音楽よりも美術の方がファンが少なすぎる意外な理由
2017-09-20 Wed 00:42
音楽ファンの層の厚さは、CDアルバム評を書いたアフィリエイト販売ページでもわかり、論じられる内容も高度です。一方、美術を売るアフィリエイトはまずなく、美術論は概して固い。ネット空間でも、美術はやはり一般化していないみたい。

音楽と美術のこの違いで、著者は最近珍説を考えました。音楽は共同作業で、美術は単独作業で、その違いが魅力の差になっているのではと。要は、音楽にプロデューサーあり、美術にプロデューサーなし。

結果、音楽は商品価値が高く、美術は趣味の世界。人々は音楽作品は本当によくできていると感じ、美術作品は不完全燃焼や生焼けに感じるのかも知れない。音楽は完成品が並び、美術は試作相当が並ぶ違い。最後まで詰めきれていない美術。きれいにていねいに仕上げる話とは違う、作品の充実度の問題。

著者は、美術作品の完成度が下がる原因を、一人で作る限界と考えました。一人の力は知れています。気の迷いでゆらぐし、才人でもアイデアが広がりにくく、チェックも入らず、駄目出しする別の目がない。しかも、チャレンジを無意識に避けているかも知れず。

制度も違います。音楽には印税制度があり、関わった担当者で山分けするルール。映画にもあって、でも美術にはありません。画家Aさんを画家Bさんが手伝って作品を向上させ、より高く売って二人で配分する契約が、美術には存在しません。システムがない。

美術は協力し合わない前提になっています。好きにできる自由と引き換えに、成果は低め。自主トレーニングに変えたスポーツアスリートが、とたんに記録が伸び悩むパターンと同様かも。鬼コーチではなくとも、協力者がいればもっとずっと魅力が出るはず。横のつながりもないこの慣習を破ろうと、著者は行動に移しています。
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京都の文化財を保護するために米軍が空襲を避けたのは本当か
2017-08-06 Sun 02:17
むろん嘘で、京都は大戦中に4度か5度空襲を受け、意外に大勢が亡くなりました。著者が知ったのは、たぶん1990年頃です。新聞トップコラムの「米軍は古都京都の文化財の価値を知り、空襲の対象から外した」と記された記事を、先に読みました。

直後に京都の読者からの指摘で、何年何月何日と4度の具体的な爆撃日が後日新聞に記載されました。京都の郷土史に記録されていたそう。今ネットに出ている爆撃回避説は、空襲の直前に終戦がきた根拠ですが、これはネット時代の新型デマです。逆に空襲何十回説は誇張デマ。

間違い解釈が続いた原因は、原子爆弾の初期ターゲットに京都がなかった情報が混線したからでしょう。が、その情報さえも嘘で、原爆投下に最適の都市に京都はリストされていました。原爆対象ゆえ焼夷弾空襲から外された順序ではなく、空襲被害がまだ少なかったから原爆で壊滅させるに適すると、あちらの当局は順当に判断したのでしょう。

東京は大空襲ですでに建物が灰だから、そこに原爆を落としても打撃はないと軍人は考えるはず。当時の米軍が、京都の文化財を心配した確かな証拠はありません。古都の保全を唱える学者肌の米軍人がいた事実があったとしても、存在感が後世にふくらまされています。

米軍京都保護説が日本で長く信じられた理由は、戦後の宣伝戦が疑われますが、軍事大国は文化大国だとの見込みもひとつ。さらには、文明と文化が比例する先入観でしょう。文明国は文化意識も高いイメージ。しかし現実は、文明は文化をつぶす主犯格です。両者は対立する。

二次大戦中にドイツにある美術品を、連合国が奪う映画がありました。金目への欲がらみと思われ、しかし建造物は絵のように運べないから関心もなく砲撃で壊し放題。だから今のアメリカでは、歴史建造物の見学は予約制です。敵国文化を消したい者なら汚損も平気だろうと、あちらの当局は順当に判断したのでしょう。
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カレンダーフォトなら芸術を逆体感しやすい
2017-05-23 Tue 01:00
音楽でこんな経験はありませんか。「とてもきれいな曲だけど、ぐっと来ないんだなあ」。芸術の秘密を示す重要ポイントです。きれいであることが、まんま芸術性なのかという根源的な問題だから。明らかに違っても、違いの説明は難しいのです。

実は昔から「きれいなことと美しいことは違う」という言い方で、先人たちが提示してきました。とはいえ普通の国民の感覚としては、きれいイコール美しいイコール芸術性と、簡単に割り切りやすいところはあるでしょう。きれいは誰でもわかりやすいし。

たとえば油彩の具象画では、きれいさの程度に比例して目を引き心を打つものです。だから、この絵はきれいだけれど芸術性は低いのさという理解のしかたは、へそ曲がり的でやりにくかったでしょう。

ところが写真作品では、きれいなだけの空虚をよく体験します。代表がカレンダーフォトです。主にプロカメラマンが撮った思いっきりきれいな写真で、ある種のカレンダーでよく見ます。この語はかつて写真界ではよく言われましたが、ネットに情報はありません。

桜やもみじや渓流、気球が浮かぶ空だとか、高層ビルの重なり。たいへんにきれいでありながら、重みや深みがなく表面的なのです。素人には撮れない抜群にきれいな写真が、なぜ心に来ないのか。きれいだからそうなのか、きれいなのにそうなった失敗か。

ところが、芸術は裂け目です。カレンダーフォトには裂け目がありません。平穏無事で健康的だから、芸術的創造性を感じさせないのではと。文学作品も似ています。小説の多くに殺人や濡れ場があり、モラル破りやショッキング描写があるのはなぜか。きれいごとは芸術にあらずという真理は、平面アート以外では定着しています。
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曜変天目茶碗の事件は今どうなっているのか
2017-03-30 Thu 01:50
テレビ番組で第4の国宝級『曜変天目茶碗』と鑑定された茶碗は、今も宙に浮いています。このウヤムヤは、アート全般のぼやけた雰囲気と同じものです。ここで、事件を元にした脚本を考えました。映画化決定。

『モナリザ』は、実は2枚が実在します。レオナルド・ダ・ヴィンチは2枚描いていました。ところがテレビ番組が、『モナリザ』をもう1枚見つけました。3枚目の大発見です。評価額は2500万円。「んっ、ずいぶん安いぞ」と専門家たちは首をかしげます。ルーヴル美術館の『モナリザ』は推定1兆円なのに。4万分の1。

直後に『モナリザ』研究家で、『モナリザ』復刻づくりをライフワークとする画家が現れ、訴えます。番組の絵は『モナリザ』には見えない。チャチすぎるし、本物の2枚と顔が大きく違うから別女性の肖像にしか思えないと。番組の絵は、近年のアクリル絵具で描いた偽物ではないだろうかと。だとすれば、フィレンツェで3千円で買えると。

一方で国宝級発見のニュースが新聞雑誌に出たから、文科省筋から本格鑑定を誘われます。が、絵の所有者は断ります。疑惑も出されたから、今後は絵を表に出さないと宣言します。ところが所有者は縁のある化学研究者にケミカル検査させ、アクリル絵具の成分がほとんど発見されなかったと公表します。フィレンツェ産のみやげ品ではなかったと。

「真贋は真で決着した」「やはり本物のモナリザだった」「番組が全て正しかった」「反論した画家こそが偽物でした」「本物と信じた自分はうれしい」「3枚目の国宝級に大感動」「一目で美しくて本物だと僕は最初からわかっていた」「顔が似ない失敗作だからルーヴルよりは安い簡単な話さ」「国に見せないのは国宝認定を回避する税金対策さ」。

この映画で伝えたかったのは、話のわかる人がいない業界の悲哀です。権威者や識者も出てこず、国民の雑言がそのまま国民に浸透するだけの展開。ミステリーに心ときめかせたのに、絵の世界はどうなっているのかとやるせない思いになる結末。世評にて、クソ映画決定。
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芸術が躍進している良い知らせかと思いきや
2017-01-05 Thu 05:57
2017年になっても、日本国内はまだまだ不況です。大手企業と公務員以外は、24年続く平成大不況から一度も出たことはなく、下り坂を下り続けています。政官財の全員が格差社会をやめますと言う日まで、今後も内需は低いままです。社会単位で奇跡はない法則どおりに。

で、この不況の初期によく飛び交った言い方。「ディスカウント店が大人気」「100円ショップが伸びている」「今なぜリサイクルショップなのか」「軽自動車が売れまくり」。話をどこに落とすかと思ったら、「不況にもかかわらず、伸びている分野もちゃんとあるのです」「努力しだいで繁盛するものです」という締めくくり方でした。

違うでしょ。そんな話じゃない。その手の分野の躍進が意味するのは、不況がひどくなっている裏づけです。不況に負けずにがんばっている人もいて、その熱いパワーに感心したなどと称賛したら、何をかいわんやです。「不況はウソだよ、しっかり売れている物があるのだから」と、低価格商品の伸びを好況の裏づけに使う分析は間違っています。

これと似たことが、芸術不況でもいえるのです。「目の錯覚を楽しむトリックアートが大人気」「ファッションショーとのコラボアートが伸びている」「今なぜ美術館でコンサートか」「ミュージアムのレストランがおいしい新時代を味わおう」。

本当はピカソやポロックが本命で、それを楽しみ味わうのが第一志望のつもりが、「芸術は難しい、現代美術はわからない、抽象はちょっと」にやられて理解及ばず。仕方なしに周辺へ流れたと、うがった見方もできます。この「うがった」は本来の「隠れ正論」の意味であり、テレビ人が用いる「こじつけた邪推」の意味ではなく。

抱き合わせ販売というのがあって、人気商品と不人気商品をセット販売し、不人気の在庫を処分する手段です。現代アートが他ジャンルとの組み合わせで登場する場合、芸術が躍進している朗報というよりは、救済モードに入っている裏もあるということです。コツを知って、第一志望で楽しもうではありませんか。周辺に流れずに。
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若者のクルマ離れ、酒も飲まず、旅行もデートもしない理由
2016-11-02 Wed 00:17
若者のクルマ離れの原因分析を、近年の日本のニュース記事でよく見かけます。今の20代たちは車を買わないだけでなく、スポーツカーやスーパーカーにも関心を持たなくなった・・・

いったい若者の考えはどうなってしまったのかと、首をかしげ続ける年輩たち。しかも若者は旅行に行かず、本を買わず、酒も飲まず、異性友だちとデートしないとか。あれもやらない、これもやらない、やらないことだらけの今の若者はおかしいぞと。昔の若者と全然違うぞと。

いずれも、若者にカネがないだけの話です。今の若者は貧困なのです。ところが分析では、最近の若者は思想が全く変わったと言い出します。物余りの飽食時代のライフスタイルだとか、心のきずなを重んじた価値変化などの分析も多くあって。カーシェアリングの合理性なども。

「所得が低い以外に、物を持たない主義やエコ志向もあろう」などと、第二第三の理由を並べた分析もありました。そんなわけはないでしょ。原因の100パーセントが低所得です。家が貧しくて修学旅行をあきらめた生徒に関して、電車やバスに乗らない環境負荷への配慮もあったと言い出す分析は無意味です。

何かを隠す義理でもあってわざと的を外したのかと疑うほど、あさっての方角へ話を散らして、若者を救済する社会改良を妨げています。コメンテーターやオピニオンリーダーが垂れ流すもっともらしい怪情報は、現代日本の七不思議といえるほど。

この若者論の調子で美術が語られていたら、困ったものです。ゴッホやピカソはわからんわからんと首をかしげて、耳なじみのよい怪情報を垂れ流されても、日本美術界は上昇せず下降あるのみ。アート貧困のデフレスパイラル。
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