美術作品をつくった作者の気持ちをわかる必要はあるのか
2017-09-14 Thu 01:23
そう改めて問われたら、ノーの回答も多くなりそうです。「作者の気持ちと、僕らの芸術の感動は別だろう」という考え方が国民に広がれば、よい傾向でしょう。著者もいくつかの理由で、制作した時の動機をたどる意味はさしてないと判断しています。

理由のひとつは、たどっても当たらないからです。他人の気持ちは推理がつながらない部分が多くなり、ウソが多くなるから。ピンク・フロイドの名からフロイト博士の名を連想し、誤解釈を広めてしまった音楽誌の事例と同じで。

たとえば友人を亡くした知人がいるとして、その心境を別の人が体感することは困難です。そこで、自分の友人が亡くなった過去を思い出し、置き換えるわけです。関係を当てはめて推理し、自分との距離を調節して近似体験を想像してみる。

「おもてなし」を始め、日本人はこの置き換えの推理に長けていると外国から言われます。そうなった下地は、江戸からの長い社会教育と、学校道徳教育でしょう。日本国は地理や言語が孤立しているから、内部で共同体意識が発達した説も有力です。色々な理由で、他人の気持ちを想像するのが得意であろう日本。

ところがその日本人にも、抽象絵画の制作意図はまず読み取れません。作品がどうしてその造形に至ったかは、抽象どころか具象でさえ不明です。立場の似た美術家が、かろうじて憶測できる程度でしょう。

結論として、作者が何を思って作ったかは、読めないものです。それどころか作者本人も説明できず、だから世に出回る作品解説は実は他人がつくり広めたものがほとんど。制作コンセプトなるものは、娯楽ネタ程度にとどまっています。それはしかし悪くない現象です。
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