血液型の性格占いが当たる理由÷美術が苦手な理由
2017-06-04 Sun 01:27
意外ですが、著者は血液型の占いは日本では当たると説明したことがあります。科学では法則を確かめるために、相関関係と因果関係の両方を証明します。ABO式では相関もなく、デマと結論されています。

一般人は当たり分だけに注目し、法則をすぐ見つけます。科学者は外れ分も統計処理して、法則を見つけません。たとえば、かつての交通事故犠牲者の霊があの世へ引き込んだバス事故などで、一般人が根拠とする怨念的印象論と、科学者が根拠とする数学的確率論が衝突します。

著者は、人間の被暗示性に着目しました。「O型はおおらかな性格」と子ども時代から言われたら、該当者は大ざっぱな行動が許された気になり、細かいことは気にしまいと心がけるでしょう。同様にAA型の人は自分の珍しさを自覚し、言われた特徴を表に出す傾向がありそう。

元々強い片寄りのない常識人は、あなたはこういうタイプだと言われると、それを演じる変化を起こす可能性です。期待を裏切るより、期待に沿う確率の高さ。これは教育心理学や、メンタルトレーニングで応用されます。言われた特徴と逆の人になるよりも、言われた特徴の人になる割合が多いとする推論です。

「抽象画はわけがわからない」が耳タコの人は、元々強い片寄りのない常識人なら、わからない大前提で鑑賞する習慣がつくと考えられます。「抽象がわかったらおかしい」と聞けば、「おかしくはなりたくない」「みんなと同じがいい」と。日本なら同調圧力もやや強め。

ABO式占いの性格配分は、人数が多い型の順に凡人に設定してある点が巧みです。多数派ほど平凡であろうとイメージする、人の心理にうまく引っかかります。国民の実感どおり法則性があるなら、暗示するだけで国民の性格改造に成功した珍しい事例にもなります。
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陰謀説がなぜかアートの説明に出てくる理由
2017-04-17 Mon 01:33
大規模陰謀説がネットで目につきます。一例は、1985年にジェット旅客機が群馬県の山中に墜落した事故。524人中520人が亡くなる惨事でしたが、ネットには在日米軍がミサイルで撃ち落としたのが真相だと、繰り返し出てきます。自衛隊犯行説もあります。政府は今も本当のことを語らずに黙っている、と結んであって。何を感じますか。

そんな話は荒唐無稽だと国民がスルーしたら、むしろ信者は増えます。現代人の行動は、ネットにある記述に身を寄せる以外に幅がない面があるからです。何度も目にするからこれが正解だなと、人生経験の少ない者ほど考える傾向。目にした回数で素直に信頼して染まりやすい。

これは取り越し苦労ではなく、著者は企業の社員から質問されました。「1969年のアメリカの快挙は、自演の陰謀かどっちですか?」と。中学二年生ではなく、30代半ばの社会人も判断がつかないとは。全世界にある宇宙関連事業の数を、一考してみる想像力もないとは。

たとえば、22年を経た東京地下鉄サリン事件。重刑判決が出た犯人の多くは、その30代社員と特徴が似ています。有名大学理科系出身で、頭はよくても見識がない。地下鉄サリンのテロでは、犯人は学力と見識の落差が大きい者の集まりという顕著な特徴があったのです。

サリンの教祖は宙を飛べ、大手新聞コラムはこう書きました。「本当に空を飛べるかはともかくとして」と。この書き方は最悪で、明確に否定せずにぼかすと、肯定と解釈するのが見識なき者の脳内処理です。大人が暗に認めたと受け取る。世間がスルーした空中浮遊術に若年層は感心し、広く人材と寄付金が集まりサリンをまく準備が整いました。

「修行の成果で宙に浮ける人がいても僕はおかしくないと思いますよ」と真剣に言う若い部外者が、当時増えていたのです。同じ流れは、元々不思議が多い芸術分野で起きやすいと考えます。本書は新聞とは逆で、「ジャンプして高速シャッター」「トランポリン」「ピアノ線で吊る」「身体の後に鉄骨」「台を画像ソフトで消去」と書く主義です。
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時代が進むほど自由が小さくなる?芸術の逆進性
2017-04-14 Fri 01:35
人がなかなか測りにくいものに、時代の自由度があります。昔にくらべ今はすっかり自由になった実感がじゃまします。難解なゴッホやピカソもすでに認められる現代は、古い時代より度量が大きいはずだと。

美術作品は年々許される範囲が拡大し、新作品もより自由になっている体感です。今の僕らは最高の物に触れるのも自由、知識もどんどん蓄積し、ほぼ全知全能を達成できている自信が、現代人の正直な文化感覚でしょう。歴史上のほぼ最上位へ到達できた僕ら、という自己採点。

「逆に僕らは不自由さ」「僕らは度量が狭く、やることも小さい」と本気で考える人はいないでしょう。そんな主張があれば、「現代人に何か恨みでもあるの?」「自虐的」と糾弾されそう。嫌われるタイプ。そんな本は出せないこと自体が時代の制約だとは、誰も気づかないという。

前に動画サイトに、古いテレビコマーシャル映像集がありました。昔は放映できて今はできない例として、殺虫剤スプレーのCMがあげられていました。当時まだ若い有名タレントたちがシューッと一吹きすると、ハエ、カ、ゴキブリが床に落ちたり、ひっくり返って死ぬ宣伝です。

今のタブーは死ぬことではなく、害虫が映ることです。虫は怖くて気持ち悪いから出しにくい。市販学習ノートで、アゲハチョウやカブトムシの表紙写真の廃止は2012年でした。昔の方がおおらかで、今の方が神経質。昔は多くが許され、今は少しが許される。昔は大胆で、今は臆病。その動く証拠として、昔のCM録画が釘を刺しています。

着目すべきはふたつ。ひとつは、前は許可で後に不許可になった表現物が多い。もうひとつは、後世の人は昔より自由なつもり。つまり、現実と意識の落差が徐々に開いています。古い漫画アニメも筋書きやセリフが引っかかり、今は発売禁止の巻があります。美術も似た傾向で、芸術を精神障害とする解釈が日本で増えたのも、許せないからでしょう。
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日本では主張は歓迎されるか敬遠されるか、さてどっち?
2017-04-02 Sun 01:57
言い出しっぺは不明ですが、次のような全国放送がありました。「日本国民は自己主張しなければと、みんなが思わされているから、みんなが疲れています」「自分は主張しなくてもいいんだと力を抜けば、楽になりますよ」と。日本国民の疲弊原因を分析した人生訓。

たぶんこのアドバイスは、前提が事実と違うでしょう。国民に期待されるあり方として、どういう強制圧力や矯正圧力や共生圧力があるかは、マスコミの論調を追っても無意味です。実社会の風向きを見ないといけません。裏の陰の圧力を見るべき。

日本で普通に暮らせば、「主張せよ」の圧力こそが風前の灯火(ともしび)であり、「主張はよせ」の方が強いのが現実です。「せよ」ではなく「よせ」。大概の企業でも、主張がひかえめなイエスマンタイプが出世し、主張するやつは早く失職する結果論が、社会人の実感でしょう。大流行中のブラックも、個人の意志を殺して成立する世界だし。

アートも然り。ネットは匿名ゆえ内容はラフになり、匿名ゆえ書く動機は正直です。美術ファンのブログは口をそろえて「主張した絵は嫌い」「目立つアートはちょっと」。無意識にカッコつけるアンケート回答とは違い、書く人のペースだから本心がありのまま。

その放送は芸能タレントが語りました。なるほど芸能界の中なら、主張のノルマもあって当然。年輩女性が突然脱ぐのも、何とか目立って返り咲くべく背中を押す業界の風でしょう。だから確かに芸人は疲れているはず。しかし日本の一般国民に、主張して開けてくる未来なんてありません。普通は、何をどう主張しても損が多い。沈黙は金。

全国のコンビニで青年が次々とアイスクリームボックスに閉じこもり、注目を集めた事件。本人は、主張して目立てという世間の圧力に屈して従ったのではないでしょう。主張せず目立つなという空気にさからい、他を出し抜こうとはね上がったと解釈する方が妥当です。就活の面接回答やリクルートファッションでも起きる、若さの葛藤です。
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現代アートの合成の誤謬
2017-03-06 Mon 02:19
テレビやラジオの評論家が時々はさむ言葉に、合成の誤謬(ごびゅう)があります。誤謬とは間違っているという意味です。合成の誤謬を簡単に言うなら、「それをみんなが言い出せばどうなる?」「全員が同時にやれば悪い結果をまねく」という意味の慣用句です。

合成の誤謬の代表例は「節約」です。一人が節約すれば、その人の暮らしは好転する場合があるでしょう。しかし全員が節約すれば、物が売れなくなって店や企業は倒産し、シャッター通りが増えます。各地の財政は傾き、国は弱体化し国際発言力も低下。節約のすすめは、不買運動を扇動するのと同じことだから。

極論に思えても、2017年の今日本で続く長い不況と、消費マインドの低下によるGDPの伸び悩みは、節約の合成の誤謬です。元の原因は賃下げ。人口の割に資源は多くない日本は、全員が無駄にあれこれ買い込み、無駄に高級品が流通して国を保てる先進文明型だからです。この型の国は意外に少ないのです。

家に、あまり使わない電気製品や台所用品やおもしろグッズがゴロゴロ多い状態で、日本全体は正常に維持できます。無駄な物を買わないシンプルライフが増えれば、国は衰えるばかりで、あげくに戦争を仕掛けられるほど非力に陥るでしょう。

合成の誤謬は、少人数がやれば正しいのに、大人数がやれば間違っている現象です。似たことが美術でも起きます。突飛で奇抜な新興作品は、マイナーなうちは芸術の創造に当たり、大勢がやるようになると非芸術的な非創造に当たるという、よく知られた現象です。流行りの作風は、創造の立場から外れるという。

たとえば「既成の概念を壊す」は、現代アートの主柱となるコンセプトです。しかし「現代アート展」の看板を出す顔役になった頃には、既成に沿った団体行動で保守側に転じています。これは後追い参入は創造性が下がる当然のロジックであり、合成の誤謬とは違うものですが。
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科学への反感はなぜ生まれやすいのか、夢占いのケース
2017-02-25 Sat 01:12
芸術と反対の分野は科学ですが、こちらも誤解や曲解にさらされます。たとえば夢。「何かが見つからなくて焦っている夢をみるのは、将来不安や自分探しの意味」などの、夢解釈や夢占いがよくありますね。二つとも人類の全員が常時必ず持っている深層心理である点、つまりフリーサイズ言葉なのは今は無視しましょう。

実際にこんな夢がありました。夢の中の自分が「鉄の爪」の話を出します。相手は目を丸くして「そんな物があるのですか」と驚く。実物を見せてやろうと引き出しを開けると、いくら探しても見つからずカッターナイフがあるだけ。仕方なしにカッターナイフを見せて、鉄の爪なる工具をどう説明するか考え始める自分(2017年2月8日の夢)。

「見つからない夢は自分探しです」と夢占い師が言っても、そうである裏づけはありません。解釈しようと思えば、「活躍できていない焦り」「準備が悪くスベッた後悔」「人間の引き出しが小さい悩み」「旧友と再会したい思い」「最愛の人との離別の予感」「武器を取れとの神のお告げ」など、様々に解釈できます。

占う側は「そんなのウソだよ、だってこうじゃん」と突っ込まれないよう、誰も証明できない領域で話を広げて破綻を防ぎます。肯定できない代わりに否定もされないように、論理の壁の向こうへ脱出してグレーに持ち込む。この反証不能な領域へ出る行動を指して、「科学ではない」「科学の態度と違う」「オカルト」と言うわけです。

だから科学を悪く言って否定する人が、世界中にたいへん多いのです。たとえば「病気が直る水」が商法違反で警告された時、「全世界の誰も一人も絶対に直らないことを、科学で証明できているのですか」と独特の理屈で反発が出てきたりします。科学は欲望や人情とぶつかるから、目のカタキにする人が絶えません。

怪現象や大規模陰謀も反証不能の領域で、「この説は完全否定できないから、真実と考えてもよい」の信念で回っています。たとえばSTAP細胞では、バイオ学会からの科学的な発言に対して、「宇宙の全てを知り尽くしていない者に何がわかる」「日本人を肯定しない者は日本人ではない」と知識人は批判し、科学への反感の輪が広がりました。
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現代アートは自由主義か排他主義か
2017-02-01 Wed 01:43
リベラルが本物なら、リベラルの否定も容認されるべき。哲学書の一節ではなく、今思いついただけです。これが自由主義の矛盾となってきます。リベラルとは寛容を意味し、本来は何でもありのこと。現代アートもリベラル主義の体現者といえるでしょう。

2015年にパリでテロ事件が起きた直後に、「表現の自由を守る」のスローガンがフランスとEU国で強く叫ばれました。しかしイスラムをからかう漫画は自由と言う一方で、キリストをからかう漫画は取り締まるべきの声に変わったり、キリスト叩きが違法の場合もあります。

表現の自由はまんべんなく許されてはおらず、「僕が許す範囲だけ」という恣意性含みの条件付きがその実体でした。ネットにも多い指摘は、「自由なら、なぜヒトラーの本はフランスで長く発禁なのか」「ナチスふうコートと帽子をコスプレ採用した日本のアニメプロモートは、なぜ中止させられるのか」。

中止は当然でしょと納得し合うのは取り引きであり、表現の自由は守られずに破られています。「この自由はマル、あの自由はバツ」と対応が分かれるなら、リベラルにあらず。高い理想を唱える人が、立場が逆になると基準を変えるパターンかも。自由主義は方便となっています。

現代アートはしばしばカタログで自由を標榜し、好きに羽ばたき奔放に飛び回っている印象があります。しかし類型化すれば、意外にフォーマットが片寄っていて、作風は全方位に広がっていないし、許容範囲は狭い。たとえば、現代アートっぽく見えない現代作品は、現代アートの仲間に入れないものですよね。「らしさ」というしるしが大事で。

「唱えた自由は守りたまえ」「守れないなら唱えるなかれ」の教訓は、原理主義の理屈としては一応成り立つでしょう。しかしそれよりも気になるのは、歴史的な作品は自由を唱えていないことです。本物の創造は自由を主張せず、早く消えるものほど主張している。それはおそらく、創造しないで芸術を名乗る自由が裏目に出ています。
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楽器のピアノに相当する画材
2017-01-29 Sun 00:22
『トルコ行進曲』といえば、モーツァルトとベートーベンがともに作曲しています。どちらもとても出来がよく、「これ聴いたことある」という人が多い曲です。

不思議な現象があって、ピアノ曲はかなり古い作曲でもモダンに聴こえます。ベートーベンでも、交響曲にくらべピアノ曲は新鮮な響きです。クラシック臭が希薄で。ゴッホより4年早く没したリストのピアノ曲も、響きが現代的です。リストの管弦楽曲は19世紀の香りなのに。

これと似た別の体験もあります。知っているポピュラーでも映画音楽でも、その曲のライブでピアノを弾いている映像。ステージ楽器で間に合わせたのかと調べてみると、スタジオ盤も元々ピアノだったという発見です。「あれは、実はピアノだったのか」。

ピアノの音はピアノらしくないのです。「ピアノだぞうジャーン」という、楽器を主張する鳴り方ではない。チェンバロが入れば古色を感じ、木琴が加わると現代を感じるのに、ピアノは時代色を出さない。幼稚園から小中高校まで必ずあるピアノは、プロの商業音楽でも絶大な効果を上げていながら、楽器の存在が透明です。

ピアノのように古色のないマテリアルを、美術用の画材で探すと、やはり絵具やペンキ類でしょうか。油絵具からアクリル絵具に交替している場合も多いのですが、絵具もまた絵具らしさをフィーチャーしません。

しかし1980年代のインスターレーション全盛の中では、絵具批判が起きました。ギャラリーを借りようにも、「今どき絵具の絵ですか」「筆描きの時代はもう終わった」と否定されたものです。あちこちのギャラリーで。しかし今、絵画おことわりが主義のアートマネージャーは珍しくなっています。
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日本と欧米の美術をくらべる意味
2017-01-08 Sun 04:14
1945年に始まる戦後の国土復旧で、進駐軍撤退後に論壇にひんぱんに登場したのが、欧米との比較文化論、日本論や日本人論でした。日本が欧米より遅れている部分は改善を求め、逆に優れている部分は胸を張り、単なる違いは理由を推測するという作業でした。

今では欧米と何かをくらべるだけで怒り出す日本人もいますが、たとえば同じ仕事の時給金額が、日本は欧米の7割以下となれば無視できない情報なはず。伏せる方が怪しい。先進7カ国会議G7メンバーだった日本は、欧米先進国と比較した研究を参考に近代化してきたのです。

美術に関して、欧米と日本をくらべて真っ先に来る話題は、欧米の美術作品を日本人が追いかける慣習です。欧米のオリジナルアイデアを日本が模倣し、欧米によく似た作品ほど国内での評価が高くなる流れです。そして洋画というカテゴリーは、今も日本美術界の最大勢力です。

欧米ふうでない独自コースで作ると、時代に合わないとみなす、いわゆるオリジナル排斥です。同様に、昔の日本には良いものがあったという論述は、上手に書かないと戦前の封建時代を賛美していると受け取られたり、国粋主義と言われることもあったのです。

日本では長く西洋寄りか日本寄りかで、許されたり許されなかったり、不規則なまだら状態でした。美術ファンですと言って、東洋美術が好きですと続けると、カルトな趣味に思われたりして。美術の西洋至上主義とその反動の跡は、今でもあちこちに残ります。

そして今、制作よりも深刻なのは鑑賞です。日本では、美術が一般社会の外側に置かれています。特殊領域。欧米では美術は一般社会の内側に置かれ、普通の市民が現代アート作品を買い、コレクションを持つことも多い違いがあります。「難しい、わからない」が合言葉なのは、日本の特異性だという。時給よりも無視できない情報です。
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スーパームーン、満月、月食がわからない場合
2016-11-18 Fri 15:08
スーパームーン""

11月14日の夜は、月と地球の距離がぐっと近づき、しかも満月でした。スーパームーンと呼ぶ、68年ぶりの大きい満月です。薄曇りの中で撮影しました。満月や名月を見て、思い出すことがあります。

中二時代に、副委員長の女子生徒が授業の直後にたずねてきました。「満月は、太陽、地球、月の順に並び、地球から月を見ると真ん丸になる。ならば暗い皆既月食になるはず。なのに明るい満月なのはなぜか」と。「あたし、どうしても絶対わからない」と言い出します。

理由は、自然現象ゆえ精度がいい加減だから。十五夜の満月とは名ばかりで、完ぺきな真円ではありません。三天体の列は完ぺきな一直線ではなく、わずかに「くの字」に折れています。珍しく一直線になった皆既月食の夜でさえ、厳密には一直線ではなくかすかに折れていて。

同じ皆既月食でも、地球の影が余裕で月を隠せた場合と、かろうじて隠しきれた場合があります。月全体を隠しきる瞬間がないほど一直線からずれた夜は部分月食に格落ちし、もっとずれると単なる満月にとどまるわけです。地球の影が月にかすりもしない、ニアミスの夜が満月です。より完ぺきな満月は、地球の影に入り込んで月食になる。

しかし中二の当時、彼女を理解させる説明はできずじまいでした。先生も教科書もそこまで突っ込んだ話はしないから、彼女はわからないままでした。この時、あることに気づいたのです。何かが全然わからない人は、全くの白紙ではないことに。

彼女の場合、「満月は真ん丸」という基礎知識がじゃましていました。程度の問題が欠落したまま、固い先入観が形成されていて。全然何も知らないより半分知っている方が、理解が遠のく例です。わからないと言う人がわかる人に変わるには、障壁になっている先入観を見つけることが必要なのでしょう。本書でも応用しました。
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日本人形の髪が伸び、夜に涙を流す怪談シリーズ
2016-11-03 Thu 00:54
関西の外資系テーマパークで、日本人形がお化け屋敷のホラー小物に使われ、苦情が出た不思議な事件です。家庭で不要になった日本人形を供養するために、奉納を受ける神社があるそうな。その神社が、テーマパークに日本人形を大量に貸したのが発端とされます。

この事件で初めて知ったのは、テレビスペシャル特集番組で日本人形が怪談に使われるたびに、人形を製造する業界人たちが業を煮やしていた事実です。前は聞いたことがなかった話。

1970年代から、日本人形の髪が伸びたり、涙を流した証言を再現する怪談番組が高い視聴率を誇りました。その陰で人形が嫌悪の対象になって、売れゆき不振になっていたそうです。テレビによる風評被害。たとえるなら、テレビで「わけわからん」「難しい」と言われるたびに、落ちていく現代美術みたいに。

70年代は、手品師ユリ・ゲラーを超能力者へ格上げしたテレビ局が、国民から信頼された時代でした。当時は心霊現象の謎解きはKYどころかタブーで、立ちはだかってじゃまする科学者をかわして真実を伝えるテレビの力強さに、国民が拍手喝采した時代。漫画『うしろの百太郎』『恐怖新聞』の時代。映画は『エクソシスト』や『ヘルハウス』。

古い日本人形の髪をクシでとかすと、中折りされた人毛やナイロン線がずれて、長短ふぞろいにばらつきます。郷土玩具にも同じ仕様があります。そんな構造だとは所有して初めて知るから、そこを突いた都市伝説でした。無駄に首をかしげる迷信は、真相を知らない人が支えるという一例といえるでしょう。

現代美術もまた、「難しい、わからない、ちょっと」を卒業する早道は作品実物の所有で、現に欧米はそうなっています。日本のように、わからんわからんと無駄に首をかしげません。日本人形も現代美術も、遠くから見るだけの人が迷信の中にこもってしまう傾向はあるでしょう。
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ボブ・ディランのノーベル文学賞vsコメントの芸術度
2016-10-26 Wed 00:28
フォークシンガーのボブ・ディランがノーベル文学賞に選ばれ、世界中から賛否コメントが出されました。平和賞がコロンビア国大統領で先決だからとか。世間に飛び交うコメントにも、芸術度は表れます。

芸術は普通、高く遠い印象が誰にもあるでしょう。国宝にもなるぐらいだし。でも、こっけい話の桂米朝みたいな国宝もいます。何か言うだけでも芸術性は出るのです。次のコメントが日本に多くみられました。

(1)ノーベル財団が悪い。応募してもいない人に一方的に賞を与えるなんて。(2)ボブ・ディランが悪い。世界最高の賞を相手にしないなんて。(3)どっちもどっち。一方的なノーベル財団も、一言もないボブ・ディランも。

(3)が最も穏健です。そして、最も芸術を感じない言い方に思えませんか。一番つまんない。火消しして刺激を減らし、事件性を薄めた毒にも薬にもならない発言。話は止まって解散するだけ。

美を愛でる趣味や絵心は、芸術と直接は関係がありません。絵画でなく落語であってもかまわないわけですから。歴史が証言する芸術は、人間のあらゆる表現に現れてくる裂け目の妙です。裂け目です。芸術は必ず穏健から遠い。腑に落ちる収まりは、芸術とは逆。

火消しして刺激を減らし、事件性を薄めた毒にも薬にもならない絵画があれば、それを人類が芸術創造として歴史に残すわけはありません。こうした基本を押さえずに現代美術を好きになろうとしても、芸術との関係は得られないのです。
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黒石よされ写真コンテスト市長賞の内定取り消し、権威か能力か
2016-10-25 Tue 00:19
最初にニュース記事を見た時、少女が写った写真が受賞して広く顔が知られ、有名になって周囲から迫害されたのかと思いました。そうではなく、迫害は以前からだそう。

夏祭りの舞踊を演じる少女をたまたま撮った人がいた。撮影者はその写真をコンテストに応募した。受賞が内定して撮影者と少女家族に知らされた。が、知らせの49日前に少女は自殺していた。それを知った市長が内定を取り消した順序だそうです。公表された取り消し理由は「亡くなった人が被写体では賞にふさわしくない」。

死後も迫害が続くよくある法則みたいですが、賞を出す側もプレッシャーと緊張で狼狽していました。賞には思惑や情実が混じるもので、圧力や鶴の一声でも裏返ります。もし「難しい、わからない、ちょっと」という人が関係するなら、いっそう簡単にぶれるでしょう。

賞を取り消したのも、取り消しを撤回したのも、穏便を優先するリーダーの苦心でした。しかしそれとは別に悲哀を強めた隠れ要因は、上が下に与える賞が価値を支配する問題です。支配されている感覚は市民には希薄ですが、コンテスト、コンクール、コンペ、制作競技の問題をここでちょっと。

たとえばゴッホは絵を何度も応募しましたが、生涯に全部が落選しました。欧米国はそこは少なくとも学習して、公募コンテストはやめて別の方式が主流です。日本のアート界は権威主義のままで、欧米は能力主義に変わっている違いが、日本では知られていないのです。

欧米の主流は、誰でも出品できる美術マーケットです。そして、欧州マーケットに出すルートはこちらにもありますが、あの少女の写真は実は出品できません。その話はまた今度にします。
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バチスカーフとアポロはなぜ定期便や駐在基地がないか
2016-10-15 Sat 00:35
世の中には、説明が難しいものがあります。人を説得するのに話が長くなったり、報告書を何ページも書いて、方程式の答がバラバラと、最後に一気に解けるような難題さえあるし。

昔それを感じたのは、PTAの誰かが問題提起した、少年向け5段変速機つき26インチ型スポーツ自転車でした。時速20キロの自転車は、一番速い5段目のギアで変速すれば100キロ出そうだ。そんな危険な自転車は、校区で禁止すべきと訴えがあったのです。

車の免許を持つ当時の男性には笑い話ですが、さて、その理解で固まった人に簡単に説明するのは難しいのです。結局、5段変速が安全か危険かを誰もわかりやすく説明できず、各家庭にまかせるウヤムヤに流れて終わりました。

さっと説明しにくい例は、清掃直前の床にゴミをわざと捨てたり、売春が許されない理由も。科学分野ならバチスカーフとアポロはなぜ定期便や駐在基地がないかとか、最近ではコンビニの冷凍庫に人が入っちゃだめな理由もその類かも。正論のあげ足をとって、シンプルな抗弁で立てこもるのがたやすいこともあります。

5倍で100キロと受け取る自由さは、美術も同じです。「芸術とは何か」も含めて、アートは見たいように見て感じたいように感じてよいという時代の要請があります。ネットの美術マスターたちが出すアドバイス「自由に好きに見よ」は、現に広く実行されています。

その結果、難しい、わからない、ちょっと、がすっかり増えています。「好きに自由に」の結果が、市場崩壊と国勢文化力減退となれば。各家庭にまかせるウヤムヤも、ちょっとなあと感じます。
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日本にノーベル賞を受賞した女性がいない理由
2016-10-14 Fri 00:29
日本でノーベル賞を受けた人は、全員が男性です。あるコメンテーターは、この片寄りが起きている最大の理由として、大学の理科系に占める女性の割合が小さい、つまり理系の女子大生、いわゆるリケジョが少ないことを長文で書いていました。

その結論に素直に納得する人も多いと思いますが、「ん?、んん?」と感じる人もいませんか。たぶん多いはず。だいたいはわかるが、何か的を射ていない、確かにそんな気は一応するけれど、なんか違うぞと。

その手の話の回し方は、政治、経済、社会の分析でもよく見かけます。やはりロジックが変なのです。理系へ進学する女性が少ない現象と、ノーベル物理学賞の女性がいない現象は、同じ現象だからです。同じ現象の一面と別面を、理由と結果に分けても無意味です。

川があふれて洪水が起きた最大の理由は、流域の水位が異常に上がったことだと説明するようなものです。こうした、分析になっていない奇妙な分析論は、アートでもたいへん多いのです。「ん?何か違うぞ」という美術話が、国民の前に山積みな現実があります。

ノーベル賞には、理科系だけでなく文科系もありますよね。女子大生も多い学部学科で、ノーベル文学賞、経済学賞、平和賞に日本の女性が輝いてもかまわないわけで。

コラムは本一冊書くよりも精度が下がるとしても、的を外して単語の雰囲気で空納得するオピニオンの氾濫は、国民への好ましくない教育効果になるでしょう。美術論に多いトートロジー(同意語の重複)的な話術など、説明する先生が混乱を増やしている面があるのです。
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アートの正論にも間違いとウソが多いのはご愛敬?
2016-10-05 Wed 00:24
正論の失墜がよく起きています。大勢がそのつもりだった話が、「実は間違っていました」「ウソでした」とひっくり返る展開です。本もたくさん出て、国会でも満場一致の賛同。なのに虚偽だった。一例は、日本国民の借金1000兆円という暗く絶望的な未来です。

1人当たり800万なら5人で4000万、うちにはとうてい返せないと、日本国民は恐怖しました。将来が不安でさらに節約すると、不況も悪化しまくり。しかし実は1000兆円は外国から借りてはおらず、いわば自己資金が正体の政府負債だから、日本は終わったと悲観する必要はなかったのです。自分に返さなくても国は倒れず、誰にも叱られず。

専門的な情報が出回ると、庶民は染まる以外に選べないものです。それどころか、大勢の専門家も長年やられていました。政界リーダーも一流評論家も。日本が倒れたのは借金ではなく、このウソでした。そして、数字が出る経済分野とは逆に、数字が出ないアートの分野でも、「実は間違っていました」「ウソでした」となる情報は多いのです。

アートでウソっぱちのガセといえば、極端なのは作品本体の贋作です。名作が後世に偽造され、美術館が巨額で買い、お客が感動し涙する残酷な現象です。この世界、作品も解説もまゆつばの正論とその引用や複写物に満ちて、ほとんど信仰の世界になっている面があります。

「難しい」「わからない」「ちょっと」に限らず「努力すればわかる」も、1000兆円の借金話と似てため息に終わる場合がありそうです。特別に努力しないとわからないなんて、ちょっと!。「日本国民の借金は世界最大の1000兆円(キリッ)」。ワンセンテンス、一文や三行で理解するイージーアンサーには、引っかけが多いのです。

今欲しいのは、美術を理解する説明ではなく、理解できない理由の説明です。日本は頭脳的な解決が速いので、からまった糸をほどくのが先決と考えました。脳内がからまった状態で覚えごとを増やす詰め込み主義は、非効率だと考えました。
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