現代アートが新興宗教みたいに言われないために
2017-03-09 Thu 02:20
現代アートを普及させる活動が国内にいくらかあります。制作ではなく紹介する役目。こちらの味方になる親しさも感じますが、何に苦心しているかで「うーんちょっと」となる点があります。

それは、現代アートを愛護している点です。現代アートは良品の前提。現代アートの良さをわかってもらう意識で、もっともっと多く広く市民に紹介して、大勢に触れてもらって楽しんでもらう方向です。その際に演出される、善玉扱いの部分が引っかかります。

というのも、現代アートにはゲテモノやハッタリも多く、アホらしさや情けなさ、安易さも目立つから。まとめて美化しては、かえってうさんくさい。「現代美術はなぜつまらないのか」の論説に、現代アートのイメージダウンを心配するなど。「そこでびびるか?」「いつから良い子になったの?」「自己批判も御法度?」。

トラクターのネタで触れましたが、現代アート側は同人オタク化に警戒不足でしょう。こんなにおもしろい現代アートがわからない人は駄目、固い、古い、遅れてる、とするだけでは、そのうち新興宗教的と言われもするでしょう。「三大画家タイプ」と「ダダ運動タイプ」を分けずに進めた混迷の、とばっちりでもあるのですが。

音楽でいえば、ピアノを屋上から地面に落として、現代のピアノ曲ですと話を進めるのは、無理な飛躍です。斬新で過激な革新性、未来的な進歩主義が、人類の創作の歴史から切れて脱線しやすい問題です。ピカソのサプライズに勝とうとして、やることがずれてしまった構造問題。

ピアノを破壊した音を、現代版モーツァルトの調べだと納得しない市民を、同調圧力で改心させるのがベターなのか。この本では、現代アートの特異性が、創造の普遍的な特異性と等しいかを重視します。自分では気づけない「時代の乗り」と距離をとれるよう、古代のアートを基準に置いているわけです。現代感覚だけでアートを語っても短命だから。
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