ゴッホは斬新な画家だったという視点は何が問題なのか
2017-05-14 Sun 00:08
これは絶対正しいぞという発想に、こういう考えがあります。「芸術は斬新である」。「先進的」「時代の先取り」。皆の何歩も先を行くと。これは芸術分野で多い誤解釈のひとつです。

19世紀の人々はゴッホの絵を見て、どう思ったか。「この画家は斬新すぎる。20世紀にも通用するほど先進的で、僕らはついて行けない」と思ったわけではありません。そんな理由で買わなかったのではなく、むしろ逆です。「この画家は遅れている」と思ったのです。

「立派な画家たちに追いつく日は、当分来ないだろう」と周囲の人たちは感じました。先進ではなく後進。この部分で、世のゴッホ論は的を外しています。あるいは言葉表現しきれていません。「ゴッホは時代よりも先行し、当時の人の理解を超えた」は、まずい解釈です。

何がまずいかといえば、当時の人にそういう体験の覚えがない点です。人は、ゴッホを天才とも狂気とも思わなかった。だめ凡人。だから今、天から地を見下ろすようにして「当時の人々の先を行くゴッホ」とまとめたのでは、当時の人々の実感とかけ離れて支障になります。

何が支障かといえば、現代人が今の芸術を拾う時の参考になりません。斬新でぶっ飛んでいたゴッホという結論を引用すれば、今見て斬新でぶっ飛んでいる者が現代版ゴッホだという話になります。破天荒アーティストを、現代のゴッホだと誤認するでしょう。

当時の人はゴッホを逆に古くさいとも感じず、素直につまらないと感じました。理解不能の宇宙人ではなく、ミエミエのへたくそ画家。突飛ではなく、低いと。わかりきった駄作に見えた。その他大勢の一人。対価を払うような絵ではないと。だから払ったのは一人、知人の家族だけ。現代の非凡な中からゴッホを探すのは、いきなり支障です。
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