00:43
一般に芸術性とは、具象画ではデッサンの腕前とされます。抽象画では自由な造形。まるで逆です。インスターレーションは既成の概念超え、ボックス系なら事件性。表現物ごとに芸術の意味はバラバラで、これは多様化なのか芸術を見失った状態なのか。

現代アートのウリのひとつに、自由があります。芸術の本質は自由奔放だとするもの。しかし著者は芸術の本質は自由ではなく、表現の裂け目だと考えました。表現の裂け目なら具象でも抽象でも当てはまるから、具象画の不自由さをみて芸術の意味を変えたりは不要です。

現代アートの自由至上主義は、害も生みました。多い指摘はアートの使い捨てです。一発話題づくりしたら捨てて、はい次、はい次と回していくアイデア競争。自転車操業は人々に虚無感も起こすでしょう。7億円のトラクター展示から受ける感銘は、思ったより小さいし。

軽く使う言葉「自由」は、それ自体が解釈の自由でふらつきます。アートは自由なのだと言う時、作者の振る舞いの自由度なのか、作品を見た人が自由な気分になる話なのか。二つを分けずに、「自由万歳」で終わっているような。

美術で言う自由は、たぶん現代人の間で共有できていません。社会学で言うフリーとリベラル、フリーダムとリバティーの意味違いよりも、もっと混沌としていて。共通認識が失われている言葉のひとつです。

哲学的な話はやめて、そもそも太古のアート類が自由奔放でない点は重要です。むしろ逆に、厳格な秩序(オーダー)に従った物作りが多い。できることが限られた不自由な時代の方が、表現が伸びやかになる結果がみられます。とはいえ制作条件の自由度と、成果がもたらせる自由感が反比例するかも、簡単にはいえないのですが。
関連記事
スポンサーサイト
別窓 | ココが大事な焦点 | トラックバック:0 |
この記事のトラックバック
トラックバックURL