廃墟の美は失楽園への郷愁なのか
2017-05-05 Fri 01:15
長崎県の『軍艦島』も世界遺産となりました。今は廃墟の顔役ですが、稼働時はモダンで暮らし向きのよいコンパクト都市でした。新しい廃墟ブームは、70年代末のポストモダンで始まった記憶があります。荒れて朽ちゆく身近な廃屋から、解体中のビルへと関心が広がり、ゴーストタウンを探検する楽しみも加わりました。

廃墟の美は過去にもよく論じられました。「バラの花」や「裸婦」などのアカデミックな美ではなく、アヴァンギャルドな美です。学問として習得する高尚な美とは逆の、くだけてかっこよくて、迫力とスリルを含むハプニング系。新鮮さと解放感もあって。

人がなぜ廃墟に美を感じるかは、「栄華と没落の対比」がよく言われます。失楽園の、諸行無常の響き。しかしどちらかといえば、ぶっ壊れた状態が絶対的な美だという気がします。過ぎし年月への郷愁は文学的な読み方で、普通はそんな詩人の目では見ないような気が。

ちょっとわきへそれますが、「絶対的に美しい」と「絶対に美しい」は意味が全く違います。前者は普遍性を込めた評価であり、後者は当人の実感です。廃墟は普遍的な、民族を超えた美であろうと考えます。その普遍性とは、故意性のないリアル感でしょうか。

奇岩景勝は廃墟とは違います。廃墟は元が人工物です。故意の造形が、自然崩壊した偶発的なアレンジです。容赦ないダーティーぶりが廃墟の特質。整理とは逆の複雑化したカオスで、視覚情報量が増えています。教科書で教えにくい、ルールのない美です。

廃墟には気づかいやさじ加減の跡がないから、迫真的でおもしろいのでしょう。人がブレーキをかけないから、アート作品によく見るグズグズ感が一掃され、きっぱりして鋭い。ヤラセでなくガチ。人の手が入ると丸まっていき、人の手を離れるととんがっていく。作ると死んで、壊すと生きる。こうした芸術の普遍性です。
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