現代アートにありがちなカラ主張をひとまず理解する
2017-08-12 Sat 00:25
昨今の美術家のあるある問題として、主張の意味の空転がみられます。「作品の内容で主張しないで、思いで主張する」という主張。わかりにくい言い方になってしまいました。

作品の造形面の内容がそもそも薄く、鑑賞者に対して主張が不発な時。それを「主張しない作品こそが、作者の主張なのだ」と言う。存在感のなさが主張になっていると主張するパターンで、いわばカラ主張のようなもの。

その手の作品を欧米へ持って行くと、目を引かないから埋没するだけ。成果を出すには、作品を改善する必要があります。しかし、自分を曲げたくなくて改善にノーと言う、そのノーの態度が絵に込めた主張だという?、こね回したような論法を実際にみました。

昔、後輩の学生が、僕は作品を作らないことを主張しますと言い出しました。作らない自由があってもいいんじゃないですかと。しかし周囲の目は節穴でもなく、「案が浮かばないと正直に言えば?」と白い目を向けて。橋の案が行き詰まると、端に飛びつく心理を見透かした瞬間。

一方で、逆の信念の美術家も当然多いのです。改良大好き、趣向を変えるのも平気。実験好き。それで芸術性もプラスされ、結果は売れ始めていて、「作品の主張」は本来はこちらの意味だろうと考えます。

ピカソ絵画の特徴は、形と色の主張です。そして多くの後進は造形で勝負しても、天才ピカソに歯が立たない苦難に陥ります。そこで「この白紙に気持ちが込められている」式の、カラ主張に流れたいきさつもあります。作る方も見る方も、後年ほど形と色のメッセージが苦手になり、とんちで代用して切り抜けた流れが疑われるのです。
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