楽焼き茶碗は日本式のピカソ
2017-03-24 Fri 01:06
『曜変天目茶碗』をきっかけに、陶芸分野への不信感や、骨董趣味への嫌悪がネットに噴出しました。前に触れた話は現代アートが同人オタク化し、国民に新興宗教的に映る懸念でした。その手の信仰世界を陶芸に感じる人が多いことが、今回ある程度わかりました。

陶芸への不信は、違いのない作品に大きい価格差がついたり、見た目と逆転している場合に高まるでしょう。そういえば落語に、庶民と目利きの価値意識がすれ違うネタがありました。粗末な器がとんでもなく高価だったりして、庶民は価値の不透明やインチキさえ感じるわけです。

陶芸でインチキ呼ばわりされる筆頭は『楽焼き』です。ろくろを使わない手製の茶碗で、多くは形がゆがんでいます。真円でなく、ふちが同一面になく。全体が傾いたり、部分的にふくれたりくぼんだり。本体の亀裂や、釉薬にも厚みのムラやひび割れが入って。普通なら失敗作です。『楽焼き茶碗』の骨董趣味をからかう声は、今回も出てきました。

楽焼きは意味がわからないと外国からも言われており、良く受け取ってもまるでピカソの絵みたい。実はあの歪んだ茶碗は、日本の伝統的な美意識どおりです。不均等と非対称。自然で素朴な滅びの美学。要するに無為自然とわびさびの表現であり、茶道の精神に沿っています。

日本の庭園も楽焼きに似ています。枝葉を整然と刈り込まず、伸びるにまかせつつ微調整する。人が支配した幾何学ではなく、さりげない不定形。人工くささを消した自然志向です。富士山にも似た感覚。楽焼きの逸品は、幾多のいびつな茶碗たちが長い目で見くらべられ、勝ち抜きで選ばれたバランスのとれた品です。楽焼きは陶芸界のピカソ。

疑惑になる「家元」「情実」「箱書」は陶芸だけの問題ではなく、日本の伝統とはまた別でしょう。たとえば歌謡曲やアメリカ映画も似た裏事情は言われるもので、しかし庶民は全否定まではやらず、気を取り直して各自の価値で鑑賞するものです。ピカソはわからないと言いながら、わからない楽焼きで張り合う日本文化。その不思議に注目できます。
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