白人が和服を着た写真が、日本を差別した事件になった理由
2017-09-17 Sun 00:23
前はヴォーグ誌の表紙で、和服のモデル嬢が日本人差別だとして、アメリカ国内で糾弾されました。最近は誕生祝いで、日本の舞子さんに似たコスチュームの子どもが、同様にアメリカで糾弾されて、また日本人差別が理由。日本ではさっぱり理解できない事件でした。

いずれも、差別の文脈だと理解が難しく、著作権の文脈だと簡単です。唯一の超大国アメリカには、少数民族の伝統文化や風俗を模倣して消費するどん欲さがあります。我がもの顔で振る舞うコマーシャリズムとジャーナリズムの国民動員力は世界最大。

たとえばグァテマラなどの意匠を、欧米ファッションに利用する流行は昔からありました。しかし使われたマイナー民族側から、何度か苦情もあったのです。「我々の伝統文化を手軽に使い捨てされては困る」と。意匠権、著作権、専売特許と似た問題です。

アメリカ側は反省し、マイナー文化を白人がパクッて利益にするのはやめようと決めました。マイノリティーの異文化をヒョイと借りる気持ちに、マイナー軽視の差別意識があるのだという理屈で。白人が和服を着て表紙に写れば、日本国を軽視したとみなすアメリカ流の解釈です。

ではなぜ日本側は差別されたと感じないのか。日本で言う差別と意味が違うからでしょう。他文化を愛でると差別だと、その視点は日本になかった。模倣が侵害になるかが、国の強弱で動く発想がなく。

もっとも、和服の起源は古墳時代より新しく、唐時代に伝わった呉服が起源とされるし。アメリカ起源のTシャツ並みにすでにポピュラーで、保護を要するほど和装はマイナーでもないし。伝統保護の意識が国内に強くないし、縮小している国内市場もあるし。つまり日本からすると、和服はもう一般化済みの感覚でしょう。
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東京のコミックマーケットの根本問題はひとつ
2017-08-27 Sun 00:35
固有名詞で『コミケ』と略したコミックマーケットは、42年も前の昭和に始まった漫画同人オタクの祭典です。その2年前に『宇宙戦艦ヤマト』のテレビアニメが放映された気運によるもの。大学の漫画研究サークルやアニメ同好会が集まった、作品発表展示即売会です。

そこに出てくる短編漫画雑誌や劇画イラスト、コスプレは、海外の日本祭でも花形になっています。ジャパン・エキスポ、ジャパン・フェスティバル、ジャパン・デーなど各国の日本特集イベントをも牽引する、コミック系サブカルイメージ。現代日本の顔というもの。それが日本では問題に直面しています。

本家日本のコミックマーケット最大の問題は、会場の狭さです。有志グループに、企業出展が加わるとパンク状態。東京ビッグサイトは世界的にも巨大な催し物会場かと、多くが思われるでしょう。自動車ショーの規模だし、世界を驚かすデカさだと。それが全然違うのです。

世界一大きい催し物会場は、ドイツのハノーヴァー市にあるメッセで、床面積が47万平方メートルです。東京ビッグサイトはその6分の1程度の、8万平方メートル。ならばその東京ビッグサイトは世界で2番かといえば、68番だそうです(2012年資料)。

気づかない国民も多いこの貧弱は、2013年の国会で問題になりました(順位は当時の公開資料)。なぜ日本は国際イベント会場が貧弱かといえば、やはり東京一極集中でしょう。名古屋に土地があっても、東京以外に選べない条件で、土地不足にやられるしペイもしない。

しかしこの4年間にこの話題は消えており、原因は日本がデフレ不況の貧困から脱し損ねた4年だったから。国全体の気分が落ちた倹約ムードが延長され、文化活動も落ち続けました。日本で見本市の気分が失せた一例が先年の自動車ショー中止で、香港だかに流れた記憶が。コミケは逆で、入りきる器が国内にない希望ある困惑。
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海外へ逃げていく日本美術の今昔
2017-06-07 Wed 01:05
「日本では現代美術に関心が低い」と言うと、すぐに反論が出るでしょう。「現代アートフェスティバルは大入りだぞ」「テレビや新聞で話題だぞ」と。しかしそれは一般化ではなく特殊化です。交流パーティーや飲み会とバーベキューにプラス、都市の喧噪からの一時脱出。日常的に現代アート作品を買い、家に飾る欧米との差は開いています。

一般化したアート市場がないから、美術作品は外国へ脱出しています。実は今は、海外進出志望者が日本に増えていて、しかし思うように出られません。脱出資金がつくれない、国内不況問題があるから。台所事情で、美術からフェイドアウトする美術家がむしろ増えている危機。

昔に目を向けます。その技法をマネやゴッホが学び、印象派が生まれるきっかけになったと虚偽通説があるほど誇らしい日本の浮世絵。筆描きと木版画があり内容もピンキリで、明治の浮世絵は今でも日本の美術館に箱いっぱい保管され、大量在庫があります。

一方で、記念切手の図柄に見るような、写楽、歌麿、北斎、広重などの名作もあります。それらにも版画タイプは多く、原版の版木がどこかにあるはず。版木は「打ち出の小槌」でもあり、たいへん貴重な文化財ですが、それら名作の版木は誰が持っているのでしょうか。

実はアメリカにあったりします。明治の日本で浮世絵は無価値で、どうでもよかった。西洋の写実画より稚拙で粗末な、ガッカリ絵画でした。そのすきを突いて、欧米から来日中のエンジニアや学者が「コノエハグッド」と集めて、本国へ持ち帰りました。決定的な国宝級の版木を、アメリカの美術館が所蔵しているのはそのためです。

エジプトやギリシャや中国の美術品もまた、イギリスやアメリカに収蔵されています。ただ、日本は文明の勢いを持ちながらも、文明開化で洋ものに入れ込み、自国の絵に関心が低かったのです。明治に逃げて行った分と、戦後の名家没落による物納の流出分が主だとされます。
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日本庭園を抽象絵画に変えるセンス
2017-05-17 Wed 00:09
「抽象絵画はちょっと」と敬遠する日本人も、旅先で日本庭園を目にすると普通に「いいね」「美しい」と感じることでしょう。実物ではない写真だとしても。その日本庭園の造園レイアウトとは別に、それを絵のように見せるビジュアルの工夫が、実は抽象絵画に似ています。

外国の人が驚く日本庭園の見せ方に、旅館やホテルの和室2階に大きくガラス窓をとった借景があります。窓から何メートルか離れた向こうに広葉樹が並び、枝葉を横から眺めます。立面図のように、水平方向の視線で見る仕組みです。庭園の色彩を、室内から絵画的に見せます。

夏には鮮やかな緑色で一面の壁、秋には赤と黄色で一面の壁。樹種により、緑の壁に赤がポツンとあったり、葉のすき間が黒いとか、赤と黄色の壁に白が点々と混じっていたり。

絵のような光景ですが、その絵とは洋画であれ日本画であれ、抽象画の体裁です。色を塗り分けたような構図。窓枠は額縁となり、窓の区切りは屏風の継ぎ目のよう。地面はトリミングされて見えないレイアウト。その絵のような美しさの正体は、抽象絵画の構成美でした。

美術と銘打たない分野では、日本でも大昔から抽象画的なイメージが得意でした。抽象図の美観が、和の伝統として一般化しています。錦鯉の模様の感覚。欧米で20世紀に抽象画が生まれ、ショックで動転したり賛否の騒動が尾を引いたのとは違い、日本ではよくあるし普通。

ところがその日本で本物の抽象絵画に対しては、「抽象はちょっと」となりやすい問題です。美術と銘打った時の条件反射なのか。著者が思ったのは、明治以降に流布した情報が発端で、社会教育効果によって苦手意識が国民に広まった疑いです。最近その線で一話ができました。
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日本は流れをひっくり返すことができる珍しい国
2017-05-08 Mon 00:19
日本に、昔から続いてきたがんこな常識があります。変革なんてとうてい無理そうで、今後も永遠に続くからと、あきらめの声が多いもの。しかし、後年にひっくり返ったものがあります。今とは逆だった当時を、今は想像しにくくなった例を二つあげます。

ひとつは洋式トイレです。1960年代に洋式トイレが広まり始めた最大の理由は、市営や県営などのコンクリート造4、5階アパート、いわゆる公営団地で採用したからです。床を大きくくり抜いたり二重にする作業が不要で、施工コストが安いから。

当時の一戸建てや木賃アパートは、ほぼ全てが和式トイレでした。洋式なんてわけわからん、どう使うかもわからんし、嫌だから使いませんと言う人がたいへん多かったのです。誰も彼もが、敬遠して避けた過去。40年過ぎた21世紀に、完全に逆転しています。和式こそ嫌だと。

もうひとつはAT車です。1970年代からのマイカーブームと免許取得ブームの頃、日本はMT車が9割ほどで、アメリカはAT車が8割ほどでした。自動車評論家たちは、日本はMTばかりでアメリカはATばかりだと指摘し、両極端に分かれた二国は異常だと論じました。

今の日本は世界一のAT国になっていて、新型の小型乗用車の95から98パーセントがATだそうです。「ミッション」も「ノークラ」も死語。世界で日本だけがあまりに極端にひっくり返って、一色に染まって怖いほど。ドイツのAT車はまだ3割だそうで、フランスもそのあたりで、アメリカはやはり8割あたり。日本だけが極端すぎ。

「芸術は難しい、現代美術はわからない、抽象はちょっと」と固定している芸術観も、将来ひっくり返るかも知れません。美術留学なら日本へ行くべきだと、欧米の常識になったりして。思い出したら、フィギュアスケート男子も過去と正反対です。今は国際競技で優勝争いの連続で、隔世の感あり。逆転するまでの年月が短いのも日本らしさでしょう。
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日本のサブカルイラスト対ピュアアート
2017-04-23 Sun 01:45
日本現代創作表現を海外からみると、サブカルチャーのイメージが強くなっています。中でも漫画コミックと漫画アニメが筆頭で、1963年の『鉄腕アトム』(アストロボーイ)以降のアニメ作品群が世界各国で放映されたので、今も海外にオールドファンの基盤ができています。

パリの「ジャパン・エキスポ」や各国の「ジャパン・フェスティバル」「ジャパン何とか」など日本物産見本市でも、サブカル商品が関心を先導するかたちです。サブカル系のキャラをデザインした雑貨が、茶道、華道、書道などの伝統系と対比的に会場を飾って活躍しています。新旧伝統のうち「新」がサブカル。

では美術系のピュアアートはといえば、流れに出遅れました。長く純粋美術は、パリとNY以外の外国にはそれほど出て行かなかったのです。しかし、東日本大震災をきっかけに外国側も思い出したように、日本のコンテンポラリーアートに関心を寄せています。何回目かの波が今また来ています。

ところで近年の日本の若い画家は、人物画を洋画の伝統的なデッサン調ではなく、サブカルイラスト寄りに描くことが多いようです。イラストレーション出身による具象画は、写実主義や印象派ふうではなく、漫画的な絵に近くなっていて、それが外国では好評です。

従来、日本国内で美術らしく見える絵は洋画でした。が、洋風だから欧米人の関心は下がります。そこがイラスト寄りの絵ならば日本画っぽく見えるからか、欧米コレクターの関心も高めです。くだけた親近感だけでなく、和風テイストも出やすいから、外国の目には新鮮です。

アニメ画と浮世絵の近似性は、過去にも指摘されていたことでしょう。日本画は元々写真的ではなく、イラスト的でした。著者が企画する展示会でも、日本画を原画として刷った版画は、外国で通りがよいのは確かです。商業イラストとは異なる画調なので、別のファンがいます。
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楽焼き茶碗は日本式のピカソ
2017-03-24 Fri 01:06
『曜変天目茶碗』をきっかけに、陶芸分野への不信感や、骨董趣味への嫌悪がネットに噴出しました。前に触れた話は現代アートが同人オタク化し、国民に新興宗教的に映る懸念でした。その手の信仰世界を陶芸に感じる人が多いことが、今回ある程度わかりました。

陶芸への不信は、違いのない作品に大きい価格差がついたり、見た目と逆転している場合に高まるでしょう。そういえば落語に、庶民と目利きの価値意識がすれ違うネタがありました。粗末な器がとんでもなく高価だったりして、庶民は価値の不透明やインチキさえ感じるわけです。

陶芸でインチキ呼ばわりされる筆頭は『楽焼き』です。ろくろを使わない手製の茶碗で、多くは形がゆがんでいます。真円でなく、ふちが同一面になく。全体が傾いたり、部分的にふくれたりくぼんだり。本体の亀裂や、釉薬にも厚みのムラやひび割れが入って。普通なら失敗作です。『楽焼き茶碗』の骨董趣味をからかう声は、今回も出てきました。

楽焼きは意味がわからないと外国からも言われており、良く受け取ってもまるでピカソの絵みたい。実はあの歪んだ茶碗は、日本の伝統的な美意識どおりです。不均等と非対称。自然で素朴な滅びの美学。要するに無為自然とわびさびの表現であり、茶道の精神に沿っています。

日本の庭園も楽焼きに似ています。枝葉を整然と刈り込まず、伸びるにまかせつつ微調整する。人が支配した幾何学ではなく、さりげない不定形。人工くささを消した自然志向です。富士山にも似た感覚。楽焼きの逸品は、幾多のいびつな茶碗たちが長い目で見くらべられ、勝ち抜きで選ばれたバランスのとれた品です。楽焼きは陶芸界のピカソ。

疑惑になる「家元」「情実」「箱書」は陶芸だけの問題ではなく、日本の伝統とはまた別でしょう。たとえば歌謡曲やアメリカ映画も似た裏事情は言われるもので、しかし庶民は全否定まではやらず、気を取り直して各自の価値で鑑賞するものです。ピカソはわからないと言いながら、わからない楽焼きで張り合う日本文化。その不思議に注目できます。
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脳科学からみた日本のサッカーとアート
2017-03-12 Sun 01:50
20世紀の終盤によく言われたのは、「21世紀は脳の時代になる」でした。機械工学と電子工学に続き、AI、人工知能が主役となる予想。並行して、人の脳のはたらきも本格的に解明する時代。脳医学や脳神経医学より、さらにソフト面を研究する脳科学もそれです。

脳科学者の中野信子の指摘はたいへん興味深く、日本男子のサッカーが国際試合で勝てない理由は遺伝子だそうです。日本人はDNAのレベルで、失敗を減らすために冒険を避ける設計になっていて、ここぞという打開場面で脳がチャレンジを選びにくい宿命だという指摘です。

そこまでなら、ワールドカップの試合を見ればわかります。冒険のチャンスで、冒険を回避する選手たちの挙動が目に入ります。しかし中野の指摘は、日本選手に「チャレンジせよ」と強いても逆効果だというのです。「攻撃的なサッカー」は成果が逆に悪化すると。無駄になる努力であり、非効率な教えだと。

連想したのは、日本の絵画の傾向です。作る画家も見る観客も、売る画商も購入客も、冒険的な絵画よりも、安息的な絵画を愛する実態です。奮起系は低い評価で、いやし系が高い評価。チャレンジ絵画がマイナーに追いやられる国内と、メジャーとして君臨できる国外とで、芸術の価値が逆転している内外差です。

サッカーの「芸術的なシュート」は、攻撃的プレーです。堅実なプレーとは違う。芸術的プレーの選手は、場で浮いて突出します。その成果にあこがれる日本選手も、浮く行動にはやっぱり慎重で。同様に国産現代アートも、浮いた突出は意外になくて、時流トレンドに沿って団体行動している面が強いのです。ほどよく騒ぎ合う印象。

仮にサッカーとアートが共通するなら、「もっと創造的に個性的に」のアドバイスは合わないのかも知れません。アートは国際戦をあまりやらないから、芸術の意味を変更して遺伝子の差を吸収はできます。しかし内外差が二重基準となり、何を指して芸術なのかに見当がつかない人が増える構造ができます。
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日本人の物づくり哲学とは
2017-02-13 Mon 01:35
日本の文明と文化を他国とくらべ、ほめそやす話題が何年も前から増えました。新幹線がすごいとか、コンビニのパンが最高だとか。テレビのコメンテーターは、これらは日本人が閉鎖的なナショナリズムに向かう悪い兆候だと警告しました。一方ネットでよく言われるのは、自虐史観の反動で起きた日本ヨイショだと。

素直に考えれば、不景気の日本を応援しただけのような。「景気は気」という群集心理を打開しようと、明るい話題になる日本の美点を並べてみたのでしょう。不景気は賃下げで冷えた気持ちが最大原因だし、日本は内需主導型の国だし。失われた20年の平成大不況を、話題から外して解説する評論家が多いのがむしろ問題です。

その新幹線もパンも、日本人が作る物にはある哲学が加わります。お金より大事とする理想追求です。使役で新幹線を設計し、ノルマでパンを製造するのとは少し違って、何ごとも職人ふうに。採算を考慮しながらも、より良い物をつくろうと自動的に向かう趣味みたいなもの。

富を追って、仕事を足場や踏み台に利用して上に出ようとする人生は、日本人には希薄です。ごく普通の人も仕事の中で理想を追い求め、没頭していく傾向がみられます。おそらく江戸時代からそうで、自然風土にも合った国民性でしょう。

「うどんにノーベル賞はないのでしょうか」というCMが昔ありましたが、お笑いギャグには思えません。オーバースペックが彼岸にある前提があるのです。割り切りや妥協で使い捨てて利益優先のグローバリストとは、逆の価値観でしょう。新幹線もパンも、パンを入れる袋も良くしようと。凡を安く売り抜けるのは苦手で。

身近なものを優れものに作るから、外国の人は日本に行き届いた製品が多いと感じるのでしょう。世界の上限がたくさん見つかる日本の日常。ならば身近ではない美術は世界の上限なのか、日本全体から隠れた新興の芸術作品を探しているところです。歴史名作の探訪よりも、明日生まれる新作に期待しています。
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芸術をほめる言葉が貧困になっている文学界
2017-02-07 Tue 01:39
「素晴らしい」「感動した」と作品をたたえ、感慨の大きさで芸術性の大きさを裏づける場面がよくあります。「絵の高い芸術性を見届けた」体験をわかりやすく表現するために、アートファンはしばしば自身の心の高まりを強調します。でも、そうした言い方は無意味なんですよ。

たとえば振り込め詐欺の犯人グループは、高齢者から巧みに300万円をだまし取るのに成功したら、「素晴らしい」「感動した」と言い合ってわくかも知れません。こぼれる笑顔でガッツポーズ。人の心に生じるナイスな気分、共感と高揚で心にぐっときたとしても、創造性の証明にはならないでしょう。善行か悪行かさえ、どっちもいえるわけで。

それらはフリーサイズの言葉であり、具体性もない。「すごかった」と言っているだけで、何がどうすごいかは空白。ショックの規模をもって「この作品は究極の芸術作品である」「人類の至高の創造とわかった」と、実証できたみたいに語られては、ちょっとまあ困ったものです。

美術作品をほめる言葉は、芸術体験の広さ深さの反映と考えられます。よく絵画展の直後にお客に聞くと、「暗いですね」「明るいですね」だけだったりして。抽象画では「色がきれいでした」。現代美術特集では「作品が大きくて驚きました」。

「ピカソはすごいですよね、ピカソのデッサン画は本当にきちっとしています」という称賛もアレです。「僕はピカソの抽象絵画がわかりません」「ゲルニカの国際評価はピンときません」のカミングアウトになっていますよね。無理にほめようとせず、正直にけなしてもよいのでしょう。流行語大賞にならって「わけがわからん抽象は死ね」と。

ほめ言葉の貧困は、日本でアートが特殊領域に隔離され、毎日の暮らしの中にないことに起因するでしょう。日本国民はアートと疎遠だから、言葉が出てきにくい。美術を語る言葉が発達していないのです。これは文学界でもいえます。小説家やエッセイストまでが美術の芸術性をほとんど語れていないのは、ちょっとまあ困ったものです。
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日本の浮世絵は欧米で理解されているのか
2017-01-11 Wed 02:07
日本が誇る浮世絵の話題には虚実も多く、ヨーロッパ印象派の画家たちが浮世絵に影響を受けたという話は、ほぼウソといえます。印象派たちが愛好したのは、浮世絵に描かれていたエキゾティシズム、すなわち異国情緒あふれる物品でした。モチーフとも言います。

具体的には扇子や急須、湯のみ茶碗、すだれなどのアイテム。女人画では、まげとかんざし、和服姿、はきものなど。彼らにおおっと思わせたのは、画風ではなく畳や下駄でした。それを印象派の絵画内に描いただけです。浮世絵の技法的な面は無視されています。

完全無視の例がゴッホで、彼はおいらんの絵を浮世絵の技法ではなく、印象派の点描画タッチで描いています。日本に点描画の浮世絵はなく、面相筆で線を引いた水彩日本画か、量産向けの木版画です。

ゴッホの『おいらん』は、ギトギトのオイリーでケバケバのメタル調、浮世絵の影響なしどころか正反対です。「浮世絵は印象派に影響を与えた」の内訳は、料理でいえばそばを煮込んだクリームシチューです。トッピングの採用にすぎず、そばらしい風味は現地で引用されずじまい。かけそばも、つけそばも、学んだ形跡なし。

印象派のアイデアは19世紀科学の応用で、日光の白色が虹色に分かれるプリズムの発見とされます。キャンバスに物の色を直接塗らずに、原色の点々を敷き詰めてやれば、離れて見ると写実的に見えるデジタル画のはしりといえます。ルノワールも離れるとなめらかに見えるタイプ。日本の浮世絵は、プリズムや虹色のデジタルと関係ありません。

それなら浮世絵の価値はどこへ消えたのかといえば、今もヨーロッパにとって理解の壁になっているとわかります。面を塗らず線主体で表現する絵は、欧米の人には難しいようです。書道の伝統がある日本では線の使い方が飛躍していて、水墨画がひとつの成果になっています。
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芸術の奇才や異才を求めないのは、本当に嫉妬心なのか
2016-11-04 Fri 00:33
日本の各分野で、奇才や異才を求める空気は希薄と言われてきました。創造的才覚に冷淡で、足の引き合いばかりしているという怒りの意見がネットでもよくあがります。他人の才能を活用せず消し去る国民性などと、内部告発的な声がとても多いのです。

その声が一気に噴出したのが、STAP細胞の余波部分でした。研究所内で部下の才に嫉妬した上司たちが論文を辞退した「ストップザ天才」説が、一時は国内ネットで強く支持されました。今も著名人のブログに残ります。中高年による若者つぶしの陰謀説に、日本全国から「納得」「騒ぎの全体が理解できた」の反応がどっと集まったのです。

各国の科学者が当該論文を精査し、不審カ所が多すぎて驚かれている件は専門職にまかせるとして。そんな才能嫉妬説も一般化すると、意外な落とし穴があります。奇才や異才がわからなければ、スルーして当然だからです。才を判別できない人は、才に加勢しないのが普通です。

その証拠は美術にはあります。一般人があげる優れたコンテンポラリーアートは、名前を見聞きした頻度のとおりです。耳にできたタコが大きい名前を、大芸術家と認識します。これは単純にアナウンス効果にすぎず、苦手なジャンルゆえ自主判断できない現象でしょう。マイナーなマイフェイバリット美術家を、誰も口にしないのも同じことでしょう。

光ファイバーは日本人の考案なのに、日本で引きはなく結局アメリカに買われました。それは日本人が日本人の発明に悪感情を持ったのではなく、光通信の実現性や効力がわからなかったからでしょう。

自力で価値の違いがわかることは、思ったより大事です。それこそが貴重な才覚でしょう。だからここでも、美術品の良さを覚える勉強を全くすすめません。それよりも、ある作品と似た作品があって、その違いをわからなくする障害物はこれだと、示す方が早いと考えています。
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音楽では一転して芸術マニアな日本人
2016-11-01 Tue 00:17
「美術は難しい、わからない、ちょっと」は、日本の民族的な限界ではなさそうです。積年の負の遺産のかたちで、情報戦のレベルで集団迷走中と考えられ、その根拠に音楽産業との比較があります。

世界の音楽産業では、日本は最重要国になっています。それもかなり古くから。音楽ソフトの売り上げが世界2位につけているだけでなく、変わった曲も追いかける柔軟性や、細部まで聴き込む鑑賞態度が、海外の音楽家に目立った影響を与えてきました。

欧米で売れず日本だけで買われ、大物になれたジャズ系、ロック系ミュージシャンとか。本国で聞き流されていたテクニシャンが、日本人の傾聴ぶりに感化され腕を磨き直したとか。クラシックのマエストロも、日本想定の新解釈を練ってくるとか。日本を第二の故郷と呼ぶ海外音楽人も目立ちます。

どんなレアなアルバムも一度は日本盤が出ると知って、アメリカのミュージシャンがソフト買い出しで来日するケースも話題でした。東京のCD店から直接段ボール箱をいくつも、遠い国の自宅へ郵送したという。アメリカよりも日本に何でもあるから。

情報発信はともかく、情報受信では日本は音楽作品が売れる国です。広く深い関心は音楽で起き、美術では起きず。国内でよく言われた「音が苦」は実は深刻でなく、「美が苦」の方が何倍も深刻だったのです。

「音楽より美術の方がわかりにくいものさ」というジャンル特性の差があるにしても、欧米では庶民が音楽ソフトと同然に美術作品を購入し、アートが一般化しています。だから日本の現代作品も欧米へ持って行くと売れる。日本の美術界と何が違うのか、注目もできるでしょう。
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東日本大震災以降に日本のアートが欧米で注目されていて
2016-10-31 Mon 00:16
最近の欧米国で日本の現代アートの需要が高まっていることは、あまり知られていないようです。絵画や彫刻、書や写真もです。傾向はもっと前からあったのですが、ブレイクさせたのは東日本大震災でした。

東日本大震災の津波と原子力発電所の惨事で、日本を支援する輪がヨーロッパ国に広がり、文化交流活動が続いています。サブカル系とアート系とも出番が増えました。日本の特にコンテンポラリーが。

日本の美術求むという潮目となり、この何年かで欧米の作品展に参加したり、実際に外国へ住んでみる日本人美術家も増えました。

ところが今も、日本は24年にも及ぶ不況の渦中です。地震前に世界が日本へ期待したことは、バブル後の経済立て直しでした。ジャパンマネーで世界が安定するという期待です。すべての先進国がGDPが何倍にもなる中、日本だけが慢性不況で横ばいの24年間だから。

先進国からの苦言に日本は応じられず、苦言も消えた頃に何と東日本大震災です。そして今、現代アートを欧米へ送ろうにもジャパンマネーは枯れています。国内アーティストは経済困窮し、活動停止や撤退を余儀なくされる悲運です。2012年頃に制作をやめた作家が多い実態。

日本現代美術のクリエイターたちは自国に基盤もなく、花咲かすこともできずに国際的日本ブームが終わる流れがみえています。国内は芸能人の絵画で事足りている状態。この本の大部分は近著ではありませんが、今持ち出してきたのは国内の全美術家を支える日本市場づくりです。
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日本人が欧米人より美術やら芸術が苦手な必然性がない件
2016-09-25 Sun 01:51
会社員も、自営業も、公務員も、美術と縁遠い毎日なのは、実は日本の場合です。ヨーロッパの市民は、美術に身近に触れる毎日です。画廊に限らず書店やレストランなどに、絵画や彫刻が展示されることも多く、しかもそこの作品も見られるだけでなく売れています。

ヨーロッパでは、会社員も自営業も公務員も、暮らしのアクセントからコレクションまで、絵や彫刻を個人所有して、それなりにわかっているという。この差はなぜ生じたのか。日本国民の教養がそこだけ空白なのは、明治維新以降の歪みではと推察はしていますが・・・

日本で、美術なんて難しい、現代はわからない、抽象はちょっと、と当たり前のように言い合い溜飲を下げるうちに、世界から取り残されていました。しかし21世紀になって、各個人がわからずやであり続ける必要はないし、生涯を通して芸術が苦手である義務もないでしょう。身長体重のハンデがない分野だから、得意でもよいぐらいで。

ただしアドバイスを名乗るアート情報もまた、取り残された内容です。美術は難しいとの嘆きや、芸術はイカれているからわからなくて当然、あんなのに近づいちゃだめとか。逆に簡単だよと言って、名画の見方を個別に教習する解決法だったり。当時と異なる先入観に沿ったほめちぎり満載とか。心を広く持て式の精神論とか。

美術は難しいという訴えも、簡単だという説得も、どちらも芸術の懐に入り込めていません。出回る活字情報は、国内の空気をそのままなぞったにとどまっています。改善するエネルギー源が見当たらない。そこで、全く違う切り口を用意しました。
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現代アートフェスティバルの勢いをローカルから広げる
2016-09-23 Fri 02:40
日本のこれまでの現代アートイベントは、地域への経済効果は十分であっても、美術界への効果はわずかでした。具象画の売り上げにも貢献していないし。世間一般からは二軍扱いされたのは、「現代美術はわからない」「抽象はちょっと」が国民の大多数だったからでしょう。毎度ここがネックです。

そのせいか近年のフェスティバルでは、町の知名度アップや経済波及の予想金額、移住やUターン誘致を前面に出していたりもします。アートは主役というより舞台背景の役に流されてしまい、もう花より団子でいいやと割り切った感じで。単なるきっかけですと導火線扱いされたり、街づくりのBGM的に流れているアート。

さて状況説明はこの辺で、まず芸術の本を出版しました。内容は美術への質問と回答集です。「美術は難しい」「現代美術はわからない」「抽象はちょっと」から決別して、どんな作品でもピンとくるよう、心が閉じない心得みたいなものとなっています。

たとえばゴッホとポロックは作品が似ていませんが、それぞれに見方や味わい方があるなんて言われても、個別対応では手に負えません。全然簡単じゃないし、美術は本業でなく、誰も個々に暗記して回るほどヒマじゃないし。ゴッホとポロックが人類の行動の線でどうつながるかが、一番欲しい話題なのです。

ゴッホもポロックも上手な絵とはいえず、ならば上手とは何なのか。この語がそもそも怪しいぞと、序盤から疑惑が現れます。こういう身近な引っかかりから入って、からまった糸を早くほぐすための本です。
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現代アートフェスティバルのポジションの裏読みと真相
2016-09-22 Thu 00:07
少し難しい話ですが、地方でのアートフェスティバルは、現代美術の立ち位置を暗示しています。はっきり言って、メインでないサブの位置。ルノワールにくらべ、ポロックはオプション的というあれです。

大都市を離れた現代アートフェスティバルには、弱い立場同士タッグを組む作戦とする本質論があります。許されざるものが、許される場に集結するというか。悪く言えば、都落ちといえなくもないビミョー。国民の目に映る現代アートは、言ってみればB級グルメ感覚なのです。

そうなってしまう一因は、現代美術の活動が若者中心な点です。実際には長年作った高齢ベテラン作家もいますが、イメージは若者の世界が先行します。現代アートは、駆け出しで未熟で刹那的。青春の一コマを刻んでやがて出演者たちも卒業する前提の、今だけ感がありあり。実際とは違う、そうした国民の先入観があるのです。

話を変えましょう。アメリカの音楽フェスティバル『ウッドストック』で、ロックは一般化しました。隔離したアングラを脱して、一般社会にコンテンツが普及してA級化を達成。みんなの資産になりました。これにならって現代美術も、日本で一般化できないかと考えてしまいます。

現に欧米国では、現代美術はA級の一流扱いで花形です。アートフェアと呼ぶ特設市場は、純粋に売買が目的で。メーンエベントの大型フェア会場を中心に、プロ画廊や臨時ギャラリーが並び、アート週間がつくられます。それも年に2回や4回も。全て現代美術なのがミソで、過去より現代に入れ込む欧米の姿です。

日本の現代美術は『ウッドストック』フェスティバルを繰り返してはいますが、一般化せずに青春時代が長引いています。「もうひとつの美術の台頭」的な振り出し状態に、いつの間にかまた戻っていて。いつまでたっても新参者。ここでテコ入れすることを考えます。
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現代アートフェスティバルの盛り上がりは何を意味するのか?
2016-09-21 Wed 04:31
アートフェスティバルが盛況です。過疎と不況の地方都市、小さな町をアートで活性化し復興させる地域おこしが、いくつも人気沸騰中。テレビやラジオでも、ブームの話題になっています。現代美術を核とする楽しいイベント、ぜひ行ってみたいもの。

過去に何度もありました。1950年代は、アクションアートの前衛芸術運動でした。60年代のブームと似るのが、80年代の「美術のまちづくり」でした。こちらは時流や雰囲気が今とも似ています。

その80年代ブームの主役はインスターレーションで、床に砂を敷き家電ゴミを置く環境作品が大流行しました。新聞紙を壁に張り巡らせたり、バケツを200個並べた作品なども。しかも、大都市から地方の町や村まで日本全土を巻き込み、行き渡った盛り上がりでした。同時に全国的となったのが、駅前やビルの公開空地に彫刻を置く運動でした。

急増したアートギャラリーやパフォーマンス広場ですが、しかし88年にはいっせいに消え始めました。いわゆるバブル好景気の数々の社会現象は、アートが去ったその後のことです。好景気の前座がアートという順序があります。

ところが、ブームの置きみやげとして国民が現代美術に開眼したり、買ったりは起きなかったのです。「現代美術はわからない」「抽象はちょっと」は相変わらず。当時のトピックはゴッホの『ひまわり』や、アメリカの高額な版画など、やっぱり具象どまりでした。

今ネットに見る本音「現代と抽象は苦手です」は正直で、あれから30年たっても日本の美術界は繁盛せずじまいなのです。こうした、現代アートイベントブームの過熱と沈静の落差もまた、日本に特有です。熱しやすく冷めやすい。日本で現代美術が空振りし続ける原因を調べて、今度こそ何かを変えたいと考えています。
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