ゴッホに無理解な19世紀の人々は情けない面々だったのか
2017-06-10 Sat 01:45
ゴッホの絵に感動した人に、よくある声。「これほど美しく素晴らしい絵を、なぜ同時代の人たちが評価しなかったのかが、僕には理解できません」「ゴッホの時代の人たちは情けない」。もっと昔には、「ゴッホと同時代の人を憎みます」と語り出す舞台演劇もありました。

しかし、今はそれほど違うのかという視点もあります。百年以上過ぎた現代にも新作展は盛んで、絵画や彫刻や環境作品が並びます。今の新作をリアルタイムに見る現代人は、ゴッホの頃の人々と似た反応ではと。僕らからみた昔の彼らは、子孫らからみた今の僕ら。

現代でもこう言うでしょう。「斬新なアートが集まった」「現代の新鮮な空気を感じました」。それと同じように、昔の人も斬新で新鮮な当時のトレンド作品に感激したはず。「じきに忘れられる作品ばかり一堂に集めてどうする気かね?」なんて思う人は、昔も今もいないわけで。

昔も良い作品を称賛して、悪い作品を却下しただけでしょう。最先端の優れた審美眼で、適切に公正に、厳正に選んでいたはず。なのに昔と今で名作が入れ替わる、それは「歴史的審判」という現象です。その理解を抜きにしては芸術に迫れない、最重要語句になっています。

歳月が流れると、感覚も価値観も変わります。変わった後を事前に想像できず、変わる前を事後に想像できません。洋式トイレやAT車どころではなくて。だからゴッホやゴーギャンが大物扱いされている今日は、当時の人にすれば全く驚きです。当時の人はもういないから、現代の選択眼を批判できないだけで。

歴史的審判は一人一人の心変わりではなく、世代交代で起きます。歴史名作は未来人が決めます。『モナリザ』や『浮世絵』も、歴史的審判の番狂わせでした。当時の人にすれば、「なぜ今はそんなのが国宝の座にあるの?」「俺たちの時代のカリスマたちの、あれほど美しく素晴らしい絵はどこへ消えたの?」。これはしかし、明日は我が身。
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