東日本大震災以降に日本のアートが欧米で注目されていて
2016-10-31 Mon 00:16
最近の欧米国で日本の現代アートの需要が高まっていることは、あまり知られていないようです。絵画や彫刻、書や写真もです。傾向はもっと前からあったのですが、ブレイクさせたのは東日本大震災でした。

東日本大震災の津波と原子力発電所の惨事で、日本を支援する輪がヨーロッパ国に広がり、文化交流活動が続いています。サブカル系とアート系とも出番が増えました。日本の特にコンテンポラリーが。

日本の美術求むという潮目となり、この何年かで欧米の作品展に参加したり、実際に外国へ住んでみる日本人美術家も増えました。

ところが今も、日本は24年にも及ぶ不況の渦中です。地震前に世界が日本へ期待したことは、バブル後の経済立て直しでした。ジャパンマネーで世界が安定するという期待です。すべての先進国がGDPが何倍にもなる中、日本だけが慢性不況で横ばいの24年間だから。

先進国からの苦言に日本は応じられず、苦言も消えた頃に何と東日本大震災です。そして今、現代アートを欧米へ送ろうにもジャパンマネーは枯れています。国内アーティストは経済困窮し、活動停止や撤退を余儀なくされる悲運です。2012年頃に制作をやめた作家が多い実態。

日本現代美術のクリエイターたちは自国に基盤もなく、花咲かすこともできずに国際的日本ブームが終わる流れがみえています。国内は芸能人の絵画で事足りている状態。この本の大部分は近著ではありませんが、今持ち出してきたのは国内の全美術家を支える日本市場づくりです。
スポンサーサイト
関連記事
別窓 | 日本のここがクール | トラックバック:0 |
具象絵画はホントに理解されているのか
2016-10-30 Sun 00:40
「具象画はわかるが、抽象画はわからない」「具象は大好き、抽象はちょっと」という人が日本にとても多いのは、周囲を見てもネットを見ても感じることでしょう。欧米には少なめだから、日本の美術界のハンデになっています。お客がそうだと、アーティストも伸びないし。

そこで疑問がわくのは、具象だけがわかる人がほめたたえた具象画は、ハンデの反映が表れていないかということです。これは調査や実験が必要かも知れませんが、具象だけがわかる人と、具象と抽象ともわかる人では、具象作品を見る目の広さや深さが違ってくる可能性です。

具象画だけがわかる人が好む具象画は、具象的成分や側面に関心が片寄って、表現の核心的エッセンスが見過ごされている疑いです。

具象画だと「わかるわかる、感動するわあ」と、芸術の深淵に触れた話にされます。同じ人が抽象画だと「わからんわからん、感動せん」となって、こんなの芸術じゃないとされて。それって具象画の何か別のことを、芸術だと思い違いしている確率が高いのです。

両方わかる人が見ないと、具象画の芸術性がつかめないことが考えられます。なぜなら、美術作品に宿るとされる芸術成分は、抽象的な何かであると推定できるからです。芸術性というやつは、抽象的概念だという話。この発想は、世界的に見落とされているでしょう。

具象だけが分かる人と両方わかる人では、別の概念を芸術だと認識していて、傑作の判断でも別傾向を選ぶ可能性があります。審査員がどっちなのかで、具象画家の運命もまた翻弄されます。この問題は、ヨーロッパでの展示で、お客の反応を活字にまとめながら思いつきました。
関連記事
別窓 | ココが大事な焦点 | トラックバック:0 |
自分の作品を論じることは、アーティスト本人に可能か
2016-10-29 Sat 00:59
わからないアートといえば、抽象のピカソやポロックの絵がすぐに浮かびます。が、実は具象のルノワールやフェルメール、ゴッホの絵もわからないという声があります。そして、たぶん日本に多いのです。

ゴッホやポロックの絵がわからない現象は、本人がどんな気持ちや心境で作ったのか、何を狙ったのかがわからないことが言われます。価値がわからない以前に、制作意図がわからないわけです。「麦畑を描いて、それが何だって言いたいの?」。

そこで評論家が解説しますが、画家のコメントを読むわけでもなく、アウトサイドからの視点なので空想が増えます。当然ながら、論者が読み取れた範囲でしか語れません。

だから核心部分は憶測と願望のつぎはぎ作文となり、それを学んだ読者は作品解釈の都市伝説に流されることも多い理屈です。

ならば、いっそのこと当の作者自身が作品を解説すれば、空想を補正できて鑑賞者がわかりやすくなりそうに思えます。画家や彫刻家が、セルフ評論すればよかろうと。しかし、作者による自作品の解説は、現実には難しいのです。音楽もそうですし。

難しい理由がいくつもあっても、理由を謎説きした例はまれでしょう。作者がなぜ自作品を語れないかは、芸術作品で特に複雑です。芸術は基本的に裂け目ですから。作る段階から本人には管理しにくく、実は美術家はプロデューサーを必要としているのです。どう作るかを助言する人を。音楽ではそこは解決しています。
関連記事
別窓 | ココが大事な焦点 | トラックバック:0 |
画家の死で価格は上がるのか、いじわるばあさんの絵画投資
2016-10-28 Fri 00:38
長谷川町子の4コマ漫画『いじわるばあさん』に、主人公がデパートで絵画鑑賞する場面がありました。将来性が確実な絵に期待して買うわけですが、それから毎日画家の家に電話をかけるのです。「今日もまだお元気ですか」と。

「また」と言わず「まだ」と言うイジワルな主人公は、絵の値上がりが楽しみで、作者が亡くなる日を待っている筋書きです。高騰したら売り抜ける投機目的で絵を買っており、日本のアート市場の素顔をおもしろおかしく皮肉った漫画作品でした。

『サザエさん』よりも『いじわるばあさん』が本命だと長谷川町子本人は生前語っていて、『サザエさん』に適さない強い毒モチーフは『いじわるばあさん』にかき分けていました。

しかし漫画の最大ポイント「画家が亡くなると値上がりする」は現実は逆で、値下がりする場合がほぼ全てです。実態だけでなく、状況証拠もそろっています。個展は作品だけ置くよりも、会場で本人が応対する方がずっと売れる現象もそうです。生きている画家の地位や人柄や人脈などが、大幅に加算されるからです。

死後に値上がりした例は、ゴッホやモディリアニなど歴史名作に集中しています。その一群は生前はゴミクズ画家の扱いで、売れないせいで早死にしていたりします。売れない事実があるから、いじわるばあさんは当然そうした絵に関心はなく、買うわけもありません。

長谷川町子の狙いは、金額換算も楽しみという日本に多い購入動機への皮肉とみえるかも知れません。また、現代版ゴッホやモディリアニの居場所は日本にはないという、裏返しの指摘も読むことができます。
関連記事
別窓 | 美術おもしろ話 | トラックバック:0 |
信仰が強迫へ、現代美術アドバイスのあるある失敗
2016-10-27 Thu 00:19
この特集の発端は、「現代美術は簡単」「わかる」「何でもない」「楽しいぞ」と言う巷のガイドが、信仰と強迫に向かう傾向でした。作品を示して「これならわかるでしょ」「わからないことはないでしょ」と。どうも単純化しすぎだし、説得内容も非芸術的だったり。

具体的にあげてみましょう。写実から抽象への教育課程どおりに抽象を理解するアプローチでは、古代の抽象に歯が立ちません。シュメールとかエジプトのアートがカバーできず。その勉強では、美術の範囲を狭く限定していた頃と同じです。

名画の見方を覚える方法では、明日生まれる未知の新作には通用せず、自立歩行が困難です。マニュアル人間。好きな作品だけ相手にせよという割り切りは、創造を却下する意味だし。何でもありの時代だぞと便器を示されても、ピカソや日本画とは全然つながらない話。一個ずつ別の暗記科目じゃあるまいし、便器もそんな経緯と違うし。

ガイドたちは旧態の延長でがんばる努力を強いていますが、「難しい」「わからない」「ちょっと」の壁を苦労で乗り越えても、「美が苦」は温存されます。焦点は、鑑賞者の努力不足とは違うのです。そっちへ引っ張ったらだめだめ。

正直なのは、日本の新興美術市場の細さです。努力したぐらいではわからず、やっぱり買わない。本当にわかりたいのは、現場単位の美術品の良さではなく、人類にとって芸術とは何なのかでしょう。大きいところから攻めていく方が、おそらく日本人向きであろうと。

日本人が芸術と縁遠い民族的な資質は見当たりません。サッカー日本代表のようなフィジカルのハンデはないし。監督やコーチ、インストラクターが間違ったアドバイスを続けていると考える方が自然です。
関連記事
別窓 | ココが大事な焦点 | トラックバック:0 |
ボブ・ディランのノーベル文学賞vsコメントの芸術度
2016-10-26 Wed 00:28
フォークシンガーのボブ・ディランがノーベル文学賞に選ばれ、世界中から賛否コメントが出されました。平和賞がコロンビア国大統領で先決だからとか。世間に飛び交うコメントにも、芸術度は表れます。

芸術は普通、高く遠い印象が誰にもあるでしょう。国宝にもなるぐらいだし。でも、こっけい話の桂米朝みたいな国宝もいます。何か言うだけでも芸術性は出るのです。次のコメントが日本に多くみられました。

(1)ノーベル財団が悪い。応募してもいない人に一方的に賞を与えるなんて。(2)ボブ・ディランが悪い。世界最高の賞を相手にしないなんて。(3)どっちもどっち。一方的なノーベル財団も、一言もないボブ・ディランも。

(3)が最も穏健です。そして、最も芸術を感じない言い方に思えませんか。一番つまんない。火消しして刺激を減らし、事件性を薄めた毒にも薬にもならない発言。話は止まって解散するだけ。

美を愛でる趣味や絵心は、芸術と直接は関係がありません。絵画でなく落語であってもかまわないわけですから。歴史が証言する芸術は、人間のあらゆる表現に現れてくる裂け目の妙です。裂け目です。芸術は必ず穏健から遠い。腑に落ちる収まりは、芸術とは逆。

火消しして刺激を減らし、事件性を薄めた毒にも薬にもならない絵画があれば、それを人類が芸術創造として歴史に残すわけはありません。こうした基本を押さえずに現代美術を好きになろうとしても、芸術との関係は得られないのです。
関連記事
別窓 | 芸術アラウンドトーク | トラックバック:0 |
黒石よされ写真コンテスト市長賞の内定取り消し、権威か能力か
2016-10-25 Tue 00:19
最初にニュース記事を見た時、少女が写った写真が受賞して広く顔が知られ、有名になって周囲から迫害されたのかと思いました。そうではなく、迫害は以前からだそう。

夏祭りの舞踊を演じる少女をたまたま撮った人がいた。撮影者はその写真をコンテストに応募した。受賞が内定して撮影者と少女家族に知らされた。が、知らせの49日前に少女は自殺していた。それを知った市長が内定を取り消した順序だそうです。公表された取り消し理由は「亡くなった人が被写体では賞にふさわしくない」。

死後も迫害が続くよくある法則みたいですが、賞を出す側もプレッシャーと緊張で狼狽していました。賞には思惑や情実が混じるもので、圧力や鶴の一声でも裏返ります。もし「難しい、わからない、ちょっと」という人が関係するなら、いっそう簡単にぶれるでしょう。

賞を取り消したのも、取り消しを撤回したのも、穏便を優先するリーダーの苦心でした。しかしそれとは別に悲哀を強めた隠れ要因は、上が下に与える賞が価値を支配する問題です。支配されている感覚は市民には希薄ですが、コンテスト、コンクール、コンペ、制作競技の問題をここでちょっと。

たとえばゴッホは絵を何度も応募しましたが、生涯に全部が落選しました。欧米国はそこは少なくとも学習して、公募コンテストはやめて別の方式が主流です。日本のアート界は権威主義のままで、欧米は能力主義に変わっている違いが、日本では知られていないのです。

欧米の主流は、誰でも出品できる美術マーケットです。そして、欧州マーケットに出すルートはこちらにもありますが、あの少女の写真は実は出品できません。その話はまた今度にします。
関連記事
別窓 | 芸術アラウンドトーク | トラックバック:0 |
112 テレビ番組はなぜつまらないのか
2016-10-24 Mon 00:48
芸能タレントの何人かが、テレビ番組はつまらない、このままではテレビ業界はおしまいだと言い出しました。今のテレビ番組がつまらないという実感は、国民に広く起きている問題のようで、視聴率の低調や全く見ない人の増加にも表れています。

これはテレビ以外の娯楽へ客が逃げている問題とは別に、テレビ番組の出来が確実に悪くなっていることを、国民の大勢が感じ始めている問題です。テレビとネットをくらべるのではなく、昔のテレビと今のテレビをくらべた落差があるのだと。

あるジャンルが全体的に行き詰まって業界人が悩むというのは、アートでも起きました。アートと似たことが、今日のテレビでも起きているかも知れないという着眼が可能です。

まるで現代美術を追いかけるかのように、今度はテレビがダダ運動タイプに傾斜する現象を、ここで指摘しています。そしてテレビは商業娯楽でありながら、芸術性はやはり表れるのです。表現物の全てに、芸術性のあるなしへの分岐は生じます。テレビ番組がお客とずれてきている問題と、作品をおもしろくする解決を考える話題です。

第8集に収録
抽象絵画
関連記事
別窓 | 各テーマの裏話 | トラックバック:0 |
96 写真は芸術か? 1 心霊写真編
2016-10-23 Sun 00:27
写真は芸術ではないという説は、日本に根強くあります。写真をアートとして考える人を一笑に付し、こきおろす意見が以前からありました。ネット時代の今に始まったことでもなく、日本の民意として写真は芸術の仲間外れや二軍扱いなのです。現に売買市場がなきに等しくて。

しかしヨーロッパは、日本の写真アートに期待しています。それもそうで、世界中の報道カメラは日本製だからです。自動焦点かつ一眼レフ(ミラーあり)という高級小型カメラは、世界で日本国だけが商品化できています。世界のプロは全員が日本製ユーザーだから、日本の写真作品にも何かがあるはずだと注目するわけです。

写真作品に芸術に値するものは宿らない、あるいは撮影作業は芸術行為ではないとする考えと、それがなぜ日本に多いのか。理由を探り、日本人の芸術観の根底にあるものに触れています。

便器を置けばアートと解釈する破天荒な時代に、写真に限ってアートから排除したがる不自然な不寛容が、ちぐはぐに思えないでしょうか。ここでは、心霊写真をめぐって日本人に潜伏する写真への教条的な思いを確認し、日本で写真アートが低い扱いを受け、広告写真家以外のフォトアーティストでは食っていけない問題を考えます。

第7集に収録
抽象絵画
関連記事
別窓 | 各テーマの裏話 | トラックバック:0 |
84 芸術がわからない人は世に何人いるのか
2016-10-22 Sat 00:36
日本で「自分は現代芸術がわからない」と言えば、国民の多数派に属する常識人宣言になります。現代の芸術作品なんてわからないのが普通とされ、それは日本人が現代アーティストという人種とあまり関わりたくない気分でもあるでしょう。

ところが、わかる人には最初から壁がないから、わかるといちいち宣言しないわけです。そこに、わからない派の油断があります。先進国の市民の中で、実は孤立していた。めったにいないだろうとみていた「現代芸術がわかる日本人」は、意外に身近にもいるのです。

ここでは古典具象と現代抽象という分け方ではなく、二点の作品に大差があってもわからない人は、なぜそうなるのかという問題の立て方になっています。たとえば「偏見をなくせばアートは簡単さ」と教える人も、本人はそんな鑑賞法は実行しません。世の中に美術に関するノイズが多すぎて、偏見なき視点なんて最初から無理だからです。

誰もが図工や美術科目を通して、美術への先入観は持っています。ネットには、抽象がわかるやつは頭がおかしいと憎々しげに書いてあるし。普通の人が、それら見聞きするノイズに打ち勝てるわけもなくて。それならば、日本人が芸術オンチへ曲げられていく原因の障害物を具体的にあげて、先回りして知った方が補正に役立つことでしょう。

第6集に収録
抽象絵画
関連記事
別窓 | 各テーマの裏話 | トラックバック:0 |
65 ダダ運動タイプ、現代美術のちりとてちん
2016-10-21 Fri 00:17
ダダというのは、後発の便器アートに代表されるような、アートの意味を拡張した運動でした。便器アートはレディーメード(既製品)に分類されますが、それが世界的な潮流になったという話題です。

ダダ運動タイプが広まると、美術、芸術が苦手な人が世界中に爆発的に増えたのです。美術がわからないのは、気のせいではありません。馬鹿だからではなく、賢いからやられるわけです。アートが社会から浮いていったのは事実です。ところがところが、敬遠する声とおもしろがる声は、実は同じ反応の表と裏なのです。

というのも、便器アートも全く誤解されているからです。どう誤解しているかを理解する時、何とそこで抽象思考が必要になるのです。誤解をほぐす時に要する抽象思考とは。単に見上げたり見下ろすイエスノーではなく、ここで現代アートに何があったのか、成り行きを整理し分別しています。

過去の誰もうまく言い切れず、簡単だぞという肯定派の説明さえ空回りしがちだったあいまいさが、便器アートに集中しています。敗因は便器アートを具象で認識し、ブツを知っている親近感をつたった間違った鑑賞法が蔓延している点です。そこを初めて明快に説明しています。全編47万字中、美術の虚実を解く最もカギとなる一編です。

第5集に収録
抽象絵画
関連記事
別窓 | 各テーマの裏話 | トラックバック:0 |
47 モディリアニとトレードマーク美術
2016-10-20 Thu 18:59
音楽の作曲につきまとうのは、「できることが年々狭まっている」という悩みです。よいメロディーは昔の人たちがやり尽くし、満点の正解曲は先取りされてしまっているからです。後世ほど大傑作が減り、細部をひねった煮え切らないプチ佳作ばかりになっていく理屈です。

この悩みは絵画や彫刻にもあって、新世代たちはやり残されている小さなすき間を探し回って、やっとのことで何とかオリジナルといえる作品を成り立たせています。それができない場合は盗作という奥の手。もう最後の手段ではなく、最初からパクリ制作が常習化していたりもあり。

美術のオリジナルの手法で、「トレードマーク美術」という概念を考えました。モディリアニの絵に見る首が長い女性像のように、ワンポイント的なデフォルメで差異化を図るタイプがそうです。どれも口をあけているとか、目がきついとか。その手法の存在意義や、可能性や欠点を話のタネとしています。

「美術は簡単だ」というアドバイスで多いのは、「心を広く持って、柔軟な気持ちで見よう」式の精神論です。それは無意味なアドバイスで、それより画家たちがどういう追い込まれ方になって、何に苦心しているかの方がより迫真的なヒントになるでしょう。「作っているやつらの苦労を見てやろう」という興味です。

第4集に収録
抽象絵画
関連記事
別窓 | 各テーマの裏話 | トラックバック:0 |
42 夢を美術に使えるか 2 幽霊編
2016-10-19 Wed 00:19
幽霊などの怪談話やオカルト系のエピソードが、本書にはいくつか登場します。怪談話と絵画にはアナロジー(類推的要素)があって、親しい関係だからです。

多くの人が怪談を誤解しています。怪談話は公式の報告書とは違うのです。怪談に公平公正はなく、逆にあの手この手で読者をだまそう仕組んだ民話であり、物でいえば手品に相当します。起きた順序を逆に書いたり、部分誇張や壮大な尾ひれ追加と、ネタばれ情報の省略や書き換え。人をだますエンタメ企画物です。

ところが多くの人は、公式の発表だと思ってしまいやすい。そんな怪談と似ただましのテクニックが古典絵画にもあります。何かを逆に描いたり、部分誇張や尾ひれ追加、ネタばれ情報の省略や描き換え。絵画作品もまた、人をだますエンタメ企画物です。

ところが多くの人は、古典絵画も公式の事実報告だと何となく思っています。怪談を真に受けるのと同じように、絵画に描かれている事物を真に受けて思想形成する。当時の証拠写真のつもりで・・・。画家がそこにもぐり込ませた夢と現実を混ぜて生じる、不思議なナンセンスを上手にキャッチして、怪談のように絵画を楽しむ異色の話題です。

第3集に収録
抽象絵画
関連記事
別窓 | 各テーマの裏話 | トラックバック:0 |
20 ヒトラーの絵とポップアート
2016-10-18 Tue 00:58
ナチスの総統アドルフ・ヒトラーは1945年の自決後も、生存やUFOや南極や火星など都市伝説が多くあります。オカルトではなくリアルな話題として、ヒトラーがかいた古い絵が、2007年のオークションで高値で落札されました。国際ニュースが駆けめぐり、しかしどのコメントも一面的で、美術界のスクラムは微動だにしませんでした。

「ワルが作ったアートは評価できない」という道理と、「有名人は凡作でも高く売れる」という、少なくとも二つの道理がからんでいます。超有名な超ワルならば矛盾が生じ、超凡作がどうなるかという問題です。この簡単に片づけられない人類の不安を整理するために、ヒトラーの作品に言及したやや長編です。

「ヒトラーが傑作を手がけていたらどうなったか」と、「ヒトラーが善玉だったならどうなったか」というタラレバ仮説を考えてみましょう。ところがこれらは仮説で終わらず、だんだん真実へとずれ込んでいくであろう将来が考えられるのです。

ヒトラーの絵に「ノー」と言うなら、他にも「ノー」と言うべきスターアーティストが今も世にそれなりに多い。ヒトラーだけを歴史的芸術家の名士からうまく除去できる線引きが見つからず、人々はアートの大衆的行動にため息をつくのです。芸術なんてわからないと言う人は、ヒトラーにカモにされ、彼が名士となる足場にされています。

第2集に収録
抽象絵画
関連記事
別窓 | 各テーマの裏話 | トラックバック:0 |
10 子どもの絵、幼児の絵は芸術か
2016-10-17 Mon 00:46
個性的作品が多いショパンのピアノ曲とて、関心がない人はどれも同じに感じます。それは、ビートルズ曲も、ジェット旅客機や結婚指輪のデザインもそうでしょう。誰でも、関心があれば個々の細かい差を感じ、関心がないなら皆いっしょと感じます。当然ながら、関心は買う時に最も高まり、買わないと低いでしょう。

日本の抽象画家は、実はたいてい周囲からこう言われたことがあるのです。「ピカソみたいな絵ですね」。どんな絵でも抽象なら言われます。つまり、美術に関心がないという意味の告白を受けているわけです。「ピカソは子どもの絵と変わらない」も同じ告白で、関心がないと違いは感じ取れません。皆いっしょと感じます。

ところがおもしろいことに、ピカソと子どもの絵の違いは誰も説明しません。美術に多い情報空白地帯のひとつです。子どもの絵はどういう絵か。子どもに何ができ、何ができないか。大人に何が勝つのか。故意に子どものように描くのは、大人には簡単か困難か。そもそも絵画の児戯は価値がないのか。それらは、ほとんど情報がありません。

少子化で子どもに無関心になっていく日本で、幼少期のアートの秘密に関する話題です。芸術なんて関心がありませんで終了せずに、芸術の成り立ちへさかのぼる手がかりとなる子どもの絵。その謎を探ります。

第1集に収録
抽象絵画
関連記事
別窓 | 各テーマの裏話 | トラックバック:0 |
ボードリヤール『芸術の陰謀-消費社会と現代アート』の卓見と穴
2016-10-16 Sun 00:39
フランスの思想家ボードリヤールの『芸術の陰謀-消費社会と現代アート』は、多くのアーティストが共感したのかと思えば、逆みたいです。世界の美術家はあのエッセーに反発しており、不評の論文のようです。

論文のとおりだと、売れている美術家は陰謀でかせぐ立場で、売れない人は陰謀成立を目指す立場です。全ての画家や彫刻家には不名誉な言われ方にもなり、だから怒りを表明した有名美術家もいたほどです。

ボードリヤールの陰謀論は、美術こそが付加価値ビジネスの極致と指摘した本質論です。いわば図星。送り手と受け手の間でつじつまが合い、被害者もなく丸く収まっている。よく聞く「価格はあってないようなもの」というやつ。この奇妙なバランスは、古典も含めた美術全般を考察するには見逃せないツボです。

ボードリヤールの陰謀論は最近知ったのですが、もしかして20世紀中に解決したのか調べてみました。すると案の定というか、現代美術論で見落としやすいある穴が、やはり埋まっていない欠損部があります。

ボードリヤールの英知でさえ、作らない立場ゆえ届きにくい芸術の深部がやはりあったのだと。その欠損を解説した世界初はたぶんこちらの本で、陰謀テーマではなくイカサマテーマの回です。

彼の本では遠回しに陰謀と呼んで、あることがそっくり書いてありません。こちらの本でははっきりイカサマと呼んで、そのあることがそっくり書いてあります。フランスの限界ではなく、作らない立場から考察した限界だろうと感じます。
関連記事
別窓 | 三大画家vsダダ運動 | トラックバック:0 |
バチスカーフとアポロはなぜ定期便や駐在基地がないか
2016-10-15 Sat 00:35
世の中には、説明が難しいものがあります。人を説得するのに話が長くなったり、報告書を何ページも書いて、方程式の答がバラバラと、最後に一気に解けるような難題さえあるし。

昔それを感じたのは、PTAの誰かが問題提起した、少年向け5段変速機つき26インチ型スポーツ自転車でした。時速20キロの自転車は、一番速い5段目のギアで変速すれば100キロ出そうだ。そんな危険な自転車は、校区で禁止すべきと訴えがあったのです。

車の免許を持つ当時の男性には笑い話ですが、さて、その理解で固まった人に簡単に説明するのは難しいのです。結局、5段変速が安全か危険かを誰もわかりやすく説明できず、各家庭にまかせるウヤムヤに流れて終わりました。

さっと説明しにくい例は、清掃直前の床にゴミをわざと捨てたり、売春が許されない理由も。科学分野ならバチスカーフとアポロはなぜ定期便や駐在基地がないかとか、最近ではコンビニの冷凍庫に人が入っちゃだめな理由もその類かも。正論のあげ足をとって、シンプルな抗弁で立てこもるのがたやすいこともあります。

5倍で100キロと受け取る自由さは、美術も同じです。「芸術とは何か」も含めて、アートは見たいように見て感じたいように感じてよいという時代の要請があります。ネットの美術マスターたちが出すアドバイス「自由に好きに見よ」は、現に広く実行されています。

その結果、難しい、わからない、ちょっと、がすっかり増えています。「好きに自由に」の結果が、市場崩壊と国勢文化力減退となれば。各家庭にまかせるウヤムヤも、ちょっとなあと感じます。
関連記事
別窓 | 芸術アラウンドトーク | トラックバック:0 |
日本にノーベル賞を受賞した女性がいない理由
2016-10-14 Fri 00:29
日本でノーベル賞を受けた人は、全員が男性です。あるコメンテーターは、この片寄りが起きている最大の理由として、大学の理科系に占める女性の割合が小さい、つまり理系の女子大生、いわゆるリケジョが少ないことを長文で書いていました。

その結論に素直に納得する人も多いと思いますが、「ん?、んん?」と感じる人もいませんか。たぶん多いはず。だいたいはわかるが、何か的を射ていない、確かにそんな気は一応するけれど、なんか違うぞと。

その手の話の回し方は、政治、経済、社会の分析でもよく見かけます。やはりロジックが変なのです。理系へ進学する女性が少ない現象と、ノーベル物理学賞の女性がいない現象は、同じ現象だからです。同じ現象の一面と別面を、理由と結果に分けても無意味です。

川があふれて洪水が起きた最大の理由は、流域の水位が異常に上がったことだと説明するようなものです。こうした、分析になっていない奇妙な分析論は、アートでもたいへん多いのです。「ん?何か違うぞ」という美術話が、国民の前に山積みな現実があります。

ノーベル賞には、理科系だけでなく文科系もありますよね。女子大生も多い学部学科で、ノーベル文学賞、経済学賞、平和賞に日本の女性が輝いてもかまわないわけで。

コラムは本一冊書くよりも精度が下がるとしても、的を外して単語の雰囲気で空納得するオピニオンの氾濫は、国民への好ましくない教育効果になるでしょう。美術論に多いトートロジー(同意語の重複)的な話術など、説明する先生が混乱を増やしている面があるのです。
関連記事
別窓 | 芸術アラウンドトーク | トラックバック:0 |
109 名作から出るオーラの正体を追え
2016-10-13 Thu 00:09
名画名作から深いものを受け取り、私たちは心の糧にします。

この感銘を指して、本物の芸術作品からは特別なオーラが発信されているという説があります。説というより、大勢に覚えがある強い実体験になっています。大傑作には、五感を超えた何か特殊なパワーがあって、こちらにシグナルが飛んでくるという。

「それは美術鑑賞の大きな魅力となって、情報洪水の中で唯一といえるほど信じるに足る本物の真実の体験です。実際に起きているのであり、絶対に正しいことはゆるがない。芸術的オーラがもたらせる幾多の感動の豊かさは、美術ファンの大きな連帯感を形成しています」。

そうした芸術的オーラの存在を、あっと言う間に否定して、完全にぶっ壊して、打ちのめしてしまう話題です。美術を見るおもしろさや豊かさも、画家がやりたかったことも、それとは違っているという最重要な話題のひとつ。「そこかよ?」系で、「妄想はそこまでにしよう」の代表的なテーマです。

第8集に収録
抽象絵画
関連記事
別窓 | 各テーマの裏話 | トラックバック:0 |
91 空飛ぶ円盤UFOと、宇宙の芸術 2
2016-10-12 Wed 00:27
ネット時代になって、美術も芸術もエンターテインメントに分類されています。芸術はエンタメだ!。しかしレジャー産業や趣味講座とは次元が違う、何か特別な無償の衝動の存在を信じて、それが芸術の源泉だと考える人は意外にいるのです。芸術は衝動だ!と。

「何かを表現したい衝動」は、単に個人レベルの気持ちの問題かという命題です。話を大きくして、地球で人類が発祥したメカニズムは、芸術の衝動と関係があるかも知れないとする仮説です。

宇宙が誕生して成長するプロセスと、生物が発生して成長するプロセスは、昔からよく似ていることが言われてきました。ビジュアル的にも、マクロ世界とミクロ世界は相似します。太陽と惑星の関係は、陽子と電子の関係に相当するとか。ある星雲の宇宙望遠鏡写真と、神経系の顕微鏡写真は、同じものに見えてしまうほど。

この回では、宇宙の仕組みを芸術衝動の視点から類推し、生物が生まれた奇跡を画家の創作行動に重ねています。人類の運命は芸術がカギを握っていると仮に考えて、ただのエンタメにとどまらない飛躍的な論を試みました。

第7集に収録
抽象絵画
関連記事
別窓 | 各テーマの裏話 | トラックバック:0 |
 >◆以前の記事◆>>