日本では主張は歓迎されるか敬遠されるか、さてどっち?
2017-04-02 Sun 01:57
言い出しっぺは不明ですが、次のような全国放送がありました。「日本国民は自己主張しなければと、みんなが思わされているから、みんなが疲れています」「自分は主張しなくてもいいんだと力を抜けば、楽になりますよ」と。日本国民の疲弊原因を分析した人生訓。

たぶんこのアドバイスは、前提が事実と違うでしょう。国民に期待されるあり方として、どういう強制圧力や矯正圧力や共生圧力があるかは、マスコミの論調を追っても無意味です。実社会の風向きを見ないといけません。裏の陰の圧力を見るべき。

日本で普通に暮らせば、「主張せよ」の圧力こそが風前の灯火(ともしび)であり、「主張はよせ」の方が強いのが現実です。「せよ」ではなく「よせ」。大概の企業でも、主張がひかえめなイエスマンタイプが出世し、主張するやつは早く失職する結果論が、社会人の実感でしょう。大流行中のブラックも、個人の意志を殺して成立する世界だし。

アートも然り。ネットは匿名ゆえ内容はラフになり、匿名ゆえ書く動機は正直です。美術ファンのブログは口をそろえて「主張した絵は嫌い」「目立つアートはちょっと」。無意識にカッコつけるアンケート回答とは違い、書く人のペースだから本心がありのまま。

その放送は芸能タレントが語りました。なるほど芸能界の中なら、主張のノルマもあって当然。年輩女性が突然脱ぐのも、何とか目立って返り咲くべく背中を押す業界の風でしょう。だから確かに芸人は疲れているはず。しかし日本の一般国民に、主張して開けてくる未来なんてありません。普通は、何をどう主張しても損が多い。沈黙は金。

全国のコンビニで青年が次々とアイスクリームボックスに閉じこもり、注目を集めた事件。本人は、主張して目立てという世間の圧力に屈して従ったのではないでしょう。主張せず目立つなという空気にさからい、他を出し抜こうとはね上がったと解釈する方が妥当です。就活の面接回答やリクルートファッションでも起きる、若さの葛藤です。
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