東日本大震災の現場に出る幽霊が次回のテーマ
2017-08-30 Wed 01:36
暑かった夏休みも終盤となり、怪談話も下火です。その幽霊関係の掲示板で、あるパターンの書き込みを目にします。短く一言「それでも幽霊はいる」「幽霊の存在はもう常識だ」。根拠や事情も何もなしに、ポツンと一行だけの書き込み。いったい誰が書いたのでしょう。

業者さんです。除霊や開運の壷ショップなど。海外旅行帰りで体調不良の人向けに、悪霊退治の作業。堕胎後のうつ症は、水子の霊の供養。難病にも対応し超高料金。その事業者が、ネットに書き回るステマ。ステルスマーケティングとは、庶民の声を装ったプロの宣伝活動です。

脳の変調や機能障害を扱う医療分野に参入するには、資格が必要です。そこを手ぶらで自由参入するなら、人に起きる体調不良や不幸が続く原因を、悪霊のたたりへと話をずらす必要があります。悩める人たちを、オカルトへ引き込む洗脳が不可欠。医師法や薬事法での摘発回避で。

インターネット時代には、放送免許なしに何でも宣伝して、全世界に向けて吐露できます。内容が全くのでたらめでも、匿名ゆえに書く気持ちにはウソが全くない特性があります。だからステマは、裏事情を読み取る娯楽の対象にもなっているのです。層の厚さも何となくつかめて。

ステマは美術でもみられます。たとえば盗作の討論で、常習画家は一言こう書きます。「模倣でない作品は存在しない」。丸パクりのひどさを議論する場に、原理主義の一文を投げ込んで、盗作は悪いことだとする気運を下げようとしたステマ活動と思ってよいでしょう。

ところで、ブラックボックス展の次に扱うテーマとして、東日本大震災の幽霊の話題を準備中です。人の心に生じる不思議な部分を、美術作品の不思議な部分と関連づけます。幽霊談義の決定版です。
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東京のコミックマーケットの根本問題はひとつ
2017-08-27 Sun 00:35
固有名詞で『コミケ』と略したコミックマーケットは、42年も前の昭和に始まった漫画同人オタクの祭典です。その2年前に『宇宙戦艦ヤマト』のテレビアニメが放映された気運によるもの。大学の漫画研究サークルやアニメ同好会が集まった、作品発表展示即売会です。

そこに出てくる短編漫画雑誌や劇画イラスト、コスプレは、海外の日本祭でも花形になっています。ジャパン・エキスポ、ジャパン・フェスティバル、ジャパン・デーなど各国の日本特集イベントをも牽引する、コミック系サブカルイメージ。現代日本の顔というもの。それが日本では問題に直面しています。

本家日本のコミックマーケット最大の問題は、会場の狭さです。有志グループに、企業出展が加わるとパンク状態。東京ビッグサイトは世界的にも巨大な催し物会場かと、多くが思われるでしょう。自動車ショーの規模だし、世界を驚かすデカさだと。それが全然違うのです。

世界一大きい催し物会場は、ドイツのハノーヴァー市にあるメッセで、床面積が47万平方メートルです。東京ビッグサイトはその6分の1程度の、8万平方メートル。ならばその東京ビッグサイトは世界で2番かといえば、68番だそうです(2012年資料)。

気づかない国民も多いこの貧弱は、2013年の国会で問題になりました(順位は当時の公開資料)。なぜ日本は国際イベント会場が貧弱かといえば、やはり東京一極集中でしょう。名古屋に土地があっても、東京以外に選べない条件で、土地不足にやられるしペイもしない。

しかしこの4年間にこの話題は消えており、原因は日本がデフレ不況の貧困から脱し損ねた4年だったから。国全体の気分が落ちた倹約ムードが延長され、文化活動も落ち続けました。日本で見本市の気分が失せた一例が先年の自動車ショー中止で、香港だかに流れた記憶が。コミケは逆で、入りきる器が国内にない希望ある困惑。
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プロのアーティストたちはピカソをわかっているのだろうか?
2017-08-24 Thu 03:46
こんなふうに想像しませんか。プロはピカソなどわかりきっていると。現代アートを作る美術家たちは、みんなピカソなんて初歩として心得て楽勝だと。ピカソは素人には難解だけど、プロたちには何でもなくて、とっくに卒業済みだろうと。

それはたぶん甘い見込みで、ピカソは想像以上に現代人の壁です。実際にピカソわからんという人は、美術家と鑑賞者で近い割合ではないかと感じます。その判定にたどりつくヒントは、たとえば日本で広まっている「芸術の本質はデッサンなり」です。

音楽にデッサン技術はないと、簡単に突っ込めますね。映画にも落語にもデッサンは存在せず。美術だけが成り立つ法則は、こじつけを疑うべきでしょう。著者は長年の結論として、表現の裂け目を芸術性だと指摘しました。これは、音楽にも映画にも、落語にも生け花にも通じます。自己矛盾もダブルスタンダードも起きずに、すっきり。

ピカソをわかるとは、表現の裂け目を感じ取ることです。それができるかは、美術大学の入学前にチェックしないはず。だから美術大学の学生は、国民とそこは同じスタートになる計算です。入学した後で、本書のような授業を受けるわけもないし。

美術大学は変人ばかりのイメージが先行しますが、中に入れば普通の人と同様だと強く感じるものです。橋の課題に、ぶっ飛んだ橋を出すのはやはり皆さん苦手です。普通の端を出せる変人は多くても、奇抜な橋を出せる変人は少ない。これ豆知識。

裂け目と親しい作者は、もちろんすぐわかります。しかし、もはや現代的表現の自由とは、非芸術へ外れる自由を意味するも同然。現にリーダーが脇役に徹するブラックボックス展は、動員客数もニュース性も絵画展をかすませるほどで、精根込めた芸術品を軽々と駆逐しています。
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実物を直接見ないと作品の芸術性は伝わらないのか
2017-08-21 Mon 01:00
画集などで絵画を見て、後で実物の絵を見ると印象がかなり違います。差分が芸術性だと思いがちですが、そうではないと著者は考えます。印刷物にしたからといって芸術性は消えたりしない、という考え。写真や印刷で伝わる範囲内に芸術性は宿る、という仮説です。写真もまた芸術の一種だからという、そんな理由ではなくて。

今の人が西洋の名画を見て驚くのは、デカさです。横長どころか縦にも高く、圧倒されます。たとえばレンブラントの『夜景』は面積が100号の7.5倍。周囲が切断される前は9.3倍になる計算。実物の第一印象はデカァ。切断後でもフランス号数で753号相当。一方、人気の印象派の絵は思ったより小さく、少々がっかりという声も。

サイズへの感慨は、芸術的な感動ではないとすぐに理解できます。にもかかわらず大きさで感動の量が左右されるのは、見逃せない事実です。感動の内訳に、芸術性と異なる成分が常に含まれていることが類推できます。芸術以外に感動する現実。

著者の着眼は、小さく印刷してなお一目見てピンとくる説得力が、芸術性だという考え方です。芸術性は、画質の悪い画集でも消えずに残る点がミソ。細かい話ではないという。

つまり印刷物にすれば、芸術性を抽出できます。大きさの衝撃が感動に混じり込むのを、フィルターや遠心分離機みたいに除去できる。芸術性の高い低いは、図版にするとばれる。撮影して見栄えが落ちた絵ほど、芸術性が乏しい事実が発覚した状態といえます。

「でも実物を見れば感動しますよ、全然違いますよ」という声は根強いはず。これは芸術性と違う何かに心を動かされることが、もう当たり前になっているせいでしょう。自覚もなくなって。実物礼賛で多いのは、間近で見たマチエール(絵具のテクスチャー)の感動です。しかし人の魅力と同じで、素肌美人を競うのは本質でないはず。
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見当違いの作品深読みが、一応は成り立ったプログレ音楽
2017-08-18 Fri 01:43
ロック音楽の表現で若さと並んで多いのは、超常世界や魔界でしょう。より複雑で難解な物語性といえば、プログレッシヴ・ロックが浮かびます。クラシック似の壮大な曲に、壮大な歌詞。イギリス出身グループの四強か五強が、全世界的に有名です。

中でも最も成功したグループが、ピンク・フロイドとされます。『ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン』の日本盤は『狂気』とタイトルされ、70年代のオリコンチャートに出るほどの大ヒットで。マニアックなのに、全世界で世俗的な成功も収めています。

その主題は月の暗い側。三日月の暗い部分の話ではなく、地球から見えない裏側の話です。「狂った人が草の上にいる」という歌詞と、ディミニッシュ・コードの組み合わせが終盤のハイライト。ポップながら不穏な雰囲気に満ちた、完ぺきなアルバムです。

日本でピンク・フロイドの音楽性を分析する音楽誌は、グループ名から語り始めていました。ドイツの心理学者で精神科医のジクムント・フロイトの名を借りた彼らが、深層心理の世界を表現した音楽性。ピンク色の、桃色のフロイト博士。潜在意識の心理学でつくられた曲たち。

しかし全くの見当違いでした。ピンク・フロイドの名称は、アフリカンアメリカンのブルースシンガー兼ギタリストである二人、ピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルをつなげただけです。桃色ではなく、ジクムント・フロイト博士と無関係で、心理学も無関係。シュールレアリスムとも無関係な、泥臭いブルースバンドだった。

ひめゆりの塔が、ヒメユリと関係ない類例か。このように、作家や作品を分析して深く読んだ解釈が、見当違いな例は意外にあります。それでも何となく理解できた気分だから、作品分析はそんなものと考えてよいでしょう。本書は、その手の美術解釈論と距離を置いています。
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美術よりもエンタメ度の高い地震雲の心理学
2017-08-15 Tue 02:42
気象庁の資料では、日本で起きるマグニチュード5以上の地震は年に741回。一日平均2回以上という多さです。あまりに多いから占い師や予言者には天国なのに、現実にはさっぱり当たらず地震予言は非効率な出世法です。むしろ、気象庁職員の方が当てているのが実態。

日本で地震雲がささやかれます。ひそかな地殻変動が電波を発生させ、上空の雲に異変が生じるとする俗説です。ネットにもたくさん写真が出され、多いのは「のろし」のように大地から高空へ伸び上がる棒状の雲です。垂直に伸びた、怪しいタテ一本の白い雲。魔のひとすじ。

ひとすじののろしの根っこが将来の震源地となり、数日中にゆれるという主張です。その地震雲を見る時、パースペクティブの理解がカギになります。建築パースと同じ原理で、見る角度によって立体の形状がどう変わるかという。美術学校のデッサン授業みたいな感じ。

その地震雲の正体は飛行機雲です。ジェット旅客機のエンジンから出た水蒸気が高空で冷え、微細な水滴が空に残った気象現象。ライン状の雲を、横でなく縦に見たのが地震雲。自分の顔に剣道の竹刀を向けられたような、真正面から見た状態。電柱みたいに直立すれど、実は上端も下端も地上高が等しい水平の棒。実は立っておらず、寝たひとすじ。

地震雲を訴える心理にも関心を向けてみます。地震雲が本当なら気象庁が研究するはずなのに、専門家たちは誰も相手にしません。仕事がら飛行機雲や吊るし雲はよく知るからで、知らない素人の間でのみ真実を発見したと騒ぎになる、大衆社会のよくあるパターン。

専門家を無視して、僕だけは裏を知ると言う門外漢の心理。この心理が美術で流行らないのは不思議です。アートに限って、国民は専門家に従順。「僕らは専門家も知らない真実を見極めた」とする主張が美術では珍しい。美術より地震の方が、エンタメ扱いされる事態。
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現代アートにありがちなカラ主張をひとまず理解する
2017-08-12 Sat 00:25
昨今の美術家のあるある問題として、主張の意味の空転がみられます。「作品の内容で主張しないで、思いで主張する」という主張。わかりにくい言い方になってしまいました。

作品の造形面の内容がそもそも薄く、鑑賞者に対して主張が不発な時。それを「主張しない作品こそが、作者の主張なのだ」と言う。存在感のなさが主張になっていると主張するパターンで、いわばカラ主張のようなもの。

その手の作品を欧米へ持って行くと、目を引かないから埋没するだけ。成果を出すには、作品を改善する必要があります。しかし、自分を曲げたくなくて改善にノーと言う、そのノーの態度が絵に込めた主張だという?、こね回したような論法を実際にみました。

昔、後輩の学生が、僕は作品を作らないことを主張しますと言い出しました。作らない自由があってもいいんじゃないですかと。しかし周囲の目は節穴でもなく、「案が浮かばないと正直に言えば?」と白い目を向けて。橋の案が行き詰まると、端に飛びつく心理を見透かした瞬間。

一方で、逆の信念の美術家も当然多いのです。改良大好き、趣向を変えるのも平気。実験好き。それで芸術性もプラスされ、結果は売れ始めていて、「作品の主張」は本来はこちらの意味だろうと考えます。

ピカソ絵画の特徴は、形と色の主張です。そして多くの後進は造形で勝負しても、天才ピカソに歯が立たない苦難に陥ります。そこで「この白紙に気持ちが込められている」式の、カラ主張に流れたいきさつもあります。作る方も見る方も、後年ほど形と色のメッセージが苦手になり、とんちで代用して切り抜けた流れが疑われるのです。
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UFOの謎を知る知らないで、世界の見え方が変わる?
2017-08-09 Wed 01:37
謎の円盤UFOが飛び回り、僕らの暮らしを監視しているという訴えが世界中にみられます。外国には宇宙人に体を触られた女性がかなり多いという。空飛ぶ円盤の中に連れ込まれて、脳内にチップを埋め込まれて解放された訴えも山のよう。宇宙からリモコン電波であやつられる話。

日本でもUFOを見た通報は、気象庁に何度もありました。「UFOが飛んでいました」「確かにUFOをこの目で確認しました」と、市民から電話が次々とかかったことも。UFOの目撃体験が日本でも多いことは、最近もまたニュースになっていました。

気象庁へ通報が殺到したてんまつで、ものを知るか知らないかでギャップが大きく広がったことがありました。当局が調べた上で、結果が報告されていたケース。

「UFOを初めて見て、宇宙人が来ていることを知りました。今まで半信半疑でしたが、今後は信じます。宇宙で何が起きているのか、全てがわかった気がします。地球外の知的生命体が、地方の市にも出入りしている現実を僕は目の当たりにしました」。知らない人の見解はこう。

知る人の見解はどうか。「今回の見た場所は、三重県のあそこでしょ、山の上あたりの、やや南寄りの、光が点滅する物体が飛翔したという、夕方5時過ぎですよね」。「それ全日空の旅客機466X便です。操縦した田中さんは僕の先輩です。若い頃よく飲み会でいっしょで」。

何かを知るか知らないかで認知の差が目立つことは、美術でもよくあります。たとえば、絵は画家の思うままに描かれているとの認識。歴史的画家は偉い人だから、超人的な頭脳と手の精度で語られる。しかし実際は、たまたまの思いつきや、はずみとまぐれが傑作につきもので、だから持続しない方が多いのです。一例はムンクの『叫び』。
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京都の文化財を保護するために米軍が空襲を避けたのは本当か
2017-08-06 Sun 02:17
むろん嘘で、京都は大戦中に4度か5度空襲を受け、意外に大勢が亡くなりました。著者が知ったのは、たぶん1990年頃です。新聞トップコラムの「米軍は古都京都の文化財の価値を知り、空襲の対象から外した」と記された記事を、先に読みました。

直後に京都の読者からの指摘で、何年何月何日と4度の具体的な爆撃日が後日新聞に記載されました。京都の郷土史に記録されていたそう。今ネットに出ている爆撃回避説は、空襲の直前に終戦がきた根拠ですが、これはネット時代の新型デマです。逆に空襲何十回説は誇張デマ。

間違い解釈が続いた原因は、原子爆弾の初期ターゲットに京都がなかった情報が混線したからでしょう。が、その情報さえも嘘で、原爆投下に最適の都市に京都はリストされていました。原爆対象ゆえ焼夷弾空襲から外された順序ではなく、空襲被害がまだ少なかったから原爆で壊滅させるに適すると、あちらの当局は順当に判断したのでしょう。

東京は大空襲ですでに建物が灰だから、そこに原爆を落としても打撃はないと軍人は考えるはず。当時の米軍が、京都の文化財を心配した確かな証拠はありません。古都の保全を唱える学者肌の米軍人がいた事実があったとしても、存在感が後世にふくらまされています。

米軍京都保護説が日本で長く信じられた理由は、戦後の宣伝戦が疑われますが、軍事大国は文化大国だとの見込みもひとつ。さらには、文明と文化が比例する先入観でしょう。文明国は文化意識も高いイメージ。しかし現実は、文明は文化をつぶす主犯格です。両者は対立する。

二次大戦中にドイツにある美術品を、連合国が奪う映画がありました。金目への欲がらみと思われ、しかし建造物は絵のように運べないから関心もなく砲撃で壊し放題。だから今のアメリカでは、歴史建造物の見学は予約制です。敵国文化を消したい者なら汚損も平気だろうと、あちらの当局は順当に判断したのでしょう。
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芸術論に客観性や主観性はあるのか
2017-08-03 Thu 00:44
ネットに限らず、主観を悪とする言い方を目にしませんか。たとえば、「それは単に君の主観にすぎない」「その意見は主観的すぎて許されない」という言い方。他者の主張を退ける時に、内容が主観的だとして失格にする。日本に特有の感覚で、いわゆる事大主義と表裏一体。

主観と客観に触れた章が本書にあります。芸術の価値で最大のツボは、価値が固定しない点だから。「客観的にみて正しい」は論理学的に不正です。「主観的な考え」が間違いなのではなく、「主観的な考えは間違いだ」の考えが間違い。また出ましたよ、難しい話が。

実はかつて人類は、客観的にみて正しい価値を発見しています。それは絶対的に正しい価値として、長い年月続いてきました。人生の全てを、その客観的に正しい価値に捧げた人も大勢います。その客観的に正しい価値は、永続する約束でした。優れた人たちが出した、理想的な最終回答だったのです。何しろ客観的に正しい本物の正解だから。

客観的に正しいと決められた本物の価値とは、共産主義です。ほぼ等しいのが社会主義。今も世界に残っていて、過去形ではありません。客観なるものは、このあたりが正体です。芸術的価値もまた、主観のみ存在します。マラソンのタイムみたいな客観性は芸術にありません。

「芸術の本質は写実デッサンである」という意見と「芸術の本質は表現の裂け目である」という意見で、どちらが客観的に正しいかは永久に決まりません。主観客観の区別は非芸術的です。ありもしない客観性を振り回す側に、むしろ柔軟性はなく。赤よりも青い発想。

客観的な正しさを誇る共産主義に、自由主義社会のアメリカは何と言ったか。「共産主義は主観的な思想だ」「客観的に正しいのはこちら」とは言わず、「国益のために共産主義と戦う」と言いました。客観を頼る者は、きっと弾圧に向かうとの予見。だからアメリカが最も共産主義化させたくなかった国は、事大主義的に映った日本でした。
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