実物を直接見ないと作品の芸術性は伝わらないのか
2017-08-21 Mon 01:00
画集などで絵画を見て、後で実物の絵を見ると印象がかなり違います。差分が芸術性だと思いがちですが、そうではないと著者は考えます。印刷物にしたからといって芸術性は消えたりしない、という考え。写真や印刷で伝わる範囲内に芸術性は宿る、という仮説です。写真もまた芸術の一種だからという、そんな理由ではなくて。

今の人が西洋の名画を見て驚くのは、デカさです。横長どころか縦にも高く、圧倒されます。たとえばレンブラントの『夜景』は面積が100号の7.5倍。周囲が切断される前は9.3倍になる計算。実物の第一印象はデカァ。切断後でもフランス号数で753号相当。一方、人気の印象派の絵は思ったより小さく、少々がっかりという声も。

サイズへの感慨は、芸術的な感動ではないとすぐに理解できます。にもかかわらず大きさで感動の量が左右されるのは、見逃せない事実です。感動の内訳に、芸術性と異なる成分が常に含まれていることが類推できます。芸術以外に感動する現実。

著者の着眼は、小さく印刷してなお一目見てピンとくる説得力が、芸術性だという考え方です。芸術性は、画質の悪い画集でも消えずに残る点がミソ。細かい話ではないという。

つまり印刷物にすれば、芸術性を抽出できます。大きさの衝撃が感動に混じり込むのを、フィルターや遠心分離機みたいに除去できる。芸術性の高い低いは、図版にするとばれる。撮影して見栄えが落ちた絵ほど、芸術性が乏しい事実が発覚した状態といえます。

「でも実物を見れば感動しますよ、全然違いますよ」という声は根強いはず。これは芸術性と違う何かに心を動かされることが、もう当たり前になっているせいでしょう。自覚もなくなって。実物礼賛で多いのは、間近で見たマチエール(絵具のテクスチャー)の感動です。しかし人の魅力と同じで、素肌美人を競うのは本質でないはず。
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