脳科学からみた日本のサッカーとアート
2017-03-12 Sun 01:50
20世紀の終盤によく言われたのは、「21世紀は脳の時代になる」でした。機械工学と電子工学に続き、AI、人工知能が主役となる予想。並行して、人の脳のはたらきも本格的に解明する時代。脳医学や脳神経医学より、さらにソフト面を研究する脳科学もそれです。

脳科学者の中野信子の指摘はたいへん興味深く、日本男子のサッカーが国際試合で勝てない理由は遺伝子だそうです。日本人はDNAのレベルで、失敗を減らすために冒険を避ける設計になっていて、ここぞという打開場面で脳がチャレンジを選びにくい宿命だという指摘です。

そこまでなら、ワールドカップの試合を見ればわかります。冒険のチャンスで、冒険を回避する選手たちの挙動が目に入ります。しかし中野の指摘は、日本選手に「チャレンジせよ」と強いても逆効果だというのです。「攻撃的なサッカー」は成果が逆に悪化すると。無駄になる努力であり、非効率な教えだと。

連想したのは、日本の絵画の傾向です。作る画家も見る観客も、売る画商も購入客も、冒険的な絵画よりも、安息的な絵画を愛する実態です。奮起系は低い評価で、いやし系が高い評価。チャレンジ絵画がマイナーに追いやられる国内と、メジャーとして君臨できる国外とで、芸術の価値が逆転している内外差です。

サッカーの「芸術的なシュート」は、攻撃的プレーです。堅実なプレーとは違う。芸術的プレーの選手は、場で浮いて突出します。その成果にあこがれる日本選手も、浮く行動にはやっぱり慎重で。同様に国産現代アートも、浮いた突出は意外になくて、時流トレンドに沿って団体行動している面が強いのです。ほどよく騒ぎ合う印象。

仮にサッカーとアートが共通するなら、「もっと創造的に個性的に」のアドバイスは合わないのかも知れません。アートは国際戦をあまりやらないから、芸術の意味を変更して遺伝子の差を吸収はできます。しかし内外差が二重基準となり、何を指して芸術なのかに見当がつかない人が増える構造ができます。
関連記事
スポンサーサイト
別窓 | 日本のここがクール | トラックバック:0 |
この記事のトラックバック
トラックバックURL