芸術の話題が必ず難しい話になるのはなぜか
2017-03-21 Tue 01:13
このブログは、難しいと感じる方が多いかも知れず。意味がよくわからない回もあったことでしょう。それは説明のし損ねも含めて、芸術分野に難題が多い反映もあったでしょう。厳密度もそうで、円周率は3より3.14と詳しくした方が難しいこともあろうし。

その昔、現代美術展へ行った人から、「全然わからなかった」と不満を耳に入れたことがあります。こちらは、どうリアクションすべきか迷いました。一口では答えられなかったからです。その人をかばえばよいのか、それとも作品の方をかばえばよいのかも、即断できません。結局は年月経て、本書の47万字で応じる結果となりましたが。

美術館にピカソ絵画が飾られた場合と、市販トラクターが飾られた場合とでは、どちらも「全然わかりません」という同じ感想が出てきます。その字面は完全に一致しますが、しかし理科問題といじわるクイズほどに別次元です。感想の単語は同一でも、作品の次元は違っています。

その次元の違いを分別しないまま「わからない作品への不満」に急いで回答しても、雲と蜘蛛がごちゃ混ぜの説明となり相手に伝わりません。かといって、ごちゃ混ぜをほぐせば話は長くなるし。現代の芸術が難しいのは錯覚や思い過ごしではなく、現に問題は入り組んでいます。

それとは全く別の本質論もあります。「創造は未知の領域だから、すぐにわかる作品は芸術失格だ」がそう。従来なかった新案を見て、「あり得ない」と違和感や嫌悪を感じてこそ正常だという意味です。「芸術は本来わからないのが当たり前」。この本質論は、現代人がついて行きにくい部分ですが、それでも理屈だけなら納得できることでしょう。

そして制作者は皆この本質論に保護されるから、わからない作品であっても正義を張れます。しかし市販トラクター展示は、橋と端のつながり的なトンチで処理した負い目で、相手にしない側にも正義が生じます。こうして鑑賞者と作者双方の被害意識が空転して、美術界のストレスになっています。いつからかといえば、1910年代からです。
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