美術の本を読む人の立場
2017-04-05 Wed 01:00
美術の本は、何となくどれも同じに思えます。固い調子でかしこまっているか、美辞麗句を並べて師への敬意もべたべたとか。ところが本書は異質で、よくある疑問に答えるために聖域なき前提でどんどん踏み込んでいくから、既存の出版社からは出せない禁書でした。

たとえば1988年に出版を断られた時には、裸婦の銅像をめぐる高齢男性の性衝動の問題に触れていて、編集者から注意を受けました。やはりタブーでした。今の日本では高齢化社会に合わせて、高齢再婚なども珍しくなくなったので、その話題も出番が薄れたのですが。

アートの自由奔放は意外に表向きの話で、意外に固くて神経質なところがあります。今でも出版に不都合なのは、現代アートの両面を対比させる書き方です。良い面は通って、悪い面が検閲対象になります。たとえば、現代美術が嫌われる実態を話のマクラにした展開では、「嫌い」の語で出版や掲載が止まります。問題に触れさせてもらえない。

しかしそれは、出版社側の過剰な気づかいとは違います。というのは、美術の本を買うのは美術を作る人が大半だから。画家や彫刻家の機嫌を損ねたら、本を買ってくれるお客がいなくなる、忖度(そんたく)以上の切実な問題です。挑戦する体力はないと、編集者から言われました。

欧米市民はアート作品をよく買いますが、日本で美術品を買う人はわずかです。その比較を日本に伝えようとした時、日本が劣っている印象が強いと編集ブレーキがかかります。アートは生活必需品でないから水ものになる弱みで、原発みたいに否定的な単語が忌み嫌われます。絶望から希望へとつなぐ表現は、絶望部分の削除を求められます。

美術を作らない立場に向けた時点で、出版マーケティングは困難です。が、作品がわからないと言う国民を放置すれば、雑言が支配していくだけでトータルは国の損失でしょう。混迷している『曜変天目茶碗』も、陶芸批判の声があっても何も解説せずに放置したツケでしょう。
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