ブラックボックス展批判とアート無罪批判が失敗する理由
2017-07-25 Tue 00:36
キーワードは、「ブラックボックス展」「アート無罪」「自由主義」。ブラックボックス展とは、真っ暗な密室のお化け屋敷型イベント。中で起きた出来事がアートだという主張です。女性客が暗い室内に入ると、中で男性らしきに体に触られるなどした事件だそう。

オピニオンリーダーたちはブラックボックス展を批判し、アートなら何をやっても許される「アート無罪」も批判しました。しかし批判論は、ほとんどが不発。その原因は、表現の自由奔放ぶりを危険視し、過剰を戒めた点です。それだと、人の表現はアートだとした自由主義の尊さにかき消され、何度やっても後知恵です。常識人の負け。

事件の下地は、三大画家タイプとダダ運動タイプを混ぜて語る、非芸術的脱線にあります。芸術抜きのアート論は、ロジックが散乱します。善人が安全策を持ち出しても、「芸術は危険な冒険である」式の三大画家タイプの特徴を盾にして、首謀者は逆に胸を張れる空気あり。

特に日本では、国民は芸術が苦手のまま放置されています。一般化せずに特殊化している。だから何者かが「これも現代アートだ」と言えば、国民は「それはアートとは違う」と言い返す力がありません。

近く、抽象ヘイトとSTAP細胞ファイナルと、ブラックボックス展の各章を追加予定です(第8集購入客は増分無料)。ブラックボックス展をうまく叩けない現代アートの構造を解いた内容で、ブラックボックス展批判とは全く違う話です。大勢が魅了され集まった大ヒットがカギ。美術と自由の強迫メカニズムは、世界初の解説です。

ブラックボックス展は、三大画家タイプではなく、ダダ運動タイプの表現物です。ピカソ系ではなくトラクター系。そこを分けないまま、現代アートに、自由の抑制、節度、モラルを説教しても、無駄な抵抗です。「非常識なトンデモこそが最高の芸術」式のピカソの成果を盾にして、首謀者は逆に胸を張れる空気あり。常識人の負け。
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