芸術は難しい現代美術はわからない【質問と答】

現代美術がわからない原因を解明する世界初の試み。皆が口をそろえる美術理解のコツは本当か?。作品を難解にしたのは作者か鑑賞者か。作品の意味とは何の意味か。作品が語るとは何を語るのか。わかるのを妨害する情報は何か。最も役立つ情報は何か。日本でのみ誤解されるものは何か。世界で誤解されるものは何か。画家は何を考え何を考えないか。芸術は人間に必要か不要か。現代人が芸術が苦手なのはなぜか。現代アートは本当に創造なのか。人類の文化に何が起きているのか。

続・絵をギャラリーに置くのに画家が払うのはなぜ?

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
ギャラリーに絵を置いて売るのに、なぜ画家がお金を払う必要があるのか。それは絵を売っても赤字だからです。画家が払わないとギャラリーは即座に倒産して消えるから、画家は展示場所を失います。

そういう理屈なら、他にもある気がしませんか。たとえば駆け出しのロックバンドは、自費でコンサート会場の料金を払います。お客ではなく演奏する側が費用の大半を負担します。チケットを売っても黒字にならないからで、画家と同じ境遇です。

創作表現物に限りません。菓子にスーパーの棚争いがあります。明治やグリコの菓子なら、店に当然のごとく置いてもらえます。しかし毘沙門製菓など、知られない菓子は置いてもらえません。置けば置くほど店が赤字になるから。

そこで試験的に置いてもらうために、菓子メーカー側が店にお金を払うことがあります。この棚代に相当する礼金をリベートやキックバックと呼ぶのは、各種業界人が裏話で語る経済というわけです。美術とロックだけが異常なのではなく、菓子類も同様です。

多くのアートギャラリーは超有名でない画家が市民と接する場で、自腹のロックバンドと似た理屈です。画家自身はそれを理解していますが、確かに整備された他分野からの目には、美術の原始的な部分は目立ちます。定価がないとか、全体にラフです。

日本に欧米のような一般化した美術市場はなく、さっぱり売れない毎日です。売れるのは東京の一部がやっと。企画するだけ無駄で、だからレンタルギャラリーが日本には多いのです。場所だけ貸して、後はご自由にと。ノー企画。国民が美術をなぜ買わないかが焦点です。
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絵をギャラリーに置くのに画家が払うのはなぜ?

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
美術界の外から時々出される、この疑問です。「ギャラリーに絵を置いてもらうのに、なぜ画家がお金を払う必要があるのか」「そんなのおかしいよ」。ありますねえ。美術家は作品をギャラリーに置く時に、料金を払います。

「ギャラリーは絵を置いて儲けて、絵が売れてまた儲けてと、二重に儲けている」「ギャラリーの客は購入客でなく画家なのか」「搾取される画家は怒るべきだ」「ギャラリーは悪だ」「美術界は非常識」と論者。

確かに日本に多いレンタルギャラリーでは、貸し不動産として画家が家賃を出してもおかしくありません。しかしレンタルではない、企画ギャラリーと呼び、小イベントのかたちで市民に絵を売るプロ画廊でさえ、売り手側の立場の画家に支払わせています。

実は日本だけではありません。たとえば著者が扱っていた抽象絵画は、ドイツのギャラリーに貸与中です。普通ならその格のギャラリーに作品を置くのに、画家は月1千~3千ユーロ払うと聞きました。外国はこのように高いものです。

近年アメリカやフランスからも、日本の画家にメールオファーが増えました。「作品をニューヨークのギャラリーに展示しませんか」「パリの名門ギャラリーへご招待」と。誘い招待しておきながら、無料でなく高料金です。だから、寄付を募るクラウド・ファンディングも盛況で。

実はこれ、各種業界人が裏話として語る経済の秘密であり、収支を合わせるやりくりです。机上の資本主義の模範的計算だけでは、経済が成り立たない実例です。(つづく)
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絵画は実験であるとはどういう意味なのか

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「絵画の実験と言うが、実験ではなく本番を見せて欲しい」という意見があります。言葉尻をとらえた中二病的な言い方にも聞こえてしまい、どこまで本気なのかはわからず。

実験アートという言葉。これは既成の概念から外れた、突飛な作品を連想させます。たとえばお客が美術館の展示室に入ってみると、清掃員がまだ掃除中だった。あれっと思って外に出ようとしたら、そこでの一部始終が実はアートなのだという。

清掃員を見ると、現職のアメリカ大統領その人。実は本人だという。手の込んだ、コストのかかったアート表現です。そうしたサプライズ表現を実験アートと呼ぶのかなと、一般には浮かべることでしょう。

そうした実験アートは真剣というよりは、余興的なナンチャッテでイメージされます。「本番」に対する「初期案」「テストケース」「追補」といった感覚。このような解釈は、現代美術に対して人々が普段から感じる、サブ的なイメージにも一致しているでしょう。

絵は実験だと言った一人に、ピカソがいました。これは簡単な意味で、前例と違う絵へ発展させ続ける意図的ないじりを、仮に実験と言っています。お手本に迫る作業ではなく、手探りで新奇を探す作業です。昨日の成果を、今日は壊して改変する意味です。

実験の後に本番に入る話ではないから、冒頭の意見は無意味です。つまり芸術創造と実験制作はイコールであり、実験をやめると創造に至らず芸術から失墜します。しかし全体的には模範に沿った安定の画業が多数派であり、実験的な制作は少数派となり異端に位置します。
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ツバル国が消える地球温暖化議論も人類は苦手

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ネット掲示板に時々書かれる文言「逆に考えるんだ」。向きをひっくり返して見たり、反対の立場で考察したりするのは、人類は苦手だと暗示する一言です。

たとえば地球温暖化の場合。北極の氷が溶けて海水面が上昇し、太平洋のツバル国が沈んだと大勢が理解したあの話。ツバル国の消滅を防ぐには二酸化炭素を減らすべきで、中国やアメリカなどCO2が多い大国は罰金を払いなさいと。京都議定書。怒った二国は脱退。

検証しますが、海水面の上昇が本当なら瀬戸内海の小豆島も沈むはず。地球の海は全てつながっており、切れた海は湖と呼んで分けます。ツバル国と同様に、小豆島やハワイやイギリスも、インドやアルゼンチンの海岸も沈むはず。なのに、実際はツバル国以外に兆候なし。

ここで思考力テスト。もし逆に考えたなら、ツバル国のみがたった一人で勝手に沈んだ解釈になります。江戸の東京湾と同じで、地下水の使いすぎでサンゴ礁ごと標高が低下したとか。また、コンクリートの重量物で土壌圧縮した疑い。空港建設など小豆島にない理由で沈んだ。

しかし人類は逆に考えはせず、海水の量が増えたから土地が低いツバル国が沈んだと思い込みました。この不合理な結論は今も続いています。人間に理解できないことは常にあるとの視点も大事で、この本にはその前提を無視しないで話を進める特色があります。

そもそも北極の氷が溶けても海水面は上がりません。俗に言う「氷山の一角」という現象で、H2Oが凍結すると比重が小さくなる化学です。要は、氷が溶けて水になると体積が減り、水面は上がらない。喫茶店のジュースで体験します。指摘されて話が南極に変更されました。するとNASAが、南極大陸の氷は長年増加中とデータ公表しました。
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価値の相対性に気づきにくいAT車の暴走事故

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AT車の暴走事故は続いていて、2018年の新たな原因分析も間違っています。この停滞を指して、反語的思考が苦手な人類の運命と指摘しました。しかし人類が最も苦手なのは、「価値の相対性」です。

相対性といえばアインシュタインの相対性理論を連想しますが、相対の反対語は絶対であり、価値に普遍性があるとする思想がそれです。善は善で悪は悪と、決まっているとするのが絶対主義思想。この思想が移民難民をめぐる摩擦によく表れます。

よくある正義はこれ。「移民や難民を受け入れない人種偏見や差別をなくしていこう」と。この意見は、価値の絶対性が根拠になっています。価値の相対性を重んじる文化人類学や民俗学などは、この手の絶対思考を厳しく戒めます。

移民や難民が増えた地では労働力が競合し、既存労働者の所得減と失業が進みます。地元民がブーブー言うのは、自分が貧困になる恐怖です。名もなく貧しく美しくもない一般市民には、シンガポールやパナマへ引っ越す余裕もない。その苦悩が移民反対の動機です。

「貧乏やだ」「人種差別すな」「貧困が怖い」「ストップ人種偏見」。強要は低所得層への人権侵害で、階級闘争とも言われます。A人種がB人種を優遇し、A人種を切るのもまたレイシズム。ここで大事なのは、「正義」も「自己中」とみる価値の相対性です。この等価な立場の並立は、誰もが苦手な逆転の発想です。

誰しも、他人の都合で考えるのはものすごく苦手で、自分の都合で考えるのはムチャクチャ得意。しかし、芸術の価値は相対的です。ゴッホとポロック、正しい絵はどちらかを決めません。AT車の事故を運転ミスとする絶対思考のせいで、分析が的を射ない状態が今も続きます。
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びっくりする音楽でお客を驚かせたプロコフィエフ

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1953年没の作曲家プロコフィエフは、『ピーターとオオカミ』が小学校の音楽鑑賞で知られます。作風には顕著な特徴があり、メロディーとハーモニーの関係がねじれるように動きながら、劇的に展開します。らせん階段みたいに。

『ピーターとオオカミ』のピーターのテーマ自体がそうで、明朗なメロディーのバックを押さえた和音が意外な方向へ転んでいき、光景が次々ひっくり返りながら開けるドラマ性です。そのプロコフィエフが生前に言った目的意識は、聴衆をびっくりさせることだという。

ならば、びっくりする音楽とはどういうものか。実はここに、プロコフィエフがチャイコフスキーの次に、今日的な人気がじわじわ上がっている理由があるのです。彼の曲は、美術でいえば三大画家タイプに相当するからです。ダダ運動タイプではないから。

ならば、逆のダダ運動タイプに相当する音楽とは、いったいどういうものか。たとえば、ブラック・ボックス・ミュージックでしょう。ホールでブザーが鳴って消灯する。真っ暗な中、何者かが女性客の体を触って回る音楽会がそう。ドーンと、ホールの天井が落ちるとかも。

そっち系の落とし方で聴衆をびっくりさせ、これもアートですとドヤ顔する表現を、プロコフィエフはやらなかったわけです。その手で話題を得た者も世にいたとしても、彼はやらなかった。だからプロコフィエフは、ダダ運動タイプではなく三大画家タイプの人です。

プロコフィエフにも、比較的早期のバレエ曲『道化師』など、絵でいえばピカソにでも当たる、取っ付きの難解な曲が多くあります。それでもびっくりをトンチ方向へはずらさず、ドレミの音階だけで衝撃を生んだから、トレンドのあだ花に終わらず生き延びています。
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古代のアート類を鑑賞するのはなぜ難しいのか

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本書に何度か出る話題に、現代人の意識の高さがあります。ピラミッド建設やアポロ宇宙船など過去の偉業は、今の僕らにも難しいのだから、当時は不可能だったと感じます。人類にできる日は、まだ来ていないのだと歴史認識しやすいのです。

その裏に、僕らは人類の最高峰だとの思いがあります。一番上に僕らが君臨している自信。この話は現代人の耳に痛いもので、無遠慮にそこを突く本書は嫌な情報源になっているでしょう。

たとえばギーガーという現代のデザイナーは、映画『エイリアン』の怪物異星人を考案し、ウレタンやラテックスラバーなどの材質でつくり、映画を大ヒットさせました。イラスト画では、ロックバンドEL&Pの『恐怖の頭脳改革』(1973)のレコードジャケットの作者でした。『悪の教典#9』が入ったアルバム。

映画『エイリアン』を見ても、私たちはその異星人が実在するとは考えません。実物を見たギーガーが写実的に作ったとは解釈しない。あれは現実には存在しない架空の生き物だと、私たちは心得ます。

ところが私たちは、太古の怪物は実在したとイメージしやすい。一例は縄文式土偶で、古代日本に宇宙人がいた証拠だと信じる声が、昔から多かったのです。「宇宙に知的生命体がいないと言うやつは頭が悪い」と怒る気持ちを、縄文式土偶が下支えしていたりします。

太古に、ギーガーみたいなアイデアマンがいたとは考えない。その裏には、僕らの創造アイデアが史上トップだとの自尊心があります。昔の人は頭が悪く、アイデアが貧弱だったと見込む。現代人は土偶を何となくリアリズム彫刻と受け取り、造形物として鑑賞しにくいわけです。
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007愛のため息で魅せた他人のアレンジ

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ネットの間違い情報に、ソウルミュージック『フィール・ライク・メイキング・ラブ』(邦題は愛のため息)の作者があります。大ヒットさせた歌手ロバータ・フラックの作曲と書くことが多いような。昔からあるトリビアで、作曲者はユージン・マクダニエルです。

ところがこの曲、作曲した当人が歌うバージョンは実にショボい。絶対ヒットしない保証がつくほど、本人のアレンジはさっぱり。最初の自演は全くだめで、他人が大ヒットさせた典型例です。

類例で思いつくのは、イギリスのモンティー・ノーマンです。ミュージカル用の作曲は話題になるものではなく。それを別の映画に流用し世界的にヒットさせたのが、元ジャズギタリストの映画音楽作曲家ジョン・バリーでした。

その映画は『ドクター・ノー』で、邦題は『007は殺しの番号』。007シリーズ第一作で、サウンドトラックはモンティー・ノーマン担当でした。アウトテイク録音は残っておらず、今聴けるのは中米民族音楽カリプソみたいなのんびり曲群です。たいくつに感じるレコード。

そのレコードの冒頭が『ジェームズ・ボンドのテーマ』。ビッグバンドジャズ編成で、スパイ映画音楽の原点となった豪華版です。ジョン・バリーはアレンジャー止まりで、ノーマンのメロディーは維持され、最近作の007映画も作曲クレジットはモンティー・ノーマンです。

音楽にはこうした共同の協業で花咲く例があり、クラシックでもムソルグスキー作曲、ラベル編曲とか。ベートーベン作曲、ルービンシュタイン編曲とか。芸術には元状態を絶対として守る思想もありますが、一人の力は限られていて現実は柔軟に動いています。
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材料費につい魅了されやすい芸術鑑賞

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日本でデザインした中国製の腕時計は980円です。スイス製で80万円の腕時計もあり、600万円の高額製品もあります。80万円にくらべ600万円は何が違うか。文字盤に宝石が輝いています。

価格差の520万円は、ダイアモンド代です。この時ほとんどの人は、その上がった分は材料の値打ちだと気づいています。メカやデザインではなく宝石の値段を意識し、時計本体が優秀だとは思わない。

80万より600万の方が創造的なのではなく、520万円分のマネー資産が付属するから高額だと、即理解するわけです。キャラメルのオマケ箱に1万円札1枚が入っていれば、一箱が他より1万円高い感覚。

ギターでも、100万円までは手作りの工作精度で、さらに上は木材の価値です。ワシントン条約で禁輸の、広葉樹の古材が上乗せされます。ブラジル産ローズウッドや、ホンジュラス産マホガニーなど。300万円超なら、貝殻模様、象眼、インレイ代です。演奏の操作性や音色の向上ではないのだと、ユーザーは心得ています。

ところが美術では、しばしば材料の価値が混線します。典型例は、エジプトの純金の彫刻類です。現在の金相場に換算して何億円だと聞くと、そこに強い関心と感慨が起きて造形的な価値と分離しがたくなり、芸術鑑賞をはばまれます。

その証拠に、銅の古美術だと見に来る人が減ります。黄金製だとモテ方が全然違い、銅製だと展覧会の格までが下がった印象になります。これは常に念頭に置くべきことで、ヨーロッパ国の植民地から持ってきた工芸品が、当時消えた黒歴史が本書にあります。
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芸術を語る言葉は魔物

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国会議員のあるあるは、立候補前と当選後の著しい変化です。論客時代に鋭い意見をずばずば言い、国を救おうとする熱意と見識を発揮。いかにも信じられる人が登場します。この人が総理大臣になれば最高だと、テレビスタジオは盛り上がります。

ところが当選すると、首をかしげる事態に。誰のための政治なのか、その方向の日本改革だったなんて。そんな人だと知っていれば票を入れなかったよと。うまい言い方にやられたあ。

話のわかる近しい人だったビフォーと、わからない遠い人に化けたアフター。二つの著しい落差が、政治へのやりきれない国民感情として定着しています。芸術論で、著者は似た体験がありました。

まだ学生の時、後輩と非常に話が合ったことがあるのです。芸術とはこういうものだと思った著者の考えに対し、僕もそう思いますよときて、ぴったり意見が合います。先輩たちが芸術の語を茶化す中で、理解者がこんなに身近にいたなんて。おおー、感動的。

「創造者は異端者」「嫌悪の対象が歴史名作の由緒」「人類はピカソの価値を曲解中」「創造と商業に比例も反比例もない」「後世の人ほど芸術が苦手」「芸術は重苦しく排他的」「芸術は気色悪いのが正当」などなど、意見がことごとく合います。もう一人の自分がここにいた。

最後に最大の芸術体験を聞くと、木炭画に心底感動したと語り始めました。美大の入試デッサン画もすごいと。絵とは思えないリアルな写実画に鳥肌が立つと。2メートル離れて座る後輩が、50メートルも遠くにいる感覚が著者に起きました。巧みな木炭デッサンは異端ではなく権威であり。正反対を同一物に語れる言葉は、魔物だと感じました。
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ご飯を食べる文化を壊した自滅の日本史

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日本で今、ご飯を食べる量が年々減っている統計があります。日本国民の米離れ。しかし若者の車離れや、飲み会離れ、読書離れ、デート離れとは違い、ご飯離れはデフレ不況の所得減とは無関係です。生活困窮でおにぎりが食べたいと言い残した、あの餓死とは別の理由。

女性の視点では、パンやパスタはしゃれて、めしといえばオヤジみたいでダサい。所帯じみて年寄りふうで、ちょっといや。これは今に始まった心情ではなく、50年以上も前からです。最初の東京オリンピックの前から続くご飯離れ。昭和ひと桁生まれの女性もそうでした。

「ご飯は力仕事向きで、頭が悪そうですから」。こう政府が国民に教え込んだ歴史があります。現代女性の西洋志向や、ファッション的な嗜好ではなくて、上から指導を受けた結果の順当な米離れです。

年配者なら知る戦後に、「米を食べると馬鹿になる」「ご飯中心は頭が悪い人」という健康運動がありました。それを受け、各家庭ではご飯を少なめに炊き、パンやそうめんやマカロニなど小麦製品で補いました。自分や家族が馬鹿な人になるのを防ぐために。小麦なら賢くなると。

米中心の食生活は思考力や記憶力が落ち、知能指数が下がり、ウスノロ人間に育つと言われたもの。脳への害。大学受験も滑りそうで、受験生の親御さんも米を控えた。誰もあの忠告を取り消していません。当時の「米を食うやつは馬鹿」は、2018年の今も有効のまま。

アートで、「抽象はわからん」「描いた者はおかしい」「見たら変人になる」。上層部が忠告して年月経てみると、日本国民の現代美術離れ。こちらもまた、誰も忠告を取り消していません。この本以外に誰も取り消さず、2018年の今も有効のまま。
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美術制作のプロ意識とプライド意識

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世間のビジネス現場では、信念は二つに大別されます。プロ意識とプライド意識です。顧客中心と自分中心のこの分け方は、先輩たちの見解の受け売りですが。

プロ意識とプライド意識は、逆方向とされます。お客からみた印象も逆で、結果の吉凶も逆だという。社会人なら普段から職場内で、プロ意識の社員とプライド意識の社員を見分けているのかも。

創作表現の場でも、プロ意識とプライド意識の差は出るでしょう。おそらく音楽は、プロ意識が主導しやすいでしょう。音楽でよくあるのは、やりたくない難曲をサービスで演奏すること。演奏者はその曲が好きでないという。でもお客のために聴かせる。

一方の美術では自由奔放がよしとされ、好きでないことはやらないものです。そして思うがままが続くことで楽な作業へ流れ、異次元への飛躍や、突き抜けた悟りに至るなどは当然減ります。汚れ仕事と接触しないアマチュアの立場にとどまり続け、作品は浅くなる傾向だと。

その結果は、音楽産業と美術産業の規模の差に多少加わっているでしょう。東日本大震災の後、莫大な金額を寄付した音楽家は多く、美術家は小規模で現地貢献していました。美術側から見た思いは、やはりありました。市場規模も甲斐性のうちであろうと。

長く著者は作品を売らない主義でしたが、美術って個人が買うものなんですか?的な日本にハマりすぎた大失敗と理解し、近年は反動でアートのプロデュース業を始めました。プロ意識とプライド意識を合わせて、よい結果が出ればと願っています。
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どっきりカメラは本当なのかヤラセなのか

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どっきりカメラというテレビ番組は、早くから一般名詞として広まりました。あのスタイルは日本独自ではなく、アメリカのテレビ番組を参考にしたと思われます。そして、視聴者の議論が続いてきました。

どっきりカメラは本物なのか、ヤラセなのか。脚本があって、仕込んで撮った回もあるのではと。実際には、世界の本格的などっきりカメラ番組は全てつくりものです。フィクションが100パーセント。

でも、本物もある気がしませんか。実際は皆無なのに、わずかでも本物があると考える原因は何か。これは、振り込め詐欺に引っかかる現象と同じで、「迫真の演技」が答です。本物とは、上手な演技で視聴者をだまし切れたケースを指し、だまし損ねた時にヤラセだと言われます。

海外どっきり番組で、深夜ピエロが刃物で市民を殺し、目撃した市民を追いかける場面がありました。ピエロと死体はむろん無名俳優ですが、どっきり体験は一般市民です。しかしその市民の挙動が非現実的。

急襲された人間は、身を固くして大声でわめくはず。マラソンみたいに走り続けずに。最初の恐怖が過ぎると、ピエロを殺そうとあがく。動物の本能です。襲われた市民が銃器を携行中ならピエロを撃ち殺し、テレビ局の社長は辞任。その種のリスクを排除するには、一般市民がピエロの正体を知っている必要があります。

この思考を視聴者にさせない絶妙の演出が、制作スタッフ一同の願いでしょう。「あれは絶対に演技ではなく、台本なしの本物を僕は見たぞ」と信じ込ませる。振り込め詐欺に似た迫真の演技。そんな迫真表現への渇望が、抽象画のアーティストにも欲しいなと思ったりします。
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コンビニの24時間営業が悪いことに思える理由

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24時間365日営業しているコンビニエンス・ストアーを、夜は閉めてはどうかという意見が急増しました。買う客も少ないし、電気も無駄だし。この意見はたいへん重要です。なぜなら店舗の深夜営業は、景気そのものだから。

24時間営業を支持する意見が多いその時は、好景気です。24時間は時代に合わないという意見が増えたら、不景気の最中です。深夜営業はやめようという意見が続出する2018年3月現在は、日本の不景気がなお進行中とわかります。日常の空気は正直です。

好景気に転じたと上層部が言い出し、株価の上昇やタックスヘイブンの人気を強調しても、ばればれ。よろず屋さんの営業時間に国民が何を感じるかが、偽りなき実態です。24時間やめろコールは、不景気の証しそのもの。日常の空気は正直です。

深夜営業の背後には深夜働くビジネスマンがいて、その層が厚かった頃は過労の毎日でした。そして彼ら彼女らは、遅くまで働くことが楽しかったのです。残業代がふくらみ高級外車も買えたし、国づくりになる手ごたえも大きく、楽しく充実した長時間労働でした。病気や自殺に結びつかない働き過ぎが、好景気の証明でした。

空気にウソ偽りがない現象は、美術にもあります。たとえばアンケート調査すると、美術にもっと親しみたい、もっと身近に理解したいという回答が多いのです。しかし言ったそばから敬遠が始まる実態は、ギャラリー客数やネットアクセス数でばればれ。日常の空気は正直です。

美術に関心を持ちたい、でも関心が持てない。この落差が生じる理由はひとつ、実際に目にするアート作品が期待外れだからだと著者は考えました。好こうとして、見てがっかり。斬新というよりショボいからだと率直に告げたのがこの本で。調査よりも、日常の空気は正直です。
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僕は主張する作品が嫌いですという主張

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ネット発言は、内容がいくらウソでも動機にはウソがありません。テレビだと、プロダクションが決めたキャラづくりで、心にないことも言いますが、匿名のネットだと曲げる圧力を免れていて、心にあることのみ書くもの。

アート鑑賞ブログにみる「主張する美術は好きでない」という記述も、この原理どおり真っ直ぐです。ところでこの気持ちは、日本に多い感覚です。世界のみんながそうかと思ったら、日本で目立つ傾向だという。

他国の人の気持ちは実は逆で、「主張しない美術は好きでない」です。黙っていることを嫌う外国。限度はあるとしても、日本ほどリミットが低くないようで。これは国際社会で日本が孤立しやすい課題だと、昔から論じられてきました。

たとえば、ぬれぎぬを着せられそうな時。日本人は黙って、無実が証明される日を待つ傾向ですね。「主張する人は嫌いです」の国だから波風立てない。言い訳をしない道徳。結果は、広まった嘘が既成事実化して挽回不能。黙って冤罪を背負い込むパターン。

美術も同様で、外国の鑑賞者は作品にこう問います。「おまえさんは、芸術が何なのかわかった者に作られた作品なのか?」と。そこで作品は主張します。「芸術とはこうこうであり、作者はここまではわかっている」と。挽回不能にならないよう、はっきりもの申す美術作品。

ここで日本の美術家はミスを二つやりやすい。ひとつは主張嫌いの日本に合わせ、引っ込み思案な作品を作る点。もうひとつは主張内容を図示してしまう点。さあて、また難しい話になりました。
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日本の問題は美術が売れないことではあるが

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「日本では美術は売れない」と言うと、反論も来ます。「売れるやつは売れる、売れないやつは無能と知れ」と。しかし、日本のギャラリストに美術を売る話をしても、関心がないものです。「まずは見せて」とならず、前向きの反応とは違う。

この実態をどう説明するか。作品が何であれ売るのは無理と、専門家は決めているわけです。美術販売を虚しい徒労とし、内容どうこうの問題ではないという認識が固定しているから、前向きになれない。

外国から日本へ現代美術を学びに来る者は稀少です。日本からはパリやニューヨークを目指すのに、トーキョーへのアート留学を夢みる外国人は珍しい。ウルシ塗りや楽焼き茶碗など伝統芸への入門はあれど、現代絵画で日本に乗り込みはしないでしょう。

理由は確かな美術市場がないから。「アートジャパン」なる名門アートフェアも、現にない。ならば、先の「売れるやつは売れる」の内訳は何なのか。確かに芸能タレントの絵や「欧米で評価済み」は完売します。身内買いや知人買いも伸びているし。投機と援助が正体か。

それらのスポット的な現象は、広く国民がアートを買う一般化とは逆向きです。一般化していないから、特殊化している。空気を読んだ国内美術家は、海外脱出を試みます。流行りのクラウド・ファンディングも、外国展示の成功談が多いし。

作品が売れる市場がないから作品が不出来になる、循環の構図があります。日本にすでにあるがまだ知られない隠れ美術のみに、未来を託せる気がします。言い換えれば、メジャー系を強く国民に推しても、前には行けないはず。現状はアートの浸透不足とは違うから。今よく見る作品を国民にもっと強く宣伝する対処法は、むしろ逆効果。
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子どもを生んだ女性はなぜ性格が悪くなるのか

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ネットで幅をきかせた迷信の一例です。質問サイトや相談窓口に、出産後の女性から寄せられるある相談。以前は穏やかな人柄だった自分が、出産後に悪い性格になったという悩みです。

ギスギスしたきつい性格に変化し、何かと悪口を言う自分に変わってしまった。自覚があるという。実は夫からも相談が寄せられ、こんな性格の人だと知っていれば結婚しなかったとか、離婚の相談さえあります。離婚したケースもあったのでしょう。

この悩みに回答する大半は子育て女性で、自らもそうなったし知人にも起きたと指摘します。これら産後のイライラが起きる原因は、子どもに手がかかりすぎる負担と、夫が仕事人間になりすぎている不満だとする説明が圧倒的に多く、このあたりが通説となっています。

でも、これでは原因を説明できていませんね。それらは原因ではありません。結果です。質問を寄せた当の女性は、もう少し冷静に自らを観察しています。前は許せたことが、今は許せない。しかも家族でない他人にもギスギスして。前との違いに本人は首をかしげています。

正解は、ホルモンバランスと脳内物質の大変化が原因です。動物の本能として、産後2年ほど攻撃的で過敏になる。この反動が産後うつに加わります。育児負担や夫の帰りの遅さに、元はキレない性格でした。臨月の頃から、別の性格に変わっていたのです。いずれ元に戻る。

この核心を余談にとどめ「周囲に腹立つことが多い」に罪をきせると、「妻の敵は夫と子」が不必要に固定し、不必要に家庭不和を引き起こすことでしょう。芸術に目を向けると、そこにもまた動物の本能の必然が関係する現象がみられ、本書にも出てきます。いわば芸術本能論。
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ノストラダムスの大予言でもスルーされたあの核心部

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地震や大事故の後で、予言が話題になります。超能力者や占い師が予言していたぞと。予言どおりに地震や事故が起きたぞと。すごーい的中した、本物がいたのだ、神が現れたのだと、テレビに呼ばれ本が出る。

ところが常に、ある部分があいまいです。ある核心が常にスルーされ、話題が世間に広がっていく最中も、そこは空白のまま。まるで突っ込み厳禁かのように、触れられない部分を残して駆けめぐる情報。

その部分とは、占い師が未来を知っていたかです。(1)大事故や地震が起きる未来を知っていたから言い当てた。(2)知らなかったけれど言えば当たった。二つのどちらなのか、誰も切り込みませんよね。絶対に白黒を決着させませんね。ぼやけさせたままですよね。

実はもうひとつあります。(3)予言していなかった。つまり、予言していた証拠を事件後にねつ造していた。封書の切手のスタンプ日付けを偽造したり、既出の本にひそかに加筆し再印刷したなど。世界的な奇跡の予言は、詳しく調べると(3)になっています。

(1)と(2)の区別に人々が無関心なのは、最初から(3)だと思っているからでしょう。(3)ならば、(1)か(2)かはどうでもよいわけで。大半の人は、言葉の手品と心得て遊んでいます。ならば、あのベストセラー連作『ノストラダムスの大予言』はどうだったのか。

1980年代当時の購入者は、同時に心理学やプロパガンダの技術書も話題にしました。青年はネタばれ本を読んでから、ネタ本を読む順序でした。皆がだまされた説はウソで、著者の友人たちは誰も取り合わず。ところで美術分野にはネタ本が多く、ネタばれ本が少ない気が。
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箸袋が凶器になる不思議と美術のイリュージョン

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
本書の一話に、手品と美術の関係があります。手品の体験は、演者と観客で大きいギャップがあります。妄想が嵩じ、超常現象や神の世界へ飛躍したケースをあげています。空中浮遊を信じた毒ガステロ支援までは行かない範囲で。

ある企業の新年会で、次長が芸を披露しました。ペラペラの紙で木の棒を切断するという、精神集中と気合いの術です。紙製のハシ袋を二つ折りにしてたんねんに角を鋭くし、横に渡した割りバシに振り下ろしたのです。パキッと割りバシは真っ二つ。一堂がどよめきました。割りバシの袋ごときでも、心を込めれば木さえが切れるのだと。

次長の演技は昔ながらの忘年会の隠し芸で、タネは簡単です。著者は児童の頃、移動図書館のバスで借りた手品本で頭に入れていました。しかし社内に手品と知る者はおらず、柔らかい紙も角を鋭くすれば木を切断できると皆が信じ、納得している様子でした。

ネット時代になると、手品のタネ明かし動画も増えています。ガラスコップにコインが出入りしたり、客が引いたトランプカードを当てたり、巧妙な手品。そのネタばらしに、賛否両論あります。

反対の理由はわかるとして、賛成の理由は手品の発展だそうです。著者はこれに疑問で、古ネタの解明はありとしても、最新の手品を客にばらすのは単にアクセスかせぎでしょう。怪現象もウソ発言も、解明すればお金を生まずGDPが下がる理屈で。

タネがわからずイライラする客への迎合であり、これが美術作品をわからせる解説と似ている気がします。わからないのはだめとばかり、わからせてさしあげる。著者はこれに疑問で、白か黒かで切る現代の風潮は芸術に有害かもと考えます。美術鑑賞は、解明する作業とは違うという考え方をとっています。
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世の中にわからないものは多いという理解も大事か

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現代美術はインチキの詐欺ってホント?
わからないものは何も美術に限りません。日常の中に不明なものは山とあります。本書には、美術以外のわからない日常問題が出てきます。鏡が左右逆に映る話とか。STAP細胞はあるかとか。

たとえば、こういうやりとり。「不倫ぐらいで、国民がバッシングするのはおかしくないか?」「そうじゃなくて、国会議員が記者会見でウソを連発してばれて、叩かれているのだ」「でも、不倫なんてどの有名人もやってるでしょ?」。

「温暖化はウソでなく各地で気温が上がっているぞ?」「それは緑が減り舗装面積が増えた都市のヒートアイランド現象で、しかも地球が温暖化しても原因は二酸化炭素でなく、そこがウソだと言っている」「それなら、この夏に熱中症で入院した人の多さは何なのか?」。

こうした話のわからない食い下がり論争は、日常に転がっていますね。月の自転や永久機関などに話を広げずとも、若者のXX離れなどフェイク議論の定番がざくざく。完ぺきな反論が出てもやむことはなく。この手の解釈の混乱は、美術でも普通にあります。

たとえば「芸術を理解した」の意味。「ベトナム戦争の頃に世界平和を願った作品だと、僕は理解しました」。その場合の理解と、作品の理解は同じ次元の話なのかなど、突っ込みどころはすぐみつかります。

不倫や温暖化よりは難解な芸術が、すっきりするのは期待薄でしょう。扉が開くことがない運命を、多くのアーティストは感じているのかも。わからないことの積み重ねで世は成り立っているから、本書はわからない原因を考える場にして、わからせる説教はやめています。
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