児戯のごときピカソ絵画を僕は理解できないと訴える質問
2017-07-01 Sat 00:07
過去にネットでみた質問です。「まるで子どもの絵みたいなピカソは、何がすごいのか僕に教えてください」。この質問に親切な有志が次々と回答を寄せますが、質問者は納得しません。「それは話がずれている」「それは知りたい核心とは違う」と。

そのネット質問は、本書の切り口と似ていました。しかもその頃こちらは、「ピカソはここがこう違うから世界一だ」の章を書いていました。だからその直球勝負の質問に、親近感を持ちました。そういえば、本書は美術の評論とはかなり違い、「なぜ」の質問に答えた本です。

そのネット質問に寄せられたいくつもの回答は、現代美術がわかる美術本によくあることで、すれ違いを始めていました。ピカソの少年時代のデッサン力、『青の時代』の抒情性と繊細、『アヴィニョンの娘たち』で抽象の先駆け、『キュービズム』の多次元的な構成力。『ゲルニカ』での祖国を思う反戦と反ナチスの気概。

そうしたピカソの美学的価値や存在意義、業界に与えた多大な影響や、注目点などが回答に並んでいました。それに対して質問者は、「自分が知りたいのは書類上の裏づけ根拠ではなく、先人がピカソ絵画をどうすごいと感じて支持したのかだ」と。でも、答える人は現れません。

本書はその答も書いていました。だから宣伝文句に「世界唯一」を入れたほど。ではなぜそこを述べる人が現れないかは、現代人の美術への接し方どおりです。体感より周辺情報で測り、知識レベルで巨匠の価値に合点する。現代人の鑑賞法がそうだからです。だから瞬間風速がピカソを超えた作品も、無名とあらば相手にしない。できない。

人は自分の体感があって、核心を語るものです。ところで・・・、そもそも「子どもの絵のごとき」という疑問の発端もまた、知識レベルの分析です。やはり体感とは違う理屈上の比較。双方とも「僕はしびれた」「複製画を買いに走った」の情熱はなし。
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